Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

「ブログ」というもの

2017-09-16 | 思いつきの話・思い出の話
久々にブログを書く。

このところ、ツイッターで、あれこれつぶやいたりしていて
なかなか、ブログでまとまったものを書くことがめっきり減ってしまった。

ま、もともと私は素人、文才なんかないことは初めから知ってるけど

この「ブログ」、始めたころは

自分勝手な思いではあるけれども、なにか「書く」ということで、
自己満足していた部分が多かった。

今はまた、ツイッターでも一時期ほど多くはつぶやかなくなった。

歳を取ったからなのか、なんなのかは自分でも分からない。

だが、このまま「何も言わない」で終わってしまうとは思わない。

だから、ここにも、また、まとまった文章を書ける時が来るかもしれないし。とにかくここは、私にとっての初めての場所だったから
「広告表示」で放置にはしたくないので、きょうはこんな何でもない文章を書きました。


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屋上ビアガーデンの思い出(その2)

2017-07-17 | 思いつきの話・思い出の話
いろんな話をし、いろいろと料理をつまんだ。そして杯は進んだ。

すると、その「わたしより5歳くらい年長の」連れはまず景色を褒めだした。

連「いい眺めやなあ」
私「そうですか?曇ってますよ?」

そのビルは近辺でも初めにできて当時は高層ビルと言われたが、今ではもっと高いビルに囲まれていてしかも曇天で、屋上とはいえそんなに解放感は感じられなかったのです。

(こんな空だった)



連「いやあ、じつはなあ、」と、目の前に大きくそびえているホテルを指さしてその人は言った。
連「ここのホテルで結婚式やったんや」

私「ああ、それで、この場所に思い出があるのですね」
連「いやあ、それほどでもないけどな・・・」と言いつつ、やはりうれしそうな顔をしている。



私「結婚って、大変じゃないですか?」

私は独身だし、当時の彼を見ていると失礼ながらそんなに給料も高くなさそうだし、晩婚だったらしく、歳のわりには小さい娘さん(小学校に上がる前の子が)三人いらっしゃって、僕はそんなことも思いながら訊いたんです。
すると、その連、曰く、

連「何で大変なん? 結婚したら奥さんもおるし、そのおかげで、かわいい娘が三人もおるんやで! ありがたい話やんか!」と。

いつも職場ではなんだか「お道化た」ような振る舞いをして、どちらかと言えば「できない奴」みたいに扱われていた彼が、
この時は真顔で(でも笑いながら)そう言ったのである。
「幸せ」って、こういうことなのかと、若造の私は偉そうにもそう思った。この人はすごく「自分を持っている人だ」と思った。

ふと気が付くと、その連は、ビールを1杯半くらいしか飲んでいない。

私「ビールがすすんでないみたいですが、○○さんはお酒弱いんでしたっけ?」
連「いやいや、ちがうねん。飲むときは飲むけどな、今日はもう、これだけで幸せやねん」
私「え?もっと飲みたいとか思わないのですか?」
連「そう。幸せになったら、もう、飲まんでもええやんか」
私「ジョッキ1杯半で、もう、いいんですか?」
連「そうそう。きょうは佐倉さんと一緒に話ができて、思わず結婚式の場所も見られて、それから料理も旨いし、本当にもう嬉しいし幸せやねん」

連「本当に、今日はええとこへ連れてきてもろたわ。佐倉さん、ありがとうな!」

そのとき私はすでにジョッキで4・5杯は飲んでいたのだけど、
彼は「幸せになったらもう飲まなくてもいい」と言ったのだ。
呑み放題食べ放題だったから、別に「勘定」を気にしていたわけではなくて、

彼は本当に幸せだったのだ。

そして、私に対する感謝の気持ちを、本当に「演技ではなく(と見えた)」言い続ける。

連「佐倉さんのおかげで、『なんちゃら閣』の『高級料理』も食べれたし」
連「おまけに、結婚式のホテルの前やし」
連「本当に今日は、佐倉さんに感謝感謝やわ」
連「佐倉さんと飲んでいろんな話ができて、ほんまに幸せやなあ」


この人は、ある意味、「悟って」いる。
いや、そもそも、そういう性格なのか、または育ちがいいのか?(確かに市内の超高級住宅街のマンションにお住まいであった)

職場での振る舞いは、演技だったのか?
その振る舞いのせいで、職場での評価が、失礼ながらかなり低くされていることについて、何も気にしていなかったのか?
妻と幼子三人を抱える父として、それでよかったのか?

