株式日記と経済展望

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生きている間に親孝行をして置いた方がいい。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。

2017年01月04日 | 書評

生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。
それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。


2017年1月4日 水曜日

独身人生は両親が死んでから本当の天涯孤独の人生がスタートする。貯金なんて役に立たない

自分の老後って、老後、老後と貯金や年金くらいしか今の現役世代は考えてないんじゃないだろうか?

確かに老後にお金があれば急な医療費や困ったときに食材の宅配なども頼めるし、身体が不自由な分、周りにお金で助けてもらえることは多い。

だけど、最近思うのはそこまでして生きたところで何があるのか?ということである。

結婚をして、子供がいれば、親子関係が良好ならば子供とも少々接触する期間があるだろう。だが、昔からのことわざで「親孝行、したいときには親はなし」というものがある。

つまり、実際は親が生きているときに感謝して親孝行しようと思う人は少ないのである。


人生の終焉になる頃に近づいて、自分が親をありがたいと思う頃、親は寿命でもう居ないのである。つまり、自分の子供だってなかなか自分たちのところへは来てくれないだろう。これは結婚相手によるところが大きい。

変にブランド好き、浪費家の嫁と結婚した息子は、親孝行なんて思うどころか、親にお金を借りに来る。そして、そのお金は返ってこないのである。

ここまでの話は、結婚をしている人を前提に話しているが、今日の話の重要な部分は、ここではない。独身の場合で老人になった場合である。

孤独の世界がさらに本格的に

日本でも世界でも人はいっぱいいる。だが、昔の個人商店なら、買い物をしつつ、ちょっとした近所の会話があったが、コンビニの店員と世間話なんてしない。ものの売買が非常に工業化され、人間味なんてない世の中になった。

電車に乗るのも降りるのも改札口でタッチして、人との関わりはない。

ここで両親が死んでしまった後の世界を考えたことがあるだろうか?と言うことである。

ここから本当の天涯孤独な老人の人生がスタートする。会話する人はゼロ。本当に頼れる身よりもゼロ。都会のアパートで孤独死でもしてしまったら、無縁仏として共同墓地にゴミのように捨てられてしまうのである。

最後はそういう人生であったとしてもだ、そこまでの期間が長い。痴呆になり、体力もなく、関節が痛み、持病の薬を毎日飲む。

毎日、毎日テレビを見るくらいで、どこかへ行く体力すらない。実家もないし、両親も知り合いもいない。

友達?先にもう死んでいないよ。

これって何の罰ゲーム?

本当の老後の世界って今のネットがあふれている若者には分からない。老後、お金。これくらいだ。だが実際は生きていても楽しくない、死ぬまでの期間を延々と何もせずに孤独に待ち続けるような人生になるのである。

孫が遊びに来るなんてことはない。

いま結婚している同世代を見て、家庭があってうらやましい。子供が生まれて成長していくのを見ていいなぁと思う。それが老人になり、まわりで孫を連れて遊びに来ているのをみて、いいなぁと思う。そして強烈な孤独に襲われる。

自分の人生は何だったのだろうか?何の意味はなかったが何となく生きてきた。その結果だ。そういうことを考えられるような脳も退化し、痴呆が入り、モヤモヤと何も考えられない。

本当の老後というのは、いまの現役世代が考えているような五体満足な貯金だけあり、老後はハッピーに旅行にでも行ってというものではない。

痴呆で持病を持ち、気力と体力もなく、死を待つ天涯孤独の強烈な人生となる。

重要なことは、年金をもらうことや貯金を老後に備えて貯めておくことではない。いま、今こそ重要なのである。

貯金をした老後になんて何もハッピーエンドはない。地獄の孤独の牢獄で、お金が日々減る恐怖にも怯えるのである。もう現役世代ではないので貯金すら増えずに切り崩す。その減りは早く、あっという間に数年、そう5年も持たずに枯渇する。

現役世代は、孤独地獄に備えよ。

生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。親には何もしてあげられなかったと思う自分。自分はやることはやったから、親はいい人生だったのだろうか?

どう思うかでまた違ってくるものである。

なぜ日本人は孤独を選ぶのか

お金持ちの相手がいないから?イケメンじゃないと結婚できない?

