祈りへの巡礼

敬虔な祈りへの旅へ。

人間ゴータマ・ブッダ

2017年05月15日 | 日記

2017年5月15日(月) くもり

もう1年の半分が経過しようとしている。この前みんなでお屠蘇を飲んだと思っていたら、夏も近付

く八十八夜も立夏もすでに過ぎてしまった。うちの双子の孫達も中学一年生だ。歳月人を待たずとは

まさにこのことだ。人間は所有するものや逃げ去るものに一段と激しい執着を持つ。これを称して

「渇愛」という。ゴータマ・ブッダはかの有名な苦・集・滅・道の論理、つまり四聖諦でこの渇愛が

四苦八苦を含むあらゆる人間の苦しみを呼び起こす元凶であると説いている。とめどもなく沸き起こ

る物事に対する執着の妖動を滅しなくては解脱の道には到りませんぞと人類に警告を鳴らしている。

私はべつに解脱や涅槃に道に導かれようとは思わないが、それでも私なりのルーチン正道、つまり

手作りの八正道は一応もっている。

一般には八正道とは①正見②正思③正語④正業⑤正命⑥正精進⑦正念⑧正定だが、私はもっと単純に

考えている。それは私の純朴な良心に従って、日常の平々凡々たる出来事に身を処していることだ。

とにかく物事が終わってこころがつねに清い情態でないとなにか後味が悪いのである。これが一番

からだに応える。だから私はいつも終わりがきれいさっぱりとなるように懸命の努力を積み重ねる。

それは理屈ではない、感性の問題だ。つまり私の八正道は私の本能的な感性だ。それが解脱のため

だとか涅槃に到りたいからではなく自然界の一員としてただただ人間らしく生きてゆきたいからだ。

人間ゴータマ・ブッダは一切の言語をあえて残さなかった。しかし、この世界に神なぞ存在しない、

一切は平等である、という強烈な思いを持って懸命の努力を続け、永遠の涅槃の道に入った。この

人ほど人間というものの深遠を突き詰めて考え抜いた人はいないだろうと思う。

あらためて人間ゴータマ・ブッダにそう感じる今日この頃である。

 

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