こんな私の「邪推」も、すべて吹っ飛ばすように彼は「屋上ビアホール」で本当の自分を見せてくれた。



わたしはなぜか、もう、十数年経った今、その人を思い出したのです。

世間の評価や「ありていの幸せとみえること」をこの人は超えていたんだなあと。

風貌も上がらず、職場では「できない奴」と言われながらも、彼個人はそんなこと屁とも思わずに、もっと上位のというか、
ある意味、別の世界を見いたのではないか?と。


当時の私にはもうひとつよくわかっていない部分もあったけど、今になってしみじみそう思うのです。





その後、彼は異動(当時の私から見たら【厄介払い】されたように思った)し、
そして数年後に会社を辞めた。


今は何をしているのか分からないが、年賀状のやり取りはある。

でも私は「今どうしているのですか?」などといった具体的なことは訊かない。
ただただ、年始の挨拶のみを送り、彼もまたそうである。


本当のところはどうなんだかわからないけれど、きっと彼は彼が今いる場所であの時のように「幸せ」にやっているのだと
私は信じている。


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屋上ビアガーデンの思い出(その1)

2017-07-04 | 思いつきの話・思い出の話
屋上ビアガーデン

ほとんど行ったことがなかったし、今でもほとんど行く機会がないのですが、
もう、あれは何年前だったか、10年以上前だと思いますが、
当時同じ職場にいた、わたしより5歳くらい年長の方(職場の役職上の上下関係は無いフラットな関係、以下「連」)と、
職場帰りに「ちょっと一杯(´▽`)」てな感じで
特にどころ決めたわけでもなく、居酒屋みたいなところならどこでもいいという感じで
2人で出かけて、
たまたま、職場の近所のビルの屋上で「ビアガーデン」があって、

私「ここへ行ってみましょうか?」
連「もうお任せでどこでもええよ」
私「私は屋上ビアガーデンって行ったことがないので、行きたいと思ってるんですけど、ここに決めてもいいですか?」
連「ああ、ビアガーデン行ってみたいんかいな。そしたら行こかー。そやけど、料理(あて)はそんなに期待できへんかもしらんで」
私「ビアガーデンって枝豆とかポテトフライとかくらいだって聞いてますけど、でもここは『○○閣』の直営なんですよ」(注:『○○閣』というのは、某地の老舗支那料理店)
連「『○○閣』?なにそれ?」
私「かくかくしかじか・・・」
連「それはおもろい。決まりや、行ってみよ!」

確か当時、3,000円 飲み放題食べ放題だったと思います。

料理(あて)はバイキンク形式、ビールはもちろんその他サワー(チューハイ)類とかソフトドリンクとはセルフサービスで自由に、そんな屋上ビアガーデンでした。

連「屋上ビアガーデンでこんな上等な料理て、初めてや。」
私「そうなんですか?」
連「そや。その、なんや、なんちゃら閣、それやろ?」
私「『○○閣』です。」
連「そうそうそれや、それ、なんで知っとったん?」
私「学生時代に某地に住んでいまして、支那語の勉強をしてましたこともあって気にはしてたんです。でも『○○閣』なんかとても当時の貧乏学生が行けるような店でもなかったので・・・」
連「『○○閣』、知らんかったけど、なんかすごい店なんやなあ」
私「はい。ここで働くようになってからこのビルに『○○閣』の支店(屋上ビアガーデンのビルの中にある『○○閣』の実店舗)があることも気が付いていたんですけど、支那料理店に一人で行くのもいろいろ行きづらくて。」
連「へえ。おひとりさまが嫌やから、知ってても行かれへんかったん?」
私「いえ、おひとりさまが嫌ということではないんですけど、支那料理って大皿で出てくるでしょう、だから、一人で行くような所ではないと・・・」

連「なんや、そしたら、みんな誘って行ったらよかったんやんか。」
私「いやいやいやいやいや、私はまだまだ下っ端ですから、そんな、皆さんを引き連れて行くこともできないですし、なにせ『○○閣』ですよ、それなりにお値段も張りますし・・・」

連「なるほどな。佐倉さんはいろいろ気ぃ遣ってるんや・・・」
私「気を遣うというのともなんか違いますけど、なんか・・・」
連「まあ佐倉さんは優しい人やからな。」

実店舗の料理よりは値段の分それなりに「格」を下げているであろうが、そこのビアガーデンのバイキングは、確かにおいしかった。

その時も、ちょうどこんな梅雨空の曇天

でしたが、いろいろと話をして、楽しかったのです。

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(つづく・・・




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24時間テレビの思い出の話

2017-06-25 | 思いつきの話・思い出の話
さきはおのがツイート転載のみなりたれば「今度はちゃんとしたのを書きます」といひしがのちにおもひかはりて「ツイッターのつぶやきをまとめて文の体裁を整えてブログに載せるのも全然おかしくなくそもそももとはすべて自分の書いたものなのだからそれでいいじゃん!」とてするなり
-- ✂ ------ 前置きおわり ------ ✂ --

