江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「戦艦ポチョムキン」を観る

2016-09-12 | 随想
この夏、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督「戦艦ポチョムキン」を観た。

現職を退き、毎日が日曜日のようなもの……。
とはいうものの、日頃何かと気忙しい。
夏休みにこそと、かねてより観たかった「戦艦ポチョムキン」のDVDをレンタルしてきた。









90年以上も前の無声映画(サイレント)であるが、字幕が情況を的確に物語る。
さらにモンタージュ手法やカットバック手法が駆使され、緊迫感あふれ、臨場感に満ちた作品となっている。
なつかしの映画評論家の淀川長治さんが「映画史上1、2の傑作」と評しているのも頷ける。


作品は1925年、1905年ロシア革命の20周年記念として作られ、オデッサ港で起こった戦艦ポチョムキンの水兵たちの反乱(1905)と、これに呼応したオデッサの街の人々の虐殺を描いている。


第1章 人々とうじ虫
ことの発端は、至るところにうじ虫が湧いている食用の肉である。抗議する水兵たちに、
「何の問題もない。上等な肉だ!」
と言い放ち、獣医はスープにもちいて煮込ませる。
水兵たちはスープを飲むことを強要されるだけではなかった。

第2章 甲板上のドラマ
スープに手をつけようとしなかった水兵たちを司令官は銃殺しようというのだ。

「目標帆布~射撃用意!」
帆布を被らされた水兵たちに向けた衛兵たちの銃身の先は震えている。

「兄弟!誰を撃つ気だ!」
社会主義者のワクリンチュクの叫びに、衛兵たちは、はっと我に返り、仲間に向けた銃身を権力者に向け直す……。
乗組員たちは、ついに戦艦ポチョムキンを制覇。  

第3章 死者の呼びかけ
闘いのリーダーのワクリンチュクが銃弾に倒れる。
ポチョムキン号はオデッサ港に入港、彼を弔う。
前日、港湾のストライキが起こり、戒厳令が出ていたオデッサ。
街の人々は、死者を悼み、歓呼の声で反乱軍を迎え、街と戦艦は蜂起の数日を共に過ごすのだった。

第4章 オデッサの階段
現地司令官はコサック兵を派遣し、オデッサの人々を無差別に銃撃して虐殺した。
銃弾に倒れる男。
撃たれた子どもを踏みつける兵士。
ライオンの像と階段を駆け下りる群衆。
鉄砲をかまえて、デンデン デンデンデンデンと
横一列で階段をかけ降りてくるコサック兵。
母親が撃たれたために階段を疾走する赤ん坊を乗せた乳母車。
カットバックという手法で「オデッサ階段の虐殺」の場面が
恐ろしいほどのリアルさで描かれる。

第5章 艦隊との遭遇 
ポチョムキン号は上陸を踏みとどまり、航行。
水平線上に艦隊発見。
兄弟だ!
同志を迎える歓声が響き渡った。
 
映画は、希望にむかって幕を閉じた。
ソヴィエト政権成立後にロシア革命の成功を賛美するために作られたもので、実際の事件のすべてを描いているわけではないという。
としても、「戦艦ポチョムキン」はやはり傑作であり、いま見る価値が十分あるように思う。


いま、わたしたちが不安になっていることは……。
人権が侵害されるような貧困の問題。
「上官はうじ虫のスープは飲まないであろう」格差の問題。
オデッサの人々を背後から虐殺した、軍隊と武器の問題。
子どもも赤ん坊も、戦時下では真っ先に踏みにじられ、守ることがかなわないということ。


映画を観ながら、背中からうす寒さが押し寄せてくるような気分だった。
「6人に1人の子どもが貧困」のわが国。
安保法制の下で、「戦争をする国」になろうとしているわが国。わが国の現在を思うと、「オデッサ階段の悲劇」がとても他人ごととは思えない…。
映画のごとく、希望にむかって幕を開けたい。
いかに?


<K>

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