誹謗・中傷・罵詈雑言・承り処

私のホームページを見て、講評、批判を受け付ける場。

日本人として忘れてならない日

2012-12-08 17:00:58 | Weblog
今日は12月8日。
今日がどういう日だか知っている日本人は果たして何人いるのであろう。
本日の朝日新聞には特別の記事としては何の記述もなかった。
ただ「天声人語」には1行「71年前」という言葉が載っていた。
そう、71年前の今日、日本はアメリカに対して戦争を仕掛けて、その結果として我々は奈落の底に自ら転がり落ちるきっかけとなった日である。
近年中国では反日感情が昂ぶって、先の尖閣諸島の問題でも中国側ではナショナリズムが昂揚して、それが大衆の暴動にまで行きついたが、その背景には愛国教育と称する反日教育があったわけで、国が意図的に間違った歴史認識を植え付けようと画策していた。
ところが我が国は、戦後67年間というもの、自分たちの国の歴史を教えることをしてこなかったので、その意味で外国の同世代のものと話が通じ合わない。
明治維新から日露戦争まで36年間、日露戦争から対米戦まで37年間、戦後我々は67年間も、血で血を洗う抗争を経験していないが、歴史から教訓を学ぼうとしない民族は、きっと近い将来にユダヤ人やジプシーのように自分の祖国というものを失ってしまうに違いない。
祖国を失っても、ユダヤ人、ジプシー、華僑に見られるように、生物学的には生を維持し、生きては行けるので、そういう選択を迫られる時期が近々に来るやもしれない。
主権国家という概念を持たなければ、領土の意味も喪失し、民族の誇りも名誉も何ら価値を持ち得ず、自然の摂理に従って自然淘汰されるに違いない。

お祭りの考察

2012-10-21 14:35:02 | Weblog
昨日に引き続き、今日も朝から好天気に恵まれたので、市主催のお祭りに行ってきた。
自転車で20分ばかりのところなので、加齢の進んだ私には丁度手頃な暇つぶしである。
で、昨日と同じように庁舎内の舞台で、幼児のダンスを見たが、本日はフラダンスが演じられていた。
それをしばらく見て市民会館の方に行ってみると、ここでもダンスをしていたが、どういうわけかここでもフラダンスであった。
フラダンスも良いけれども、幼気ない子供に大人と同じことをさせるのはどうにも感心できない。
小さな子供にも大人と同じことをさせて、家族だけで楽しんでいるだけならば、それはそれで頬笑えましい光景であるが、それを公衆の面前させるとなると、大人の側の企画者のセンスというか、倫理観というか、文化・教養の度合いの問題に帰するように思えてならない。
幼稚園児に着せ替え人形の服を着せて、人前で芸をさせるということは、ペットの犬やサルに芸をさせるようなもので、犬やサルの芸ならば笑って見ておれるが、人の子ともなるとそうはいかない。
この感覚、このニュアンスが理解できない大人が、こういう企画を考えているに違いなく、自分の子や孫が可愛い事は判るが、それが見世物になっていることの不合理さに鈍感になっているということだ。
ハワイアンならば動きも優雅で、のんびりとしたものだから、さほど違和感はないが、これがその後に演じられたチア・ダンスとなると音楽もヘビーメタになってくるわけで、あの音楽で幼稚園児に大人と同じことさせる神経は、私には理解しかねる。
たかがお祭りの余興の出し物で、アマチュアの自己顕示の場とはいえ、小さな幼子をペット並みに扱って喜ぶ大人の神経が不可解である。
私も長く生き過ぎたというほどでもないが、お祭りを見ながら文化を考えた。
昨日見たフラメンコはスペインの踊りであって、今日のフラダンスは言うまでもなくハワイの踊りである。
日本にはフラメンコもフラダンスも同時に存在している点が何とも不可解に思える。
ならばスペインに日本の「ドジョウ掬い」や八木節、五木の子守歌、津軽三味線があるであろうか。
ハワイにも同じことがありうるであろうか。
日本には世界のマイナーな踊りや音楽が数えきれないほど入ってきているが、日本の文化はそれと同じだけ世界に進出しているのであろうか。
スペイン人が日本の「ドジョウ掬い」を演じたらどうなるのであろう。
ブラジルのカーニバルに日本の阿波踊りの連が出演したらどうなるのであろう。
イタリア人が八木節を演じたらきっといい演奏ができるような気がする。


