今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

久能山東照宮 その2(静岡県静岡市駿河区根古屋)

2017年06月24日 | 神社・仏閣
久能山東照宮
徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によって埋葬された
元和2年(1617)2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された
3代将軍・家光の代になって久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂、神楽殿、鐘楼、五重塔、楼門が増築された

玉垣(重要文化財)
玉垣は御社殿の周囲にめぐらされた垣
玉垣腰に92枚・渡廊下腰に14枚・計106枚の彫刻があり、それぞれ一枚の板を彫り上げた透彫
御社殿の入口になる



御社殿(国宝)
御祭神徳川家康公をお祀りする「本殿」と参拝をするための「拝殿」を「石の間」で連結した「権現造」と呼ばれる様式






拝殿の内部



本殿東側



本殿西側
極彩色の建造物に違和感をもっていたが、何故か東照宮独特の色づかいにはいつも魅了される



西側壁画






御社殿全景



この場所から記念撮影をする人が多い



廟所参道(重要文化財)
廟門から神廟までの間をつなぐ参道。厳かな雰囲気が漂う



神廟(重要文化財)



創建当初は木造桧皮葺の造りであったが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光により現在の石造宝塔に造替された



宝塔の高さは5.5m、外廻り約8m。神廟は家康公遺命により西向きに



西には両親が子授け祈願の参籠をされたという鳳来寺があり、さらに西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康誕生の地である岡崎城がある



家康公愛馬之霊所
家康の愛馬を埋めた場所



「金の成る木」
金の成る木について家臣に問われたところ、家康は自ら三本の木を描き「よろず程よ木」「志ひふかき(慈悲深き)」「志やうぢ木(正直)」これを常々信用すれば必ず富貴が得られよう



楼門に戻る



表側左右の格子戸内の随身






この日は雨予報であったが、その心配もなくなり参拝者が午後になり増えてきた。



徳川家の家紋の「双葉葵」
調べてみると、葉っぱが2枚、近くにつくところから「双葉」の名になったとのこと
徳川家の家紋(葵の御紋)は、この葉が3枚使われたデザイン



撮影 平成29年5月14日

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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綺麗な写真ばかりです (OTETSUDAI @)
2017-06-24 13:01:30
本当に美しいと感じます。皆さんが撮影する場所は一本の樹がお邪魔なかなって感じますがそれが全景をアップしているのでしょうか。
金の成る木…我が家の庭に欲しいですが大きすぎます。またその教えに従うことが無理な私の性格ですので断念します。
葵の御紋は霊園で多く見受けます。我が家の家紋は家紋帳にない特殊なものだそうです。適当に作ったものなのかどうかは分かりません。幾つかの紋を組み合わせたらしいです。
今日もありがとうございました。
金が成る木が欲しい (2014kurumatabi)
2017-06-24 14:14:56
御社殿全景の木は私の好みであえて入れました。あの写真では各門に女性をいれるため結構粘って撮ってみましたが結果不十分で反省しています。
金の成る木とか金運アップなどの言葉に弱く、つい真剣になってしまいます。楽して金を持ちたいとギャンブルをしていますが、思い通りにはなりません。
植物に興味が無く無関心なため、双葉葵というのを初めて見た木がします。確かに三枚になると徳川家の家紋になります。
後に静岡の人に日本平からの富士山が美しいと聞きましたが、この日はまったく見ることができませんでした。

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