ならばその孤独の結果も自業自得だ。だが、世の中にはそういう人ではなく、まじめに生きてきて結婚もしたが結婚後にうまくいかなく離婚し、そのトラウマから生涯独身になる人もいる。

結婚だって一生に1回ではなく、3回も4回もする人だっている。

昭和の時代は、こういう人も普通に近所に存在していたものである。そもそも誰もが結婚し、離婚もせず、耐える時代であった。男尊女卑。そういう時代である。

男としてはいい時代であったが女性としては姑との地獄の日々など、結婚して幸せとは言えない時代でもあっただろう。

今の時代、女性が結婚してこんなに苦労が少ない時代は人類の歴史上ない。初めての文化である。

それが年収600万円以上、イケメンなど、色々言っているのである。そういう人もいればそうではない女性もいる。

そうではない女性はもう結婚し、子供もいる。もしかしたら収入も良く、イケメンかもしれない。だがそういう人を見ていると大抵は、女性の家柄もいいし、アナウンサー並に美人だ。

男性側もしっかり選別している。

自分には無いのに求めることが大きい。結局はそこなのである。孤独は自分が選んだ道の先にたまたま現役世代の時に見えていなかった道の先にあるものであり、誰かのせいでもない。

そして歳をとると、道を変更したり、引き返すことは二度と出来なくなるのである。間違えて先がない道をゆっくり自動歩道のように無理矢理進められていくのである。その先は断崖絶壁の崖である。


(私のコメント)

私の大学生時代は、「老子」や「荘子」や「徒然草」などを読んで過ごしました。つまり「死」と言うものを考えながら過ごしましたが、当時も今も大学生が「徒然草」など愛読書として読む人などいないだろう。そこには仏教思想や老荘思想などが織り込まれている。

社会人になってからは、それらの本を読むことは無くなりましたが、内容もほとんど忘れてしまった。それらの本は段ボール箱に入れて倉庫にしまわれている。「人生とは何か」とか「幸福とは何か」と考えるような事は、大学生時代しかないだろう。それが社会人になって大きな違いになる。

このような大学生時代を過ごしたから、会社勤めをしても周りからは変人奇人扱いされるような事もあった。人生観が周りの人とは異なるからそう見えるのでしょうが、話がどうしても合わなくなる。必然的に周りと合うように振る舞いますが、とても疲れる。

特に社内旅行や年末などの宴会など、陽気に騒がなければならないから疲れる。飲めない酒を無理強いされたり、カラオケで歌ったりしなければならない。最近の若い人は酒を飲まないと言うニュースがありましたが、結局は昔から酒の無理強いは本音では嫌だったのでしょうが、それでも酒を飲んで騒がなければならなかった。

それでサラリーマンは定年まで過ごしても、定年退職すれば会社とも縁が切れて年賀状すらパタリと来なくなる。オヤジなども定年退職して数年してポックリと逝ってしまった。それ以来、オフクロと二人で40年以上も過ごしてきましたが、そのオフクロも去年96歳で亡くなった。

始めて1人っきりの人生になり、ぽっかりと心に穴が開いたような気がした。母の晩年は入院はせずに自宅で看取りましたが、精神的には非常につらい事だ。医者通いも車椅子で行かなければならないし、買い物や食事の支度なども自分でしなければならなくなった。

母は90歳くらいまでは非常に元気で家事や買い物もしていましたが、骨粗鬆症などで背骨などを傷めて医者通いが始まった。歳をとると言うのはこういう事なのだと思いながらの生活でしたが、最近では自宅でも看取るという事が非常に難しくなった。子供や嫁さんなどが親の介護を嫌がるからだ。

最近では病院で亡くなっても、自宅に戻る事が出来ずにそのまま火葬場に行くことが多い。何とも味気のない葬儀になりますが、母の場合は三日間自宅に安置して、知り合いなどを呼んで最後の別れをしてもらった。最近では通夜も行わない葬儀が増えて簡素化が進んでいる。

私なども隣の御主人や奥さんが亡くなっても分からないほどになり、いつ葬儀があったのかもわからない。最近の都会暮らしは本当に近隣との付き合いが無く、身内や親戚との付き合いも冠婚葬祭ぐらいしか会う事はない。家族もバラバラになって行くのは仕方のない事なのでしょう。

最近は核家族になり、年老いた両親と一緒の生活は珍しくなり、子は結婚すれば独立して行く。親子で最後まで一緒なのは親の年金で暮らしている引きこもりのいる家庭くらいでしょうか。しかし親が亡くなれば年金も無くなり生活が破たんする。