フラメンコ・ダンス

2012-10-21 13:29:55 | Weblog
先週は町内のお祭りであったが、今日は春日井市のお祭りに行ってきた。
これは何の役目もついていないので純粋に見るだけで、お祭りの様子をゆっくり観察することができた。
予め広報で調べておいたので、目的の会場に直行して、そこで始まるのを待っていた。
市庁舎の中で行われるダンスを見ようと思った。
ジャズ・ダンスだとかヒップホップ・ダンスだか知らないが、ああいうものを幼稚園児のような小さな子供にさせるということは、親なり、教える側のセンスが疑われる。
子供の方は、教えられたとおりに健気に体を動かしているが、あれでは完全に大人のコピーであって、ミニ大人を作っているようなもので、その創造性に疑問を感じる。
大人と同じことを幼児にさせるということは、子供にっては酷なことだと思うが、それに気が付かない周りの大人は、如何にも現代の人間らしい在り様だと思う。
如何なる文化も、最初は模倣から始まるのであろうが、それを小さな子供に押し付けるというのは、大いに考えさせられた。
ダンスそのものは小さな子供とはいえ上手にこなしていたが、その衣装といい、ヘアスタイルといい、全て大人のバイアスが掛かっているところがいじましい。
大人の擬態のようなガキの踊りの中にも、フラメンコのダンスがあったが、これは完全に大人のもので、黄昏かけた大人が安心して眺めておれる出し物であった。
ただ舞台が、コンクリートの床に薄いフェルトを敷いたような状況で、フラメンコの踊りには最悪の舞台ではなかったかと思う。
フラメンコと言えば、足で床を叩きだす音も、音楽の一部なのに、その部分がコンクリートの床では、出すべき音が出せなかったので、ダンサーにとっては最悪のコンデイションではなかったと思う。
それに彼女たちはカスタネットも持っていなかったが、これは一体どういう事なのであろう。
私にとってフラメンコと言えばカスタネットがついて回るので、不思議でならなかった。
タップを踏んでも床からの反響の無いフラメンコ・ダンスでは、気の抜けたサイダーと同じで、価値が半減していると思う。ダンサーが可哀そうだ。
映画『裸足のボレロ』の中で、田舎の木の下のダンスのシーンが頭の中を横切って行った。

時計は見ていた

2012-10-03 10:14:34 | Weblog
 昔々、三菱航空機という会社があって、あの第2次世界大戦の時には海軍の新鋭機、零式戦闘機というのを作っていた。
零式戦闘機は総数で1万機ほど作ったという話であるが、三菱航空機で作ったのは3800機ぐらいらしい。ところが、そういう戦闘機を作る工場は敵側にすればまことに困った存在で、攻撃目標の筆頭に上げられても致し方ない。
それで定石通り、アメリカ軍の攻撃目標にされて大規模な空襲に見舞われた。
ところがここで働いていた人たちは、普通の成人の工員はその大部分が兵役に取られて出征してしまっていたので、それを補完すべく若い学生や女学生たちで埋め合わせされていた。
これを当時の言葉で「学徒動員」と言い、「女子挺身隊」と称していたが、敵側にすれば軍需工場を攻撃することが戦争に勝つ一つの方法でもあったわけで、情け容赦なく爆弾の雨を降らせた。
当然、その下では数えきれないほどの犠牲者が出たわけで、その大部分が学徒動員の学生であったり、女子挺身隊の女学生であったわけだ。
この写真の時計台はおそらくその時の状況をつぶさに見ていたに違いない。
このビルディングは三菱航空機の工場の本館であった。
67年前、このビルの時計は、空襲の炎と、逃げ惑う若い学生や女生徒の姿を見ていたに違いない。
その同じところから67年後の今、再び新しい飛行機が世に出ようとしているが、今度の飛行機は戦争のためのものではなく、人々の幸福追求のための旅客機である。
後世に幸あれと願うばかりである。

