鳥無き里の蝙蝠☆改

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【読書感想文】『子供は40000回質問する / イアン・レズリー』

2017-03-27 13:42:38 | 感想文

>>「好奇心は、"不整合"から生じる」
「好奇心は、"情報の空白"に対する反応である」
情報の量が多すぎる場合と少なすぎる場合には好奇心が減る。
知識に対する自信が不足している場合と自信が過剰な場合にも好奇心が減る。

不安と好奇心は非対称であり、相反するものである。
恐怖を感じている状況では、好奇心が生まれにくい。
不安の多い家庭環境で育った人間は、強い好奇心を持てない。

世界に名が轟くような偉人達には総じてこの好奇心が旺盛だった人物が多い。
好奇心が育まれていればいるほど人生は豊かになるし、自らを退屈や不安から解き放つことができる。

「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミは大事なことを一つ知っている」
キツネは、攻撃してくる相手から、独創的だが骨が折れる様々な方法で身をかわす。
ところがハリネズミは、確実に有効だとわかっている一つの戦略を貫き通す。つまりうずくまって針を立てる。
思想家は誰もがこの二つのパターンに当てはめることができる。
著者曰く「しかし、キツネハリネズミの議論では、どちらになるべきかという二者択一になりがちだが、私たちはどちらか一方ではなくキツネハリネズミになるべきなのである。」<<


読了したのはつい先日。購入したのはもう数カ月以上前で、すっかり読み忘れていた本である。けれども、読み始めてみたら面白くて、気づいたらもうページ数がなかったので我ながらびっくりした。

この本は、これから育児に関わる全ての人たちに是非とも読んでもらいたい本だと感じたのが第一印象である。どんな分野でもいいので、好奇心を持ってスタートを切ることができれば、以降の人生で好奇心の有無が周囲との差にも繋がるうえに、退屈を感じる機会を減らすことにも繋がるからだ。というのも、戦前のような騒がしくて忙しくて荒れた時代であればこのようなことは言えなかったかもしれない。なぜなら徴兵や労働のほうをまず優先されることが多くなっていただろうからだ。比べて平和な現代であれば、10人のうち2、3人は働かなくても充分な衣食住を得られる。それだけ余裕があるのならば、今や先を急ぐよりもこの瞬間を充実させることもできよう。優秀で自発的に研究や発明をする人も必ず現れる。労働はその多くが機械に任せられるようになり、現代人は過去よりも多くの時間を得ることができる。それなのになぜ切迫しながらも労働をしなければいけないのかといえば、消費による快楽や贅沢に時間とお金を費やしすぎているからである。

「楽しむ」というのもまた一つの技術であると仮定するのであれば、多忙で不健康で貧乏な人はそれが不得手なのだと言っても過言ではない。たとえばこうしてブログを書いている俺だが、PCとインターネットさえあればこの趣味に必要な金額は¥0である。書籍代はかかっているが、毎日一冊買うわけでもあるまい。どんな種類の快楽だろうとも、それを快楽として一括りにするのであれば、どれも代替が可能なのだ。何かに没頭していると寝食を忘れる。未だに飽きないほど美味しいあそこのラーメンを食べに行きたいという欲求を忘れることができる。不要なカロリーを摂取して肥満を進行させなくて済む。例えば読書に支払うコスト(集中力、書籍代、読む時間)と、ラーメンを食べるために支払うコスト(食事代、向かう時間、帰る時間、交通費)が同じだった場合、知識と満足度を得た前者とただ単に腹が膨れた後者とでその一日にどれだけ差が生まれるだろうか。

コスト(金銭、所要時間)が同じならば満足度の高いほうを選ぶべきである。もしくはメリットの大きいほうを選ぶべきである。書籍による情報収集は、違法アップロードが当たり前となった昨今でも全文がまるまる掲載されていることは殆どありえないので、直に手を取り目を通すには然るべき金銭を支払い購入する以外の方法は、立ち読みなどしか無い。映画鑑賞も、映画館という巨大スクリーンと密閉隔離された暗室は別荘を簡単に購入できるぐらいの収入がなければ手に入らない。それらに比べてラーメンというのは、食事である以上その満足度はいくらでも代替が可能である。無論ラーメン通の場合は例外だが。

代替ができないものにコストを費やすのは賛同できるが、その反対は賛同できない。目をつぶって食べたら違いがわからないようなら高級食材を食べる価値はない。過剰な糖分を必要とする状況が頻発することはないので猛暑日のポカリスエット以外のジュースを飲む必要性は極端にいえばかなり低いと言える。

主観だが、人々は本当によく食事・飲酒を筆頭に一時的な快楽にコストを支払う。巨大プロジェクトを進行中、多忙の中束の間の休息の際には必要な時もあるかもしれないが、庶民がそういった状況に置かれるとは考え難い。休暇であればよし。しかしそれらが楽しみの中心となっているようではあまりに趣がない。

とにもかくにも、なぜそこまで知的活動以外の娯楽を否定するのか。好奇心至上主義と言われても否定はできないのだが、実際人生において好奇心を持つことのメリットが絶大であると言わざるをえないのだ。

好奇心には、不安や悲観や退屈を意識の外へ追いやる力がある。その果てにはもしかしたら富や名声があったりするかもしれない。好奇心が絶対条件かどうかはともかく、いずれの偉人達の多くに備わっていたことは間違いない。

「気になる」という気持ちが、退屈だった会話に彩りを与えることもある。それは会話だけではなく何十年も目にしていたはずの見慣れた景色だったり、日常そのものだったりするかもしれない。これから子供を育てる人たちにとっては、彼らの愛子の将来に明るい未来を与えるかもしれない。

なぜなら好奇心さえあれば、学習の仕方や教科書なんて与えなくとも自ら探し周り自ら成長していくようになるからだ。そんな万能アイテムの存在を知らずに生きることはもはや愚か以外の何物でもないということを教えてくれた一冊である。
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