新統合軍極東・太平洋軍管区司令部

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島津豊久 首を置いてけ大将首だろう!!

2017-09-22 13:18:02 | 戦国武将図鑑
島津豊久
【諱】
豊久
【苗字】
島津
【朝臣】
惟宗
【通称】
又七郎
【生没】
1570年ー1600年
【父親】
島津家久
【母親】
樺山善久の娘
【兄弟】
島津忠仍
女(禰寝重張室)
女(佐多久慶室)
宗鉄相良頼安室)
【正室】
島津忠長の娘
【解説】
島津家久の嫡男として生まれる。
沖田畷の戦いに初陣。新納忠元の後見の元、敵の首級一つを討ち取るなど猛将としての素質がこの頃よりみられるようになる。
豊久は美男であり知勇も優れておるが、猛将としての素質が見られ。
初陣前での父家久のやり取りでは・・・・・・

あっぱれな武者振り、ただ上帯の結び方はこうするのだ

よく聞け。もし軍に勝って討死しなければ、この上帯は我が解こう。だが今日の軍で屍を戦場に晒す時は、切った上帯を見て、島津が家に生まれた者の思い切ったる所作と敵も知り、我もその死を喜ぼう

戦人としての心構えを教えられており、事実家久・豊久父子は奮戦する。
豊久は叔父義久から佐土原城が与えられる。
この年に島津家は豊臣氏に降伏し、父が豊臣氏の陣に赴き帰国後急死している。
小田原征伐や文禄・慶長の役などに従軍、朝鮮出兵では春川城で500名の兵で6万の軍勢を撃退。
庄内の乱にも出陣し、山田城を攻め落とし従兄弟忠恒に島津忠恒より感状と太刀一腰を賜ったが・・・
乱が終息し新たな領土を義久に与えられるが、これを辞退している。

関ケ原の戦いでは叔父島津義弘と共に出陣。
1000名の兵で関ケ原に布陣するが、石田三成の西軍が敗北。
島津軍は正面を切って退却、しかしどんどん島津軍将兵が倒れ退却に困難になると。
豊久は義弘が薩摩の地へ無事に帰れるよう殿を務め捨て奸として中村源助・上原貞右衛門・冨山庄太夫ら13騎と共に井伊直政.松平忠吉軍に
突っ込み戦の子として散った。

この活躍により僅か80名の生存者の中に義弘が含まれる事になる。

【島津出世なり】



島津豊久は長らく有名な存在ではなく、その辺にいるただのマイナーな戦国武将でしかなかった。
彼を有名にさせたのは平野耕太先生が描くいろんな世界の偉人が異世界に同じ場所に結集しファンタジー世界を生き抜く。
ドリフターズで強烈なインパクトともに織田信長と那須与一資隆と共に活躍している事から有名になる。
そして戦国無双に参戦し、更なる島津豊久の名声が高まる事になる。
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