中国の品格

2012-10-01 18:09:35 | Weblog
私事であるが今、塩野七生女史の『ローマ人の物語』という本を読んでいる。
『ガリア戦記』の部分に来て、ヨーロッパのフランスあたりの紀元前前後の様子が縷々述べられているが、この時代、この辺りのフランスは、ガリア人という野蛮人の群雄割拠する場であって、当時の文明人であるローマ人からすれば、討伐の対象にあたる地域であったらしい。
我々の感覚で分かりやすく言えば、アメリカの西部劇と同じで、西洋の白人がアメリカ大陸のインデアンを、西へ西へと追いやる図と同じである。
これを見ても判るように、人間は如何なる未開人も単独では生きられないわけで、他との連携の中でしか生きれないことは論を待たない。
人が他の人と関わり合って生きるということは、他者との間に何か共通の認識、あるいは価値観を共有することがなければ共存共栄はありえない。
自分と同じ集団の中では、お互いに共通の価値観を共有しなければ、共同生活は成り立たないわけで、その意味で仲間内にはミニマムのモラルが醸成されるのが普通だと思う。
例えば、隣の人のものを盗ってはならないとか、借りたものは返すとか、人の嫁さんと姦通してはならないとか、という社会的規範が自然発生的に生まれると思う。
だがこの規範は、隣の人間集団・隣の部族には及ばないわけで、ここである集団ともう一つの集団との接点では摩擦が起き、トラブルが生じるのは極々普通の人間の在り様だと思う。
シーザーの『ガリア戦記』の時代ならばそれもゆるされるが、それから2千年も経た20世紀では、そんな大昔のことがそのまま通るわけがない。
しかし、アジア大陸の奥地、中国の奥地では、人間の営みは2千年前とほとんど変わっていなかったわけで、中国ではそういう地域と西洋となんら遜色のない都市が同時に存在している。
この文明のマダラ模様が人間の思考の中にもそのまま潜在化しているように思う。
人間の生き様の中では、「人は如何に平和に暮らすか」ということを常に考えて、それに効果があると考えた思考を、その他大勢の人にも知らしめようと思い、それを体系化し、それをある思想として集大成したものがある。
それがそれぞれの信仰であり、あるものは仏教であり、あるものは儒教であり、あるものが道教であり、ヨーロッパではそれがユダヤ教から派生したキリスト教であり、イスラム教になった。
如何なる宗教であろうとも、基本的な原理は共通しているわけで、自分の親を敬い、兄弟は仲良く、年長者を大事に、等という人間ならは極普通の在り様を否定する宗教はありえない。
宗教が違っても、人間としての究極のモラルは共通しているわけで、それがいわば共通認識になっていると考えられる。
自分の親を蔑にして良いという宗教はありえないし、隣のものを盗んで良いという宗教はありえないし、姦通を奨励する宗教もあり得ない。
こういう一般的な常識を踏まえて中国という国を眺めてみると、中国にはこういう人間としての基本的な共通認識を欠いた部分が目に余る。
中国、中華人民共和国は1949年10月毛沢東によって建国されたが、その後1966年昭和41年から1977年昭和52年の間に、中国、いや支那の価値観は根底から破壊されて、ここでアジアに住んでいた太古から連綿と引き継がれた支那人の魂は昇華してしまった。
毛沢東は中華人民共和国の建国の理念というよりも、建国の主体としての人民解放軍の健軍の理念として、3大規律8項注意というものを掲げていた。
こういうスローガンを掲げなければならなかったということは、この人民解放軍の主体というのが無学文盲の無頼漢の集合であった、ということを指し示しており、それを教育するための苦肉の策としての啓もう手段であったわけだ。
人民解放軍という人の集団には、人類の英知としての普通のモラル、人が人として連携するための倫理観、共通認識というものが存在していなかった、ということを露わにしている。
だからそれを説くためのスローガンであったわけだ。
我々日本人は、中国といえばわが日本文化の源流、本流と思い込んでいたが、それは中国のほんの限られた一部を見ていたにすぎず、盲人が像を撫ぜる図でしかなく、中国の大部分はまさしく未開の野蛮人そのものであったわけだ。
毛沢東の長征という大遠征は、こういう未開の地から共産党に忠実な若者を引き抜いてきたわけで、そういう人たちを曲がりなりにも軍隊の組織として見せるためには、3大規律8項注意でもって、近代人の振りを演出をしなければならなかったのである。
ところが革命から17年も経過すると、それらの2世の世代がモノを言うようになって、親の世代を批判するようになり、それが文化大革命であった。
ところが、この中国の建国の理念と、文化大革命の思考転換が中国の歴史としての価値観や、倫理観や、常識を根底から覆してしまったので、今の中国では普通の普遍的な常識や倫理観が存在せず、現代の衣装を着た野蛮人に成り代わってしまって、極めて自然人に近い思考回路になっているということである。
どんな人間の集団でも、その集団の仲間がみて、好ましい立ち居振る舞いとか、好ましい思考回路とか、見習いたいモノの考え方というのはきっとあると思うが、その反対に好ましくない立ち居振る舞いや、嫌われても仕方がないモノの考え方というのもあるはずである。
これを我々日本人は品とか、品位とか、品格という言葉で言い表しているが、中国人には我々の言うこの品とか、品位とか、品格という価値観は全く存在していない。