「生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。」と記事にもありますが、親に寂しい気持ちにさせない事が親孝行だろう。親が介護が必要になったら介護施設に入れるしかないのでしょうか。日本はこの方面の公的な支援体制が出来ていない。

「今の時代、女性が結婚してこんなに苦労が少ない時代は人類の歴史上ない。初めての文化である。」と記事にありますが、本当に嫁さんの立場が強くなり核家族で親の面倒は見ずに済むようになった。親の面倒を最後まで見ようと思ったら独身でいる覚悟がいる。

年の初めからなんとも暗い話ですが、日本は大家族から核家族の移行期にあり、核家族の時代になれば公的な支援体制が整わなければならない。子供の保育も高齢者の介護も公的な施設が無ければ、孤独死が当たり前になる。結婚して妻や子がいても、離ればなれで生活すれば孤独死とは無縁ではない。

妻や子が薄情になったのではなく、それだけ生活に追われれば介護などもしたくても出来ない。夫婦なども半数以上がセックスレスなどと言われますが、夫婦の絆すら希薄になり離婚も増える一方だ。誰もが自分の事で手一杯になり、親子や夫婦でも最後まで一緒でいることが難しくなった。

「株式日記」は現代の「徒然草」のような日記を書くつもりで書いていますが、吉田兼好法師は次のように書いている。「長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で死ぬのが見苦しくないところだ。そのあたりの年を過ぎると、醜い容貌を恥じる気持ちも無くなり、人に交わることを欲して、老いさらばえて子孫を愛して、子孫が立身出世する末を見届けるまでは生きよう、などと期待し、ひたすら世をむさぼる心ばかり深く、もののあはれもわからなくなっていく。あさましいことだ。」

兼好法師自身は資産家でもあり歌人でもあり、だから70歳近くまで生きましたが、結婚もせず子も作りませんでした。しかし人生にはカネと生き甲斐は必要なのでしょう。だけどカネがあって生き甲斐を持っていると女にももてるようだ。


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23 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-01-04 14:17:37
いずれ自分自身も年老いて誰かの世話になるということを考えたら、親不孝などできないと思う。因果応報というのは、物理学的には作用反作用の法則であり、これは宇宙の絶対的な法則だ。しかし、そんなことより今の自分自身の存在は遠い祖先のDNAが断絶しないで連続してきたから存在するということを考えれば、やはり一番手近な先祖である親に感謝せざるを得なくなる。共産主義など唯物主義の究極の姿であり、そこには先祖など存在しない。
Unknown (Unknown)
2017-01-04 14:28:16
今回引用の元記事はお粗末だが、そのコメント欄には、まともなことが書いてある。
Unknown (Unknown)
2017-01-04 14:31:24
>だけどカネがあって生き甲斐を持っていると女にももてるようだ。

それは、女の側から見れば、その目的を実現しやすいから。
自分の思うようにならない (Unknown)
2017-01-04 14:42:15
親が子供から受ける、次の質問にどう答えるか、先ずはこれから。

「僕、産んでくれと頼んだ覚えがないのに、なんで生まれてきちゃったの?」

誰も、この世がどうなっているか、事前に調査して生まれてきたのではない。
ましてや、いずれ死が待っているのだから。
Unknown (Unknown)
2017-01-04 14:55:55
>しかし人生にはカネと生き甲斐は必要なのでしょう。

このカネのことだが、億万長者と言われ人たちの生活習慣は、意外な面もある。

■となりの億万長者
 http://ikogataira.com/the-millionaire-next-door
その通り (os)
2017-01-04 15:02:56
今 定年は65でしょう。その位の年になれば、ふと過去を振り返り自分の人生を概観するようになる。果たして、自分の人生は何だったのかと。いくら、外にアンテナは張っているつもりで、トランプがどうの、世界情勢がどうの言っても、来し方の重さを感じざるを得ない。

自分の父母について、自分の人生について、深く考えることが多くなる。いくら若づくりしても、未来よりも過去のことを考えることが多くなる。正月は孫に囲まれても、それを過ぎれば 自分と向き合うだけの日々が続く。実は、私もさっきまで、中学校以来の友人とひとしきり電話をしていたばかり。

父母に孝行が足りなかったと思えば、仏壇で手を合わせるのもいいだろう。あるいは、どうせもうヒマなんだから、墓参りでも出かけたらいいだろう。生きているうちに孝行が出来なかったと言って、悔やんでばかり居てもしょうがない。むしろ、悔やむ気持ちを大切にすべきだろう。

