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田中小実昌『アメン父』を読んで

2016-12-31 17:16:49 | 読んだ本
     田中小実昌『アメン父』          松山愼介
 田中小実昌は何度もテレビで見たことがある。オズオズしていて、話し方もはっきりしていないのだが、直木賞作家であり、たくさんの推理小説、探偵小説を翻訳している。そのうえ、趣味は哲学書を読むことで、スピノザ『エチカ』、カント『純粋理性批判』、ハイデガー『存在と時間』などの文庫本を持ち歩き、時間を見つけては読んでいたらしい。その一端は短編小説『カント節』にあらわれている。
 昭和十九年十二月に入営し、中国に派遣されている(『香具師の旅』)。その間、慰安所もなく、そういう女性の世話にならなかったという。昭和二十一年七月に上海から氷川丸で復員。復員したら自動的に福岡高等学校を繰り上げ卒業し、東大哲学科に入学していた(ちょっとあり得ない話だ、父が代わりに手続きをしていたのかも知れない)。父の教会の本棚に英語の『小公子』が置いてあったり、英語の聖書を読んでいたというので、少しは父から英語を教わったのかも知れない。そのせいかアメリカ軍の通訳になったり、キッチンで働いたりしている。朝鮮戦争のときには、アメリカ軍の横田基地からB29が爆撃に行き、その爆弾の積載係の通訳のような仕事もしている。この仕事は日米講和条約が締結後、すぐに解雇されている。横田基地は東京に、現在もあり、アメリカ軍のアジアにおける最大の司令基地になっている。戦後、七十年が過ぎて沖縄だけでなく首都にアメリカ軍の基地があるのは大問題である。石原慎太郎が都知事時代に、この不合理を訴えたが政府は無視した。
 その後、田中小実昌は香具師として全国を旅したらしい。テレビに出ていた彼からは、バイの口上を語ったり、ヤクザ同士で仁義を切ったりしたという姿が想像できない。ストリップ劇場(東京フォリーズ)で働いたり、女性の居候になったり、毎日、飲み歩いていたという姿は想像できるが。昭和二十五年七月号の「文藝春秋」に『やくざアルバイト』というルポルタージュふうのものを書いて採用された。原稿料は一枚六百円、同じ頃、実業之日本社の「ホープ」にも原稿が採用され、こちらは一枚三百円だったという(『いろはにぽえむ』)。田中小実昌の様々な短編小説は、戦後の闇市や市井の人々をえがいていて、戦後の風俗をえがいた貴重な資料となるだろう。
 
 田中小実昌の父は明治十八年の生まれ、明治四十一年五月アメリカにいき、キリスト教と出会う。このアメリカ行きは、異母兄・山本三造の移民許可を譲り受けたらしい。明治四十五年二月、久布白直勝牧師より洗礼をうける。父は言葉の勉強のためにアエリカの小学校にいったらしい、ナザレン大学にも在学していた。この『アメン父』は義弟・伊藤八郎が残してくれた資料や、父の説教集『主は偕にあり』等で無教会派の父の信仰の足跡を追っている。
 この父の信仰の跡づけは難解である。つまるところ、神を信じたり、十字架や偶像を信仰したりすることではなく、「受け」が中心となるものらしい。つまり、人間の側から神に呼びかけて信仰が成立するのではなく、個人(人間)が呼びかけなくても、個人の内部に神が存在しなくてはならないということだろうか。
「あなた(神)はパウロに現れたりしたのに、どうして、私に現れないのか」と父がけんかするみたいに言ってる(祈ってる)のを、母はなんどかきいたそうだ。というように、神が自己の前に、自己の内部に現れるまで信仰を深めることだと思われる。
 それにしても、父が残した文書を解読するというのは想像がつかない。私の父は、ほとんど本を読まなかったし(新聞は読んだ)、文章も書かなかった。最近、佐野眞一の『唐牛伝』が話題になっている。唐牛健太郎が北大の先輩でもあるので、読んでみたが、面白かったが大したものではなかった。それは唐牛健太郎がほとんど、文章を残していないからである。個人の伝記を書く場合、書かれたものが中心になる。吉本隆明の『高村光太郎』も高村の「出さずにしまった手紙のひと束」を見つけて書くことができたという。それ故、『唐牛伝』は友人や親戚等からの噂話で占められていて、論拠に説得性がなかった。
『アメン父』は、ひたむきに父の残した文書に向き合っている田中小実昌の姿が浮き上がってくるものであった。
                             2016年11月12日
   