なにしろ中華4千年とも5千年ともいう悠久の歴史を経た過去の価値観を、共産主義革命とその後の文化大革命で見事にご破算にしてしまったので、恥も外聞も文字通り捨て去ってしまったということだ。
2012年9月27日中国楊外相の国連総会で、尖閣諸島に関する発言もその最たるもので、実に品位に欠けた論旨でしかなく、恥も外聞もかなぐり捨てた、一方的な自己主張のそのものである。
国連という厳かな雰囲気の場で、日本の国家主権を踏み躙り、明らかに日本をあなどった態度の発言は、人間としての品性を欠く態度であって、それのみならず国家としての品位も同時に問われている筈で、そのことが理解しきれないという意味では、極めて野蛮人に近い野生人ということになる。
国連という世界注視の場で、「盗んだ」と言い方は、あまりにも品位を欠いた文言だと思う。
数年前、呉儀という中国副首相の女性が、日本に対して暴言をまき散らしたことがあるが、これらも明らかに品位を欠いた立ち居振る舞いで、今の中国にはこういう品位という価値観が存在していないというれっきとした証拠だと思う。
我々には「実るほど首を垂れる稲穂かな」という言葉があるが、今の漢民族にはこういう価値観は完全に喪失してしまっている。
因みに3大規律8項注の3大規律とは、
1、一切指揮に従って行動せよ。
2、民衆のものは針一本糸一筋も盗るな。
3、獲得したものはすべて中央に提出せよであって、
8大注意とは。
1、話し方は丁寧に。
2、売買はごまかすな。
3、借りた物は返せ。
4、壊したものは弁償しろ。
5、人をののしるな。
6、民衆の家や畑を荒らすな。
7、婦女をからかうな。
8、捕虜を虐待するなとなっているが、呉儀副首相や楊外相の立ち居振る舞いは、完全に3大規律8項注意の8項注意の第5の項目に抵触しているわけで、それを中国国民や本人はどう考えているのであろう。
世界の諸国家が近代化を成す時には、国民を啓もうする意味でのスローガンが必要なことは洋の東西を問わず、日本でも同じように近代化の指針を示すべきスローガンがあった。
それが教育勅語であるが、この教育勅語と中国共産党の3大規律8項注意を比較検討してみると、中国のスローガンの方が極めて具体的で開明的な文言となっている。
日本の教育勅語を同じスタイルで列挙してみると
1、親に孝行、
2、兄弟は仲良く。
3、夫婦は仲睦まじく
4、友達は信じ合いましょう。
5、自分の言動を慎み
9、人格の向上に努めましょう。
10、世のため人のためにつくしましょう。
11、法律を守りましょう。
12、勇気をもって国のために尽くしましょう。
となっており、その内容はかなり抽象的に世情の倫理観を説き、人格の向上を狙った趣がある。
中国のスローガンは『ガリア戦記』の野蛮人に切々と文明を説いている感がするが、日本の場合は既に文明を会得した人に向かって、更なる向上を願っての問い掛けをしているように私には見える。
中国の8大注意の内容は、人としての極々当たりまえの倫理観であって、中国共産党は長征の途中で集まって来た無頼の人々に対して、この点から説かねばならなかったが、日本の場合は国土が狭い分、文化文明も均一化されていたので、そのレベルを飛び越えて、もぅ一段上の倫理を説く必要があったと解釈できる。
しかし、21世紀に中華人民共和国というのは革命から半世紀を経ているわけで、革命の理念を大部分の人が見失ってしまって、元の野蛮人に戻ってしまっているが、物質文明だけは後戻りできないので、結果として野蛮人が近代的な兵器を持った構図になっている。
自分たちの武力が相手、つまり日本よりも巨大で強いとなると、それを背景に居丈高な振る舞いになってくるわけで、それを戒める言葉が8項注意の中の5項目の「人をののしるな」にあたるが、彼らにはもうすでにこのスローガンそのものが忘れ去られているに違いない。
あの10年にも及ぶ文化大革命は、中国の4千年とも5千年ともいう価値観を完全に全否定してしまったので、捨て去られた中には中国共産党の結党の理念、建国の理念も、きれいさっぱり捨て去られたに違いない。
残ったのは赤裸々な自然人としての思考のみで、究極の自己愛、自己弁護、自己利益の追求のみで、彼ら中国人の存在そのものが地球規模で諸悪の根源になっている。
13億の心理的野蛮人が世界を侵食しているのである。
21世紀の地球で、中国人の一人もいない国、地域というのはありうるであろうか。
我々日本人から中国を眺めると、どうしても文化文明の上流という意識が抜けきれずに、遠慮がちに腰の引けた対応になりがちであるが、この日本人の美徳を弱腰とみてあなどってくるのである。
我々は、中国人を信用してはならないということが頭ではなんとなく判るが、現実にはそれを直截に実践することに躊躇してしまう。
要するに、中国人を見る目が甘いということである。
だから「庇を貸して母屋を盗られる」ということになるのである。
中国に進出した日本企業の在り様を見れば一目瞭然であるが、そんなことは進出する前から自明なことで、それを知りつつ進出したということは、完全に日本企業の自己責任である。
8項注意の中には「壊したものは弁償する」ことが謳われているが果たしてどこまで実践されるであろう。
中国を信じる方がバカだ、というれっきとした事例ではないか。
福沢諭吉の『脱亜論』をよくよく吟味して読み返してみるべきだ。
しかし、中国が日本の隣国である現実は変えようがないわけで、こういう価値観の合わない国と如何に付き合うかという問題は、今後の我々にとっても実に悩ましいことである。

