ふと気づいたら、こんな格好で寝てたシュカを激写

赤ちゃんみたいで、可愛いからこの格好好きなんだ
何だったら、赤ちゃんに戻ってくれないかしら・・・
足が治ってから、初めて義母のお見舞いに行って来ました

義母は、施設が併設されてる病院でお世話になってるんだけど、
自分で歩く事も出来ず、食事も流動食になったと聞かされていた。
私達が到着した時間、
ちょうどオムツ交換だったみたいで、
外でしばらく待つ事に。
待ってる間、色んな事を考えた。
忙しく行き交う介護士さんを見ながら、
人が生きると言う意味を考えさせられた気がする。
義母は認知症が進み、
私の存在はおろか、旦那の事もも〜分からない・・・
ただただベッドに横たわり、
毎日を生きている。
私も2回、入院を経験しているが、
戻って来れる家があるから我慢出来ると思うのだ。
でも、ここに入所してる人は、
ここが終の棲家になるのだろう。
不謹慎な言い方だが、
義母のように何も分からず、
過ごせる人はまだ、幸せなのかもしれない。
中にはちゃんと歩いて、
普通に話せる患者さんもおられるので、
そんな人にとって、ここはどんな場所なのだろう?と、
思わずにはいられなかった。
もし、自分が同じ状況に置かれたら、
ど〜思うだろう。
義母を入所させた当初は、
まだ普通に戻る時間もあったから、
旦那が面会に行く度、
「私も帰る」と駄々をこね、
職員の方がそれこそ、取り押さえるといった事態にもなった事がある。
そんな話を聞く度に、
私は胸が痛くなり、旦那にも申し訳ない思いでいっぱいになったりもした。
因果応報と言う私が座右の銘にしてる言葉通り、
もしかしたら私も将来、同じ立場に立たされるかもしれない。
4人部屋のベッドに横たわる義母に話かけると、
喉を鳴らすように声を発しながら、
何度も瞬きを繰り返す。
「私は生きている」と、
全身で訴えかけているような気がして、
「ゴメンねお母さん。中々来れなくて」と、
話しかけずにはいられなかった。
昨今、医療は目覚ましい進歩を遂げ、
人間は機械や薬によって生かされる時代になってきたように思う。
確かに義母には長生きして欲しい。
随分前に、肺炎にかかりもしかしたら危ないかもしれないと告げられた日、
台所で料理をしながら、涙が止まらなくなった事があった。
その時私は「あ〜私、お母さんの事大好きなんだな」と思ったのだ。
義父が他界し、認知症の母と一緒に暮らすようになったあの1ヶ月は、
まだ30才だった小娘の私にとっては、
想像を絶する過酷な生活だった。
1日中、人の悪口を罵ったり、
私がお金を取っただのと言いだしたりする。
水を出しっぱなしにしたり、
ガスを付けっ放しにしたりするし、
徘徊しないように見てなきゃいけない。
当時、四六時中一緒にいた自分が、
頭がおかしくなりそうだった!!
でも・・・ふいに普通に戻ったりする時間もあって、
そんな時は私をお茶に誘ってくれて、
一緒に出掛け、喫茶店でお茶したりする日もあった。
隣りのおばさん家に「優しい私の嫁を隠しただろ」と、
怒鳴り込んでいった話を、
聞かされた時、おばさんには悪いけど、
本当に嬉しかった。
実の母との確執に悩んでいた私にとって、
義母は母親の愛情を注いでくれる存在だったのだ。
この頃の思い出があるから、
私は義母が大好きなんだろうなって、
今になってよく分かる。
シュカは怖がって、終始怯えていたけど、
これからも頻繁に会いに行こうと、
心に誓った日でした。