おかげさまで 人に残すだけの仕事を得ているので、これを跡取りにしっかり伝えていく。これが私の余生となるだろうと思う。Toraさんも、自分の余生について考えると、きっと悩んでいるんじゃないかと思う。資産を誰に残すか、死に際をどうするか、まだまだ煩悩は尽きないでしょう。私も一緒で御座いますw
老いぬれば (在原業平)
2017-01-04 16:26:52
なりひら母(伊都内親王)
おいぬれば  さらぬわかれもありといへば  いよいよみまくほしききみかな

返し/なりひらの朝臣
世中にさらぬ別れのなくもかな 千世もとなけく 人のこのため

春たつ心をよみ侍りける/九条良経
みよし野は 山もかすみて白雪の ふりにし里に春は来にけり

宣長/初春
見わたせば 霞へだてて いとどしく ふるさととほき  春は来にけり
人生に生きる意味はない。 (Unknown)
2017-01-04 16:38:11
親孝行だとか、孤独とか、それは人生に意味付けをすることから起きる。

■真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話: 佐々木閑、大栗博司
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/6df5d9f8790904322b7e4db5e688fb39
老い易く学成り難し (Unknown)
2017-01-04 16:48:09
若者の心配するほど賢くないだろ、あんたが大学で読んだ本も早熟な人間は小学生のうちに読んでいる。
お疲れ様でした (ビリー・ザ・マッド)
2017-01-04 17:03:22
96歳
大往生じゃないですか。
TORAさんのように世間の波に流されず、独立してたくましく生きていく立派な息子さんを残されて
御母堂もさぞ満足して旅立っていかれたと思います。

遅くなりましたがご冥福をお祈り申し上げます。


Unknown (Unknown)
2017-01-04 17:16:13
「妻は家庭」賛成44%・・・内閣府が1日付で発表

女は家にいてくれた方がいいに決まってる。平等もクソもあるかよそんなもん。世の中に平等なんかあるわけねぇだろ!寝言ぬかすなよバカどもが!~以下、長文記事~
(管理人コメ)そうですよね。日本は女性にやさしい国です。頭がパァですぐ離婚して結局水商売で馬鹿な男引き入れて男が子殺すみたいなアホでも生活保護あげてるんだもん、後略。
http://www.nikaidou.com/archives/50175

一体女というものほど太平の恩沢に狎(なら)されて増長するものは無く、又嶮(けわ)しい世になれば、忽ち縮まって小さくなる憐れなもので少し面倒な時になると江戸褄(えどづま)も糸瓜(へちま)も有りはしない、モンペイはいてバケツ提げてヒョタコラ姿の息(いき)ゼイゼイ御いたわしの御風情やと云いたい様になるのであるが、天日とこしえに麗わしくして四海波穏やかなる時には、鬚眉(しゅび)の男子皆御前に平伏して御機嫌を取結ぶので、朽木形の几帳の前には十二一重の御めし、何やら知らぬびらしゃらした御なりで端然としていたまうから、野郎共皆ウヘーとなって恐入り奉る。平安朝は丁度太平の満潮、まして此頃は賢女(けんじょ)才媛輩出時代で紫式部やら海老茶式部、清少納言やら金時大納言などすばらしい女が赫奕(かくえき)として、やらん、からん、なん、かん、はべる、すべるで女性尊重仕るべく一切異議申間敷(もおすまじく)候と抑えられていた代(よ)であったから、 ・・・
>連環記 幸田露伴 慶滋保胤
http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/3556_10336.html
小6の時、『世界の名著 老子/荘子』を愛読していたなぁ (ソフトバンクの広告の白い犬)
2017-01-04 19:08:07
私ごとながら、小学校6年で、『世界の名著 老子/荘子』を愛読していた、芥川龍之介の『侏儒の言葉』なんかも好きだったなぁ。

『徒然草』や『枕草子』を読んだのも小学生の時、当時の小学生は塾とかに行かないから、家にある本を読んでいただけ。

小学生が、芥川龍之介や亀井勝一郎や、邦訳のドストエフスキーなどを愛読していても、キチガイ扱いされない寛容な時代だった。

芥川龍之介といえば、『徒然草』を全く評価しなかった
知識人としても知られている。出典は『侏儒の言葉』に
よる。

別に、私は、早熟だとは思わないな。

オナニーを覚えたのは、小学5年生の時だった。
それから、童貞を卒業するのに高校一年生まで掛かっている。

今も、昔も別に早熟じゃないな。そんなものだろ。
>「老子」「荘子」「徒然草」など読む人はいないのだろう (Unknown)
2017-01-04 19:25:35
国民的信仰を証明、米原爆でも耐えた「神仏思想」 -- 感謝したい相手は?