応援のシュプレヒコール

2012-09-30 11:12:54 | Weblog
昨日、小学生の孫の運動会を見に行ってきた。
秋晴れの良い天気で子供たちはのびのびと運動会を楽しんでいた。
平和な秋のひと時であったが、私にはいささか考えさせられる一幕があった。
というのは徒競走で一生懸命走っている子供の姿を見ようと、1年生か2年生と思われるくらいのクラスの横に行った時、彼らの応援のシュプレヒコールが「オスプレイカエレ、オスプレイカエレ」というものであった。
最初のうちは何を言っているのか理解できなかったが、よく耳を澄まして聞いて見ると「オスプレイ帰れ!」と言っているようだ。
当人たちはその意味も分かっていないだろうし、先生も教えたわけではないと思う。
そのクラスの中に誰か一人ませた子がいて、沖縄の反体制運動の一環としてのオスプレイ配備反対の画面を見て、それを応援のつもりで大声で叫んだものが、グループ全体に広がっただけのことだと想像する。
テレビの画面に映ったことを、すぐに子供が真似をするということは、テレビ時代になってからは往々にしてあることで、そのこと事態は目新しいものではない。
しかし、考えねばならないことは、それが子供の世界だけのことではなく、大人の世界にも往々にしてあるという事であって、昨今の世相の混乱、混迷は、テレビというメデイアによって引き起こされているのではないか思われる。
対中関係も、尖閣列島の問題など、テレビというメデイアによって明らかに拡大された節がある。
テレビの無い時代だってナショナリズムは大いに盛隆を極めたわけで、極端なナショナリズムがテレビの所為とばかりは言えないが、テレビの映像が世相を形つくるツールになっていることは確かだと思う。
我々が心しなければならないことは、テレビに映った映像を鵜呑みにして、自己の理解を深めたと思い違いをしてはならない、という洞察力の構築である。
テレビで放映された沖縄のオスプレイ配備反対のデモ隊のシュプレヒコールを、小学生が運動会で使っている分には頬笑んで見ておれるが、これと同じことを大の大人が演じているとなると噴飯ものである。
ところが、当人たちはそれに気が付かないところが悲しき現状である。
約40年以上前の反政府運動、反体制運動、例えば安保闘争、学園紛争の時代にも既にテレビはあって、テレビというメデイアはそれを克明に国民に知らしめた。
結果として、事の本質知らないまま、いや知ろうともせずにデモに参加し、自分は世直しに貢献した気分に浸っていた知識人、文化人、大学教授、学生たちがいたわけで、そういう人達が今社会の中枢を成している。
テレビ界のモンスター・田原総一郎自身が述懐している中にも、「日米安保条約の条文を読んだこともないのに、デモに加わっていた」と言っているので、他の人は推して知るべしである。
こういう、自分の脳で物事を考える行為を遺棄した知識人が世に跋扈した挙句が、日本の社会が混迷の極みに至ったという事だと思う。
昨年の東日本大震災で、原子力発電所で大きな事故が起き、大きな被害をこうむったから、「金輪際、日本では原子力発電をしない、禁止する」という発想は、まさしく子供の思考でしかないではないか。
目の前の現実に対して、絵に描いた餅を張り付けて、それを拝んでいさえすれば、災禍は防げるという発想は実にナンセンスそのものではないか。

