日常で感じているテーマなのだが、今のところ有力な結論には至ってない。けど文字に起こしてみるとなにか気づく点があるかもしれないということで執筆。
"ランチョン・テクニック"というものがある。「食事中に提示された意見は好意的に受け取られる」という心理的傾向を交渉の際に用いるものである。軽くググれば、交渉を有利に進めるために役立ちそうな資料がこの他にもたくさん手に入る。
例えば、その日の仕事が終わった18時頃。職務から解放されたことと空腹感から気分が高揚して外食することへの欲求が高まる。友人を誘って歓談しながら晩餐を楽しもうと思う。しかし友人の都合が合わなかったので外食を断念したが、週末のランチを約束した。
しかし、週末(休日)のAM10:00に起床してみると「あの日はウキウキで約束をしたが、今はなんだか面倒くさい」誰もがそういう経験をしていることだろう。
この面倒くさくなる現象を回避するためには、仕事が終わった時間と同じ心理状態を作ることが必要だと考える。早い話が、ディナーの約束をする時はディナータイムの気分の時にするべきだということだ。
このように、人格や性格とまではいかなくとも、その人がとる言動の傾向は状況によって複雑怪奇になっているということだ。
・起床時
・就寝前
・空腹
・満腹
・性交前後
・喫煙前後
・飲酒前後
・運動前後
・and more...
すぐに思い浮かぶ生理的な要因でこれだけ挙がる。そして当人の体質や性格、さらに日常の環境だったりも複雑に絡んでくる。全く人の思考というのはいつでもままならない。とはいえそれを安定させることが理性の役割であり、その理性が優秀であればあるほど意志の強い人だと認識してもらえるということが事実であるのは全く疑う余地がない。
嫌なことがあった時、辛いことがあった時、大変なことを成し終えた時、人は疲れているだろうしもしかしたら無気力になっているかもしれない。体調が良くて気分も良い時の判断を、そうでない時に覆してしまうというのはいかがなものか。俺はそれについて日々懐疑的になっている。
「素晴らしいものを作り上げよう!」
「素晴らしいことを成し遂げよう!」
気分が高揚し、体調も万全であれば行動的になれる。きっかけはそれで良いし、大きなプロジェクトというのはそういう時に生まれるものだと思う。しかし下り坂で進み始めた自転車のペダルは、上り坂で重い時にも漕がなければいけない。その時の推進力を安定させるのは、プロジェクトを立ち上げた時のみなぎる野心や意欲だけである。
物事が大きく、相応に周囲への責任も生じてくれば人は疲れや嫌気にも動じないかもしれない。しかしこれが至極私的なことだったらどうだろう??
節約や体調管理や習い事では、失態が全て自分の身にだけ影響する。それに限らず、友人からの誘いや頼まれごとでも同じことだ。
さらに小さいところで言えば、雑談中のリアクション一つにも言えることだ。視点をそこまで細かくしてみて初めてこの"気分で左右されることの多さ"に気づく。
「バイアス」について広く深く、そして確かなことを書いている本『Fast & Slow(上・下巻) / Daniel Kahneman』では、気分だけに限らず環境という外部からの情報によって我々の思考や判断に偏りが生じることについてを明らかにしている。
かれこれ結構長いことこの「気分の上下によってブレる意見主張言動のどこに自分らしさの根拠を求めれば良いのか」と疑問に思っていたが、書いていて気づいた。
結局は、「自分がどういう風でありたいか」というものを明確にし、気分が良かろうが悪かろうが疲れていようが眠かろうが…つまりはいかなる時もブレない"意志の強さ"が肝要なのだと。
そのためには、自分のやる気や言動がブレそうになっている時にその原因について知るべきだということ。