ノーベル賞/梶田隆章(56)
「もちろんニュートリノに感謝をしたい。ニュートリノは宇宙線が作るので、宇宙線にも感謝したい」

>ノーベル賞/大村智(80)
「半分は微生物にあげたい、 亡妻に感謝」

中国儒教は強烈な「階級差別思想」で日本列島に影響無かった。
2015/10/07(水)
徒然草 (Unknown)
2017-01-04 20:25:40
徒然草とかそういう古典を大学時代に学んだということは良いことだ。最近の大学生は岩波文庫も読まないだろう。
TORAさんも俺も老後をどういう覚悟で生きるかというハード面とソフト面で今から考えていくことは大切なこと。孤独死が現実的な現在、核家族で育っている我々には他人事ではない。
Unknown (Unknown)
2017-01-04 21:55:01
良い言葉ですね。⇒「生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。」

今日のトラさんのコメントは良かったです。
私自身、金儲けのみの人生でしたが、年をとってくると、お金より、家族の方が、何倍も価値があり、大事な事がわかる。
私もトラさんと同じく、地獄のバブル崩壊の波にのみこまれて、仕事仕事で、生涯独身で終わりそうです。
情報の牢獄 (Unknown)
2017-01-04 22:28:46
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20161227-00001091-ted

マーク・ザッカーバーグが ニュース配信について質問されていました 「なぜそんなに重要なんですか?」 ジャーナリストが聞くと ザッカーバーグは答えました 「今あなたの関心事は アフリカで死に瀕した人々よりも 家の庭で死にかけているリスかもしれないでしょう」 この関連性の考え方をもとにした ウェブとはどういうことか話したいと思います

メイン州の片田舎に住んでいた 僕にとって 子供の頃 インターネットは全く違う意味を持ったものでした 世界へのドアであり 人々を繋げるものでした 民主主義と僕たちの社会に 大きく役立つに違いないと思っていました でも見えないところで インターネットでの 情報の流れに変化がありました 注意しないと 大きな問題になるかもしれません これに初めて気付いたのは僕がいつも使っている Facebookのページでした 見た目どおり 僕は政党的には進歩派ですが 進んで保守派と交流しています 保守派の考えを聞いたり 何にリンクしているか見たり 何か学びたいと思っています ですから ある日僕のFacebookの配信から 保守派の人たちが消えてしまって驚きました 何が起こったのかと言うと 僕がどのリンクをクリックしているかFacebookがチェックしていて 実際に保守派より リベラル派の友達のリンクを クリックすることが多いと気づき 僕に何の相談もなく 保守派を削除していたのです 保守派はいなくなってしまいました

このように目に見えないところで アルゴリズムによるウェブの 編集をしているのはFacebookだけではありません Googleもしています 何かの検索をするにしても 僕とあなたでは たとえ今同時に検索しても かなり違う結果になる可能性があります あるエンジニアによると ログオンしてなくても 57個のシグナルを Googleはチェックしているそうです どんなPCを使っているか どのブラウザを使っているか 現在地は何処かなどによって 検索結果を調節しているのです ちょっと考えてみてください もう標準のGoogle検索はないのです そして妙なことに これは認識しにくい現象です 自分の検索結果がどれほど 他人のものと違うか分かりません

でも数週間前 Googleで「エジプト」と検索したスクリーンショットを 送ってもらうよう大勢の友人に頼みました これが友人スコットのスクリーンショットです こちらはダニエルからのスクリーンショットです 並べて見てみると リンクを読むまでもなく 2つのページの違いに気付きます でも実際リンクを読むと 本当に驚きます ダニエルのGoogle検索結果の最初のページには エジプトのデモ関連記事が全くなく スコットの方はそればかりでした この頃大きな話題だったのにです これほど検索結果は異なってきています

GoogleとFacebookだけではありません これはウェブ全体で起こっています 多くの企業がこのようなカスタマイズをしています Yahoo!ニュースはネット最大のニュースサイトですが 今ではカスタマイズされた違う内容を提示しています Huffington Postや Washington Postや New York Timesも 様々な形でカスタマイズを試みています その結果 インターネットは私たちが見たいものを 予測して見せているが それは必ずしも私たちが見る必要があるものでない という状況に急速に変わってきています エリック・シュミットが言うように 「全く何のカスタマイズもされていないものを 人々が見たり利用したりするのは とても難しくなるでしょう」