NHKドラマ7『負けて勝つ』

2012-09-17 08:27:56 | Weblog
9月8日の土曜日からNHK TVで『負けて勝つ』というスペシャルドラマが始まった。
戦後の首相、吉田茂を主題にしたドラマであるが、戦後の歴史を知るにはうってつけのドラマである。
ところが既に戦後の歴史を知っているものにとっては、完全なるお浚いになるわけで、少々物足りないかもしれない。
昭和20年8月15日の玉音放送から物語は始まるのだが、一応8月15日に玉音放送が流れると、国民の間に虚脱状態の空気が流れることは十分に考えられることであるが、それにも増して、私の驚いたことには、まだ十分に機能していた内務省が、占領軍の上陸に際して、女性の貞操の擁護のために、性の防波堤を築こうとして画策したことである。
そういう事があったことは歴史上の事実として知ってはいたが、終戦時の状況をドラマ化するにあたって、そのことを真っ先に持ってくる感覚は、歴史認識の中にセックスの占める比重がかなり大きい、という事を指し示していると思う。
それを話題のとっかかりにするというセンスは、硬派のドラマの在り様にはいささか違和感が伴うのは私だけであろうか。
軍という組織、兵隊という人間の集団を、頭の中で思い描いたときセックスのことが真っ先に思い浮かんだ、ということはこのドラマを作る人たちの認識がそうであったということに他ならず、それは同時に終戦時の内務省の高官もそれと同じ思考をしたという事だと思う。
そして、その事実をドラ化しようとしたときにもそれが真っ先に来るということは、やはり民族の深層心理としての純潔尊重思考が抜け切れていないということではないかと思う。
敗戦が必定のものとなり、どうにも避けられない状況に至って、売春婦に彼女たちの貞操でもって、銃後の婦女子の貞操を護ろうという発想は、本土決戦でも以て国体を護るという思考と同じであって、この発想の陳腐さに、我が同胞の指導的立場にいた人たちは全く気が付いていない。
内務省の高官、特に警察を掌握していた所管課は、完全に無能力、無知を曝け出して、正常な思考回路を喪失していたということで、こういう人たちに指導されていた我々、銃後の人々は、たまったものではなかったという事だ。
戦後67年を経過した今日、戦後の状況を再現するにあたって、真っ先に占領軍用の特殊慰安婦、いわゆるパンパンの話から説きほぐすという発想は、セックス思考が抜け切れていないという立派な証拠だと思う。
確かに、昭和天皇の終戦の詔勅が発せられた後の、政府としての一番最初の仕事が、この占領軍用特殊慰安婦の設置に関する行動であったことは否めない事実であるが、この施策は半年もしないうちに占領軍の命令によって禁止されてしまった。
施行から半年もしないうちに、先方の命令で廃止しなければならなかったということは、内務省の見通しの悪さ、未来予測に稚拙さをそのまま表しているわけで、内務省たるものが如何に無知で阿呆であったかという如実な事例だと言わなければならない。
言うまでもないことであるが、『孫子の兵法』で言うところの、「敵を知り己を知る」という認識が如何に欠落していたかという典型的な例だと思う。
いよいよ敗戦を受け入れざるを得なくなって、アメリカ軍が上陸してくるという不安の中で、当時の指導者にとって、真っ先に婦女子の貞操のことが頭をよぎる、ということは一体どういう事なのであろう。
その前に、「もし戦争に負ければ、男はみな奴隷にされ、女はみな犯される」という宣伝が効きすぎて、その思い込の延長線上に、「貞操の防波堤」という発想が生まれたにちがいない。
そういう任務を強いられた売春婦に対しては、彼女たちの献身的で犠牲的な滅私奉公の忠誠心に大義をちらつかせて彼女たちの自尊心を大いに煽ったということだ。
それは前途有為な若者に、特攻隊を志願させる論理と同じであって、本人の愛国心に訴え、大義を説き、犠牲的精神を喚起させて、その嫌な役割を承服させていたという事なのであろう。
然し、あの時代、彼女たちには彼女たちなりの愛国心があり、奉仕の精神があり、民族の誇りを持ち、犠牲的精神があったわけで、彼女たちは春をひさぐという行為でもって、国家に殉じていたと言える。
だがそれは彼女たちの生きんがための選択であって、他に生きる術があればそういう選択はなかったかもしれないが、敗戦で占領軍が来るという時になって、婦女子の貞操に気を配る政府高官の思考を、どういう風に考えたらいいのであろう。
国家の危急の時に、こういう発想に明け暮れている我々の政府高官の存在というのは、それこそ対外戦争をする値打もない無知蒙昧な衆愚という他ないではないか。
そもそも日本が負けたら「男は奴隷にされ、女はみな犯される」というプロパガンは一体何であったのだということになる。
この特殊慰安婦の問題から離れて、我々、日本民族の政治感覚を真剣に考えると、我々の政治感覚のみごとなまでの稚拙さは一体何なのであろう。
対米戦の原因を真剣に考えた時、日本のアジア政策にあったことは言うまでもないが、日本のアジアに対する優越感というのは一体何であったのだろう。
私は個人的に小野田寛郎さんが好きで、旧日本陸軍の模範的な軍人の一人だと考えているが、彼も入営する前はシナで貿易業に携わり、あちこち渡り歩いたと本人が述べている。
ところが、この部分に当時の日本人の支那に対する共通認識が凝縮されているわけで、それはあくまでも富の草刈り場という認識であった。
若い小野田寛郎さんが、支那を富の草刈り場と認識していたということは、日本中の人がそう考えていたし、世界中の人がそう考えていたという事だ。
それに対して、当時の日本政府は、対応を間違えたわけで、その対応の間違いの本質は、自分たちの思い込だけに頼って行動したということで、相手の思惑を何ら考慮せず無視し続けたことにある。
それと合わせて、同胞であるはずの日本軍の独断専横に対して有効に対処しきれなかったこともあり、政府が軍をコントロールするのに失敗したところに、我が祖国が奈落の底に転がり落ちる遠因があった。
昭和の初期の時期に、軍が横暴を極めたということは事実であろうが、当然それにも遠因はあるわけで、それは大正時代の自由民権運動の陳腐化であったと思う。
それを言葉を変えて言えば、政党政治の自滅であったわけで、政党政治が混迷の極みに至ったので、民意が軍部に流れて、軍部が国民各層の欲求と希望を叶える具体的な存在と映ったのである。
政治の混迷こそが、我々日本民族の根源的な政治的稚拙さの象徴である。
21世紀における3年前の民主党の政権交代も、自民党の堕落に愛想が尽きて民主党を選択したら、民主党政権も自民党と同じレベルの政治感覚しか持ち合わせていなかった。
安易なポピリズムに走り、綺麗ごとの羅列で人気取りに走ったがゆえに混迷をきたし、そこを周辺諸国から突かれているのが現状である。
戦後67年間も国家存亡の危機を体験していない中で、生き馬の目を抜く国際社会を泳ぎ切るには、知恵と才覚が必要であるが、今の日本の政治家には、そういう政治的手腕を持った人材は皆無だと思う。
戦後の民主教育で育った政治家に、国際社会における切った張ったの修羅場を掻い潜る裁量のある人はいないと思う。
皆、美しい綺麗ごとを並べ、人に苦難を強いることを回避し、金をふんだん振りまくことには大声で賛成するが、額に汗して新しいものを築くという作業は回避しがちである。

