江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

あの時の「教え子」たち (1) 気負いばかりで…

2016-12-29 | 随想
「オレ、先生の授業って何も覚えていないんだよね。」
「そう言えば、私も…。」
「なんか、いつも遊んでいた様な気がするんだけど…。」
「そうそう、授業中にはしょっちゅう脱線して、色々な話をしてくれたことはよく覚えていますよ。」
「面白い話をね…。」
「何の教科をしていたのか忘れたけど、いつも世の中の話をしてくれてましたよね。」

先日、40歳になる墨田時代の「教え子」たちとの飲み会での話だ。
私の授業内容は記憶にない、という話が口々に出たのである。
正直、ショックだった。


30代にさしかかり、初めての異動で念願の墨田区に配属された。
これで、本格的に教育労働者としての組合活動ができると意気込んでいたものだ。
何しろ 、それまでの江東区では「教師聖職論」が大手を振っていた時代だったからだ。

聖職論から発する「スト否定路線」には与せず、他の労働者たちと連帯する原則的な組合運動を標榜する墨田教組には心から惚れ込んでいた。
自分もその中で仲間と同様に、日教組が掲げる「教え子を再び戦場に送るな」の実践をしよう…、と意気込んでいたのだ。

当時の実践記録は、毎週のように発行していた学級通信にそれなりに具体的に記されている。
一部を紹介したい。

ある日の道徳の授業に取り上げたのは、岡真史詩集「ぼくは12歳」の一節だ。



見せかけより 中身で勝負したい

6月28・29日と、ぼくは箱根へ祖母や父母と旅行した。とてもおもしろく、わりあいと天気にめぐまれていた。
ぼくは、29日に箱根の美術館で中国のつぼやさらを見た。赤や青のきれいな物、とてもすべすべのものがあった。
しかし 、もっともよかったのは、あらけずりで色のはげているつぼである。それは長い間のしれんなどにたえてきたりっぱなつぼだ。見せかけはきたないが、今までのこっているという風かくがあった。
ぼくもあのように見せかけより、 中身でしょうぶしたい。


私は、この岡真史さん(12歳で自死した少年)の詩を板書して子どもたちに書きとらせることから授業を始めた。
「見せかけより中身で勝負したい」ということの意味を深く考えさせた。
私たちの日常生活の中で、見せかけとは何か、中身とは何かを話し合った。
そして、その中身をいかに作っていくのか…、それを今後の大切な課題にしよう、ということで授業を締めくくっている。

話すことが大好きな子どもたちだったので、ほとんどの授業で彼らの発言を取り上げながらの学習だったようだ。
もっとも、記録によると私の熱い想いが先行して、何とかまとめようと気負っていた節はある。
今、振り返ると恥ずかしい限りだ。


〈M〉

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オスプレイ飛行再開反対! 12... | トップ | あの時の「教え子」たち (2)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

随想」カテゴリの最新記事