ですからこれは問題だと思います このようなフィルターやアルゴリズムを 全部集めてできるのは 「フィルターに囲まれた世界」だと思うのです そしてこの「囲まれた世界」がネット上での あなた個人独特の 情報世界となるわけです さらに自分の世界に何が含まれるかは 自分が どんな人で何をしているかによって決まります でも何が取り入れられるかは自分次第でないのが問題です もっと重要なのは 何が削除されるか自分には見えないことです フィルターによる問題の1つは Netflixのデータアナリストたちに発見されました 発送待ち段階で妙なことが起こっていたのです 気付いていた人も多いでしょうか 映画によってはDVDが すぐに発送されて家に届きます オーダーが入るとすぐに発送されます ですから「アイアンマン」はすぐ届くのに 「ウェイティング・フォー・スーパーマン(原題)」は 待ち時間がとても長いことがあります

データアナリストたちが DVDの発送待ち段階で見たのは 利用者の計画的な向上心と もっと衝動的な今の欲望が 大きく対立している状況でした 「羅生門」を観たことがある人に なりたいと思う一方 今は 4回目の 「エース・ベンチュラ」を観たいわけです (笑) 最良の編集は両面を見せるものです ジャスティン・ビーバーを少し アフガニスタンを少し ヘルシーな情報と デザート的情報も提供するわけです アルゴリズムでカスタマイズされた フィルターの問題点は 利用者が何を最初に クリックしたかを主に参考にしているため そのようなバランスを崩してしまうことです バランスのとれた情報摂取の代わりに ジャンク情報ばかりに 囲まれてしまうこともあり得ます

つまりインターネットに対する 我々の見解は実は間違っているのかもということです 放送社会の 創設神話はこんな感じです 「放送社会では 門番である編集者によって 情報の流れがコントロールされていました でもインターネットが現れ 門番を追い払ったので 素晴らしいことに 私たちは 繋がり合えるようになりました」 でも今 実際にはそうなっていません 私たちが目にしているのは どちらかと言うと 人間の門番からアルゴリズムの門番に バトンが渡されている状況です そして問題なのはアルゴリズムは 編集者が持ち合わせていた倫理観念を まだ持っていないということです ですから世界の情報をアルゴリズムが監修して 私たちが何を見て 何を見ないか決めるのなら アルゴリズムが関連性以外の要素も 使用するようにしなくてはなりません 見たくないものや難しいもの 重要なものなども提示するようにしなくてはだめです TEDが異なる視点を 見せていることと同じです

過去我々は同じ問題に 直面しています 1915年当時 新聞は市民としての義務について あまり考えていませんでした でも人々は新聞が 重要な役割を果たしていることに気付きました つまり 市民が 適切な情報を得ていないと 民主主義は機能しないということです よって 情報のフィルターを行う新聞は重要なのです そしてジャーナリズムの倫理ができました 完璧ではありませんでしたが 1世紀の間このやり方をしてきました ですから現在私たちは ウェブ上での1915年に直面しているようなものです プログラムを書く上で このような責任を 組み込んでくれる 新しい門番が必要なのです

会場にはFacebookとGoogleからの出席者も大勢います ラリーやサーゲイのように 今あるウェブの構築に 貢献した人々には感謝しています でも私たちは彼らに これらのアルゴリズムに 生活や市民の義務が組み込まれているように しっかり確認してもらいたいのです アルゴリズムが明白で何が入ってくるかを決める フィルターのルールが 理解できるようにして欲しいのです さらに自分で何が削除されて 何がされないか決められるように 管理できるオプションを提供してもらいたいです これも インターネットが私たちの 思い描いていたようなものに なってもらう必要があると思うからです みんなを繋ぐものであり 新しいアイデアや人々 そして 異なる視点を提示するものであるべきです これを達成するには ウェブ上で私たちが孤立しないようにするべきです