中国の対日感情

2012-09-16 10:23:00 | Weblog
本日16日の朝日新聞の報ずるところによると、中国の50の都市で、尖閣諸島に対する日本の対応に抗議する反日・抗日のデモが起きたと言われている。
この事態は当然事前に予想されていたことだ。
日中国交40周年という事でもあるが、中国の民衆にとってそんなことは眼中にないわけで、そういう意味では彼等、漢民族の対日感情は有史以来、4千年も5千年も前からなんら変わることがない。
その事は、我々日本側も、肝に銘じて知っておらねばならないはずの事である。
ところが我々の側も、ついつい目先の利益に目がくらんで、そのことを忘れ、相手の本質を過小評価してしまう。
この部分は、我々の側の甘えでもあり、希望的観測でもあり、相手の本質に対する無知としか言いようがないが、それもある意味で人間の進化の行き着く必然的な結果ではある。
相手側には有史以来、「海の向こうの倭の国は、自分達よりも劣等民族だ」という認識が抜け切れていないわけで、その劣等民族が19世紀以降、自分たちの上位に立つことが我慢ならないのである。
この民族的な認識を連綿と維持するには教育しかないが、彼らはいくら体制が変わろうとも、その部分だけは維持し続けてきたという事だ。
それが民族性というものであり、この民族による固有の考え方は良し悪しの問題を超越して、不可避的な民族固有の思考であって、民族のDNAとして彼らの歴史認識が刷り込まれているということである。
理性や知性では如何ともし難いものであるが、同じものは我々の側にもあって、我が方の民族の固有の思考はCOOL JAPANとして、世界から賞賛されている。
その反面、政治的稚拙さというのも天下一品で、それが故に一度は祖国を灰燼に化してしまった。
新聞の報道にあるように、デモが暴徒化するという現象は、グローバルな視点から見れば、民主化の未熟な社会であって、日本でも戦後の一時期、デモ行進が暴徒化して喧騒な社会となり、革命前夜のような状況を呈したことがあったが、警察力に抑え込まれた。
この事実は、日本では法の施行が確立していて、造反有理という感情論が封殺されたわけで、法治国としての機能が正常に働いていたという事である。
今の中国のデモが暴徒化している理由は、反日・抗日が表向きの理由にはなっているが、その裏側には中国国民の自国政府への不満が鬱積しているわけで、デモの理由はたまたま日本がスケープゴートにされているにすぎず、デモの本音としては政府批判なのである。
尖閣諸島の攻防を、中国メデイアが自国の優位性を強調するあまり、過剰に愛国的な報道をすることによって、反日感情を煽ったつもりが行き過ぎてしまった、と言う事だと考えられる。
中国はいうまでもなく共産党の一党独裁であるので、メデイアのコントロールはいとも安易に行われるが、暴徒化した民衆をコントロールすることは、そう安易なことではない。
そもそもデモ隊が暴徒化すること自体が、如何に野蛮な行為かという認識が彼らには無い。
戦後の日本の数々のデモ騒動においても、本来、知的階級であるべき学生たちが、如何に野蛮な行為に現を抜かしていたことか。
この時にデモの先頭に立って騒いだ学生たちが、社会の中枢をなすようになって、日和見で八方美人的な綺麗ごとの文言を並べる政府になったので、中国や韓国はそこを突いてきているのである。
造反有理は感情論であって、法の支配する法治国では、造反有理などという手前勝手な論理が成り立つわけがない。
それが成り立つということは、その環境そのものが極めて野蛮な状況に置かれているということに他ならない。

昔の映画・『ウインチェスター73』

2012-09-15 08:59:59 | Weblog
ン十年も前、まだ思春期の真っただ中で、生意気盛りのころ、街中の映画の看板を見て、それがこの年になってもどうにも記憶から抜けない2、3の作品がある。
当然、その時にリアルタイムで見た作品もあるが、なにせウン十年も前のことだから記憶も定かではない。この『ウインチェスター73』という映画も、そういう例の一つである。
当時、リアルタイムで見た記憶があるかない自分でも判然としないが、ただ銃で硬貨の中心を射抜くシーンは記憶の中に残っていたので、遠い昔に見たことは確かなのであろう。
この映画を9月13日にNHK放映するというので早速録画しておいた。
で、改めてこの映画をじっくり見てみると、まさしく西部劇の王道をゆくものであった。
西部劇というと、私には先入観としてジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演というのが定番であったが、どうしてどうして、この映画も西部劇の全ての要素がふんだんに織り込まれている。
1950年の制作というのだから、考えてみればこの頃はまだまだ正統派の西部劇が一斉を風靡していた時期ではある。
昔の映画で、題名だけは覚えているが、見たのか見ていないのか、自分でも判然としない作品が結構ある。
つまり、映画の題名だけが強烈に頭の中にインプットされて、内容の方がそれについていけてないということだ。
例えば『黄金の腕』という映画があった。
題名だけが強烈に印象に残っていたので、後年、DVDの作品を探して購入してみたが、内容的にはそうたいした作品ではなかった。
ただフランク・シナトラがドラマーの役で出演していると言うだけのものであった。
それとは逆に『リバテイーバランスを撃った男』という映画は、当時その題名の長さで記憶に残っていたが、これは実に良い作品であった。
この作品にもジェームス・スチュワートが主演しているが、役柄としては全く正反対の性格を演じているのでその意味でも興味あるところだ。
『ウインチェスター73』の彼は、西部に生きる射撃の上手いガンマンであったが、『リバテイーバランスを撃った男』の彼は、射撃のド下手な弁護士で、暴力を否定しているが、暴力なしでは西部で生きていけれないわけで、そこをジョン・ウエインがフォローするという内容であった。
また記憶から抜け切れない作品に、『恐怖の報酬』という作品がある。
これはフランス映画でジャン・ギャバンが主演していた作品で、ストーリーは既に知っているがもぅ一度見てみたい作品であ