 『アメン父』からの抜書  田中小実昌の父の信仰について

 ふつう、宗教は文化の所産だとおもわれている。でも、父は、宗教という言葉をつかうことはあっても人間文化の所産としての宗教のことではなかった。いや、宗教なんてことよりもアーメンだった。アーメン、イエス、イエスの十字架……。(中略)でも、宗教じゃない、アーメンだ、なんてとつぜん言われても、わかるひとは、ほんとにすくないだろうな。またぼく自身ちゃんとわかってるわけでもない。しかし、そもそも、ちゃんとわかってることなどあるだろうか。

偶像はおがみやすく、自分にもしたしみやすいが、インチキでニセモノで、おがみやすいからって礼拝しても、むだなことではないか。/ただし、よほど用心しないと、なんでも、すぐ偶像になる。十字架でさえも偶像になり、だから、この建物にも父は十字架を たてなかったのか。/十字架は生きた十字架のはずで、金の十字架の銀の十字架もたいていは偶像で、簡素な木の十字架さえ、りっぱな偶像になる。

 父の教会では、宗教的なものを排するようなところがあった。教会が宗教的なものをきらっては、なによりも、商売にならない。/しかし、いわゆる宗教的なものは、そっくり偶像になりやすい。

 うちの父はキリスト教の牧師なのに信仰をうたがった。だから、それまでの宗派にいられなくて、自分たちの教会をつくったのだが……。信仰にも説明や理屈はない。それはいいとして、キリスト教の根本は、信仰といわれるが、はたして、ひとは信仰をもちうるか。信仰をもちつづけることができるか。もちつづけられない信仰は信仰とは言えない。こちら側が信仰をもつのではない、父はうけるということを言った。しかし、それでは、なにをうけるのか。

 ニンゲンたちが、努力して、あるいは信仰により神の国をきずきあげるのではなく、神の国が先だっている。

「信仰基本を自己信念に置きし迷宮を照破され上より臨む「聖」霊の御働きのみ信仰の基礎たること、またこれに「遵(したが)」はしめらるることこそ宗教生活なることを教えられ候。

「あなたはパウロに現れたりしたのに、どうして、私に現れないのか」と父がけんかするみたいに言ってる(祈ってる)のを、母はなんどかきいたそうだ。

 まっくら闇の絶望のなかでも、イエスがアーメンがせまってくるということか。絶望の底をイエスの十字架がささえているのだろう。ただし、これも、いつも十字架上のイエスがささえてくれるから安心、というのではない。安心なんてカンケイない。

(サウロの回心)「その十字架の主からものを言ってきたのであります。彼はワーっとなって目が真っくらになってしまったのです。十字架に会うときに、真に感激がおきるのであります。感動してくるのです。これが御霊の通脱であります」

 田中小実昌のキリスト教に対する態度、父の信仰をどう考えていたのかは複雑である。とりあえず、『アメン父』からキリスト教の信仰に関する文章を抜粋したが、わかるようでわからない。ただ『ポロポロ』という作品が参考になる。「ポロポロ」とは父の教会の信者の神との対話である。田中小実昌の父は信仰は外部からくるのではなく、内部になければならないと考えた。その信仰を言葉にすると、他者には「ポロポロ」としか聞こえないのである。結論的に言えば、田中小実昌はキリスト者としての父を尊敬していたが、彼の内部には、父のようには神は存在しなかった。『アメン父』、『ポロポロ』は彼の神についての論考といえるだろう。また、彼は哲学書を読むことを好んだが、それは一歩でも父に近づきたかったからであろう。

 
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