ありがとう
地方から上京した人のメンタル面は強いかも知れませんねぇ…(笑) (ponpon)
2017-01-04 23:11:12
私は大学生の頃に地元から約1000km離れた関東某所のアパートで一人暮らしをしていましたが、最初(19歳頃)は強烈な孤独感に襲われましたねぇ…。周囲には知り合いも全く居ませんし、方言も全く違いますし、初めての一人暮らしでしたし…。しかも、私が大学生だった1990年代半ば頃はまだインターネットも全く普及しておらず、家族との通信手段は固定電話と郵便だけでしたし…。ただ、親元を離れて遠い土地で一人暮らしをすることで、メンタル面はかなり鍛えられましたねぇ…。今の大学生はネット、メール、スマホなどで遠方の家族や友人と常時繋がりっぱなしなんでしょうが…。(笑)

> オフクロも去年96歳で亡くなった

私の父(←団塊世代)の母親(つまり私の祖母)も、何年か前(東日本大震災より前)に確か98歳で亡くなりましたねぇ…。明治生まれの祖母で痴呆症状も出ていましたが、晩年も鏡を見ながら櫛で髪をとかすなど女性らしさを保っていましたねぇ…。祖母が亡くなった時、ウチの父親はかなりショックを受けていたようですが…。末っ子ということもあって、かなり可愛がって貰っていたんでしょう…。今では何事も無かったかのように普通に明るく暮らしていますが…。ちなみに、私は母親(←体育会系)に「ゲンコツ」「ビンタ」「ケツバット」の三点セットで躾けられたので、父親とは正反対の環境で育ったワケですが…。(苦笑)

> 最近の都会暮らしは本当に近隣との付き合いが無く

ウチの父親も同じ事を言ってますねぇ…。(苦笑)祖父が亡くなった時(20年近く前)は近所の人達が集まって昔ながらの通夜や葬儀をやっていましたが、祖母が亡くなった時は近所の人も呼ばず、葬祭ホールから火葬場へ直行という感じでしたし…。ここ十数年で近所にマンションが建ったりして、どこの馬の骨か分らない人間が入居したりしていますし…。マンションの窓から奇声を上げるような精神障害者みたいな輩が入居することもあるようで…。(苦笑)

> 人生にはカネと生き甲斐は必要
> 人生に生きる意味はない

生物的観点からすると、人間の生きる意味は「遺伝子を後世に残すこと」でしょうねぇ…。つまり、「遺伝子を残した=子供を産み育てた」という人は、もう役目は終わったということですが…。(笑)かと言って、お迎えはいつ来るか分らないので、趣味・娯楽・ボランティアなどの生きがいを見つけて残りの人生を過ごすしかない…。まぁ、淀川長治さんのように映画一筋で生涯独身を貫く生き方も素晴らしいと思いますけどねぇ…。人生はたった一度切りですし、生まれ変わりも輪廻などもありませんから、自分が一番納得出来る生き方をすれば良いんじゃないでしょうかねぇ…。私は子供の頃からの趣味をずっと続けていくつもりですし、やりたい事も沢山ありますし…。(笑)カネがあるのにやりたい事が無い人は、余っているカネを世の中にジャンジャン放出して欲しいですねぇ…。
Unknown (kuma)
2017-01-05 01:09:45
普段ロム専ですが
心よりお悔やみ申し上げます
人生はいろいろ (Unknown)
2017-01-05 02:53:24
金持ちでも貧乏でも時間は巻き戻せない
何故それぞれの人生に違いがでるのか?

結婚して子や孫に恵まれてなんとか家系存続や末代への繋がりや繁栄を経ていく者もいれば孤独に絶える者もいる。

自分もトラさんと似た人生を歩んでいるが・・・孤独と思えば孤独だが、身近な友人・知人やブログ、SNSで語り合う無名の人でさえ表面的ではない心のふれ愛はできるのも少なからずあるものだ

どんな人も1回の人生なのだからそれぞれに納得のいくような人生設計とやり方で人生のゴールを迎えるのが決まってることなのだ

ま、経済的余裕がないと今の社会は生きにくいのもあるけど、それぞれに知恵を絞ってうまく生きてくしかない

家族がいての不自由、不幸もあるし生涯孤独での不自由、不幸もある

よく人生相談で回答者がいろんな悩みに対して「価値観の相対化」って使うことがある

要するに不幸と思えることは反面では幸福にもなってるって考え方「ピンチはチャンス」とか「人生は塞翁が馬」「独身だが自由奔放」「大家族だが遺産相続、その他兄弟姉妹、嫁姑、親子関係骨肉の争いなど」・・・自分なりにいいように考えるほうが良いかも=結果的に自分が納得できる人生のゴールを迎えれたらいいのではないだろうか?