人間の傲慢さ

2012-09-14 17:49:18 | Weblog
人間の傲慢さ
9月14日の朝日新聞10ページ国際版の中の記事で、「女性は手にできないのか」というタイトルで、アメリカ国務省クリントン長官の下で働いていたキャリアー・ウーマン、その名をアンマリ―・スローター女史が、雑誌に「仕事と家庭の両立はむり」という内容の論文を発表したとして取り上げている。
アメリカでもキャリア―・ウーマンとして、仕事と家庭を両立させることは極めて難しいということを露呈させたわけだが、そもそも「仕事と家庭を両立させる」という考え方そのものが人間の傲慢だと思う。
それは、仕事の意味から考え方を掘り下げて、「仕事とは何ぞや?」という設問から考え直さねばならないと思う。
大昔の人間は、生きんがための仕事を男女で役割分担していて、男性のすべき仕事と、女性のすべき仕事が暗黙のうちに役割りが分かれており、それについて女性側から何の苦情も出てこなかった。
ところが社会が近代化して、文明が進化すると、仕事の場が組織化され、人は外に出てサラリーを得、そのサラリーで自分たちの生活を維持しなければならなくなってきた。
だとすれば、サラリーが多くなればなるほど、自分たちの生活は楽になり裕福になるわけで、誰もが高サラリーを望み、それを得ようと努力するようになってきた。
サラリーを得るということは、家を出て職場に行き、その職場でサラリーに見合う仕事をするということで、家に居てはそれができない。だから、老若男女を問わず職場に出向くということである。
ここまでは男女の間の思考の乖離はないが、組織内の女性には当然の事、出産と育児という動物としての自然の摂理が伴うわけで、女性である限りそれを放棄することはできない。
だから戦後の日本のように、その部分は社会全般で助け合って、女性の就労を維持しようという発想が生まれるに至ったが、これは近代化に毒された人間の奢りだと思う。
出産と育児が女性に課せられた自然の摂理であるとするならば、素直にそれに従って、それを全うした暁に、再度、職場復帰するべきだと思う。
仕事と家庭の両立を支えようとして運動している人たちは、この部分で、女性の職場復帰が女性の昇進に不利益になっているから、そこを改善せよ迫って来るが、この発想はまりにも傲慢すぎる思考だと思う。
そこにあるのは、あまりにも守銭奴的で利己的な経済観念であって、一旦得た金ツルは、何が何でも手放したくないという金の亡者でしかない。
この朝日新聞の記事の女性は、「女性は手にできないのか」となっていて、「何が」という目的語が抜けているが、その目的語は当然「富みを」であって、高級や昇進が思うようにならないのは、女性は出産や育児である期間職場に出られないので、それがハンディキャンプになっているから、そのハンデイーを何とかせよという趣旨だと思う。
守銭奴的な欲張りな思考を、上手に焦点をぼかし、社会問題に転嫁しているのであって、人間が自然の摂理に素直に殉じて生きることを否定しようとする考え方である。
普通に常識的に仕事と言えば、道路の清掃から、スーパーのレジ打ちから、学校の先生から、国務省での重要な会議の資料作成など、一口では言い表せないが、その多様な仕事の中には女性が出産と育児で一時的に職場を離れても、安易に復職できる職種もあることは確かである。
また逆に、一週間職場を離れたら復職に困難をきたす職場もあるわけで、その意味では男女に差はない筈である。
考えなければならないことは、女性側から「女性であるが故に職場復帰が疎外され、昇進に不利益を被っている」と告発をされると、社会全体として女性の立場を救済する方向に施策を講じなければならない。
だから育児所を沢山作って、働いている女性が退職しなくても済むように、ということになる。
これは尤もな意見のように見えるが、自分のキャリアーに不利だからと言って、自分の産んだ子の育児を他人に任せて、次世代を担う子供が正常に発育するとはとても思えない。
職場で働いて金を得るということは、育児の片手間で出来ることではないし、そんなことは組織が許さない筈である。
当然の事、仕事と育児は同時には成り立たないわけで、一つを取れば他の一つはあきらめる他ない。
女性は「同時に仕事と富を得ることはできない」ことは歴然としているが、このプリンストン大学のアンマリ―・スローター女史は、その部分に大不満なわけで、「育児も金も同時に満たしたい」ので、それが実現できない社会は、社会の方が悪いから社会を変えなければならないという論旨である。
自らの強欲な欲望を顧みることなく、自分が満たされないのは社会が悪いからだ、という極めてアメリカ的な思考だと思う。
自分の傲慢な思考を棚に上げて、社会の方の変革を求めているわけで、こういう発想でいるからムスリムの反発を食うのである。
昔でも、自分の子育てを母親や姑に預けて、フルタイムで働く恵まれた環境の女性がいたことはいたが、それほどまでに金に執着して勤めて、果たして本当に幸せでありえたであろうか。
経済的には少々厳しくとも、自分の子育ての期間中は、母親業に徹して生きることの方が、自然の摂理に叶った生き方ではないかと思う。