江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

教員の長時間労働に拍車をかけているもの

2017-07-17 | 江戸川区教組
理数好きの子を育てるために東京都小学生科学展をやります!
小学生の応募を募ります!
ここまでは勝手だが、

必ず各地区から出展するように(都教委)
→必ず各校から出展するように(区教委)
→うちの学校からも出さないといけない(管理職)という話になって、最後は下っ端の私たちに負担がくる。
→ますます長時間労働に拍車がかかる。

こういう仕組み本当にどうにかならないかなと思う。


どこの地区でも強制があるのかは分からないのだが、強制しているところがあるのは事実だ。
募集すると言っておきながら、強制はおかしいし、理科好きな子どもがコンクールをやることで生まれると思わない。

理科好きな子どもは自然の中で遊んだり好奇心をもって色んな物をよく見たりする中で育つと思う。
それにこの科学展は、形式が型で決められており、自由研究の中から理科的なものを選ぶこともできず、出展するためには教員が締め切りの関係上、夏休みに前か夏休み中に指導しなければならない。

地域によっては保護者が手伝ってくれる家庭があるかもしれないが。
そんなことが望めない学校も多いだろう。
結果的に教員の負担増となる。
形ばかりが重視される。
一部のエリートを発掘するために、みんなにこういうものを強制しているだけじゃないだろうかと疑いたくなる。


自分の考えと事情を説明し、小学校科学展の指導について、「全くやる気がおきません。やりたくありません。」と言ったら、立場が上の人たちから、科学展への出展が強制になってしまうのはやむを得ないという事情やどうせやらなきゃいけないなら、前向きに考えた方がいい、力になる、協力するとか言われるから、面倒になって、やることにした。

学校の色んな人の協力を得ながら、校内で大々的に取り組むより、自分の自由に動ける範囲内でできるだけ楽しくやった方が負担にならない。
管理職は、どうせやるなら選ばれるような作品にしてあげたいとも言っていた。

ただ実験を楽しくやるならやる気がおきる(実際実験は楽しくやった)が、強制されるとやる気がなくなる性格なので、本当にどうしようもない。
おまけにこの小学生科学展は、形式に型があるため、自由度が低い。
子ども1人に負担をかけることもできないから、一緒にやる。
ただ、「子どものために」ということで、私たちの生活が犠牲になる。
そして1番立場の弱いところに皺寄せがいく。

こういう不満はどこにぶつければいいのか分からない。

強制されてきているものを子どもには強制にならないようにやらなければならない。
強制にならないようにやる。
こんな現場の苦労も知らず、ただ働きを下っ端の教員にさせていることも知らずに、紙っぺら(実際はメールで、紙っぺらを印刷するのは私たち)で、色んなことを強制してくる人たちに、怒りが湧いてくる。


こんなこと言ったら、「子どものため」を考えない仕事しない教員という批判をする人もいるかもしれない。
だが、やりたいことが何なのか分からなくなるくらいやらなければならないどうでもいいことが次から次へとおりてくる状況がある中、全部言われるがままやっていたら、本来やるべきこと、子どもと向き合うこと、授業準備などができなくなるのである。


こういうことが現場にはたくさんある。
問題は中学校の部活動だけでなく、教育現場の至る所に強制があり、どうでもいいことに労力を使い、疲弊させられていることだ。

毎年書かされる自己申告書。
みんな「何でこんなの書くんだろうね。意味ないよね。」と言っている。
管理職からは自己申告書の目標も数値化するように言われる。
自己申告書を書くことは時間の無駄と多くの教員が思っているのに、この時間の浪費をどの教員もしている現状がある。

今の教育現場の至る所にある強制されているものの中に、本当に必要なものが一体どれだけあるというのだろう。
本当に子どもたちのためになるものが一体どれだけあるというのだろう。
教員の長時間労働に拍車をかけている色んな強制を声に出して言えない状況を変えていかないとどうしようもない。

plan-do-check-actionか何だか知らないが、教育現場は、工場ではない。
教師と子ども、生身の人間同士が共に生活する場だ。
教師も子どもも色んな人間がいていいし、色んな人間がいるから面白い。
効率ばかり、学力ばかり、規律ばかり、形式ばかり求めるのはやめて欲しい。
広く社会に、教職員が働く職場である学校が、いかにブラック企業のようかを知って欲しい。


教育現場に、社会一般にもそうだろうが、自由が一体どういうもので、自由がどのように闘い取られ、また奪われてきたかを知らない人たちが多いから、今みたいな職場の状況になっている気がする。
闘いの歴史を学ばないと大変なことになる。


岡林信康の「それで自由になったのかい」を思い出す。

あんたのいってる自由なんてブタ箱の中の自由さ♪
俺たちが欲しいのはブタ箱の中でのよりよい生活なんかじゃないの♬
新しい世界さ🎶

<ブタ箱の中の自由は自由じゃない>
ジャンル:
学校
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ノウゼンカズラの夏に思う | トップ | 「人生フルーツ 風と雑木林... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。