自分も老母を看取るのも含めて先のことも考えつつ時間的に今できることはいろいろやっていく、しかも思う存分エンジョイするようにやっていくことにしている

旅行や習い事、趣味に費やす時間は年がまだ60歳前ならというか独身で仕事も自営業的な不動産賃貸業ならなおさらできる条件は有利に思う

いい年の取り方をして自分に与えられた人生の時間を堪能していきます

仕事にしても職業にしても自分に与えられた分(持ち分)であるものと認識でも錯覚でもしつつできるだけ自分のペースでやっていきます=自分の人生だし自分だけに使える時間なのだから

トラさんと似ている境遇なのでトラさんの気持ちはよく分かります

「つれつ"れなるままに」「時のすぎゆくままにこの身をまかせ・・・」

それでも小田和正や福山の曲にある大事なこと」「家族になろうよ」のメッセージなど

本当に人生はいろいろだ・・・。
それぞれのメッセージは何か? (Unknown)
2017-01-05 03:13:50
小田和正「たいせつなこと」ーYOUTUBE
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%92%8C%E6%AD%A3+%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8&tid=6516fb44ed37e8d4c73ee0ea661526e7&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

女性ボーカルバンドチェルシーの「YES」-無料PV
http://www.musicpv.jp/music.cgi?id=17518

トラさんが人生を通して続けてるこのブログも世代も時代も超えて繋がっていく大きな愛のメッセージだね<^^>/
伊勢神宮の三が日参拝者増、49万438人 (sankei)
2017-01-05 09:48:17
三重県伊勢市の伊勢神宮神宮司庁広報室は4日、正月三が日の内宮、外宮の参拝者数が49万438人だったと発表、前年より6416人増えたとした。史上4位
人生を楽しく生きるのは心がけと努力です (ACE)
2017-01-06 10:41:58
正月早々、暗い話ですね。

私は既に前期高齢者になりましたが、人生は心がけと努力で明るくできると思いますよ。

両親には死ぬまで仕送りを続けましたが、あの金を自分の小遣いに使ったらもっと自分の人生を楽しめたかも何て冗談半分で思ったこともあります。

数年前母が91歳で天寿を全うした時に預金通帳を見れば、700万円余りありましたが、それは私が送金した金で生活費は自分の年金でまかなっていたのを知り愕然としました。

私の送った金でもっと美味しいものでも食べれば良かったと思うのですが、私が先に死んだら仕送りが止まって金だけが頼りだと思ったのでしょうか?

子供たちを大学(三流大学ですが)に行かせ、田舎から出てきたのでバブルの時に家を建てた為に巨額の住宅ローンを抱えたので、年収は当時1000万円以上ありましたが、到底足りません。

こうなることを予測し、昭和48年のオイルショックの直前から株式投資を始めて独身時代に1300万円の資産を極貧生活レベルまで落として作りました。

冗談ではなく栄養失調寸前の食生活と女絶ちでした。
女性とデートすると半月分の生活費が無くなるのですから我慢です(笑)。

今の貨幣価値では3000万円以上でしょう、思えば良くがんばったものです。

結婚してからも運用を続けたので老後は65歳で安心といわれる3000万円よりは現金が多く、現在は年に7回位延べ日数で120日位バンコクのホテル滞在しています。

バンコクは私にとって陸の竜宮城で現地の若い女性に結構もてるので、苦あれば楽ありの人生です(笑)。

追伸
ほとんど投稿しないのですが、毎日拝見しています。
今回の記事は余りに悲しい話なので、心がけと努力で人生は楽しく生きられると言いたかったのです。

ところで管理人さんバンコクで安く楽しく遊べる店があります、良かったら案内しますよ。
逝くチカラ (matzとし)
2017-01-07 18:05:10
娘が看護師をやっています。昨年、母が自宅で亡くなりました。膵臓癌による呼吸不全でしたが、癌の治療は(年齢と体力の問題により)何もしませんでした。

最後、看取るときは、はた目には苦しそうでしたが、そのような老衰(体力低下)による状況では、何か特別なホルモンが出るようで、本人は苦しくない、人間は普通は「逝くチカラ」を持っている、と娘が言っていました。それで、多少自分も楽になりました。

孤独は誰でも感じるでしょう、恐らく自分も孤独地獄になるかも・・・ただ、ヒトが本来持っている「逝くチカラ」が出せるように死にたい、と思っています。

親の死と(他の人でも)向き合う、という経験は、貴重であり、親が最期にあたって、子供にできる教育だと思います。

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