いつの年だったか正確には覚えていないのだが、

「24時間テレビ」で、

「病後の西城秀樹さんが初めて生放送でヤングマンを歌う」という、「企画」があり、

またあの番組らしいイカニモな演出で盛り上げたその歌い出しの一瞬、西城さんが、「え?」って顔をなさった。(私にはそう見えた)

すぐ歌手の顔に戻ったが、私はその瞬間を見た。

このザックリした記憶をザザッと検索したところ、みて感じたことは人それぞれながら「24時間テレビでそういう企画があった」のはたしからしい。
というか、たしかだ。

そのときすでに私はあの番組の偽善というかウソというか、そういうところを知ったあとだったからそれを見なくなって久しかったのだが、

「西城秀樹 復活!」のところだけは観ていたのである。子供のころからのヒーローの一人だから。「ヒデキ」だから。

あの瞬間の、あの西城さんの、あの「え?」 今でも覚えている、わすれない。

「口パク用の音(カラオケ)」が流れたのだ。

あの番組は、自らの「企画」の演出のために視聴者はおろか西城秀樹さんご本人をも騙したのだ!と、今でも私はそう思っている。


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数時間国際国内旅行の話

2017-06-04 | 旅行の話
これを「旅行の話」に括っていいのかどうか、
そして「ツイッター」のつぶやきをブログにまとめるのもどうか、と、
いろいろ思うところあるのですが、

今日、私がつぶやいたある一連のものを、ここに残しておこうと思います。


(ここからいくつかのツイートの写し)

「さあ、これから2路線乗り継ぎの旅が始まる!」

「旅は終わった。「英國屋」でひと休み。ふと、目をやると、なんと手鏡出して化粧している女性がいる……。ここ、「英國屋」やで、しかし。なんでやねん!」

「各国人(欧米、台湾、大阪、南朝鮮、ASEAN、関東など)が集う店の店員は印度で、そこから旅立ち、2路線乗り継ぎで、いま「英國」にいる。このあとは「新潟」へ移動する予定」

「「新潟」を離れると私は「お菓子の国」に迷い込んでしばらく彷徨い、「虎の国」に。目薬だと言い張る青いSを連れて「伊勢」で名物を買った。」

「そして地上に出てみるとそこはOという大きな駅だった。雑踏に紛れながら西へ向かい、「熊本」、ついでに「天王寺の有名なアメ菓子」を連れて、またまた西へ歩き、ついに「点F」に辿り着いたのであった。おお、素晴らしきこの、数時間国際国内旅行よ!」

(ここまでいくつかのツイートの写し)(すべて私がしたツイート、一部文章がおかしいところ微小な訂正あるも、ほぼそのまま)


嗚呼素晴らしき哉!数時間国際国内旅行!


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(すみません、次はもっとちゃんとしたの書きます…
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その後の顛末(八田與一銅像事件)

2017-05-21 | 思いつきの話・思い出の話
その後の顛末を追記します。

容疑者(というよりも自ら犯行をSNSで告白したうえで出頭した)が、捕まりました。
日本では「元台北市議の男」としか報道されなかったが、「李承龍」という中華民國籍の男と、共犯の女が逮捕されました。
この李承龍という男、元台北市議という肩書とはいえ、その実態は「親中・反日」の活動家であるとも聞きました。

被害にあった八田先生の銅像は、別に有った八田先生の「胸像」の頭部を利用して、迅速に緊急修理が行われました。
台南市の頼清徳市長(民主進歩党)はじめ多くの台湾の人々の尽力、多くの寄付金(日本からも寄付金が寄せられたそうです)によって、
5月8日の式典までに修理が完了し、式典は無事に執り行われました。(5月8日は先生の命日、記念式典が行われる)
修理のために使用した「胸像」については、今後、時間をかけて復元するとのことです。

やはり、「八田與一」先生は台湾の皆さんに愛されています。
おなじ日本人として誇らしく、うれしく、感謝の気持ちでいっぱいです。


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とにかく悲しい

2017-04-16 | 思いつきの話・思い出の話
台湾南部の灌漑に尽力された「八田與一」先生。

  

八田先生が作られた烏山頭ダムを見下ろす丘の上、
先生のお墓の前にある先生の銅像の首が刎ねられ、
頭部が何者かに持ち去られてしまいました。

一報に触れて、私は、犯人への怒りがこみあげました。許せません。
そして、とにかく悲しくてなりません。

八田與一先生のことは、このブログでも以前書いています。
(2015年1月26日 旅行の話)

八田與一先生は、
台湾では教科書に載る偉人で、台湾と日本の共通の恩人です。
そんな八田先生の首が刎ねられるとは!


とにかく、とにかく、悲しくてたまりません。

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エイプリルフールの思い出

2017-04-02 | 思いつきの話・思い出の話
昨日は、エイプリルフールでした。
いろんな「エイプリルフール・ツイート」をみながら、昔のことを思い出しました。

1980年代、私はよく短波の日本語放送を聴いていました。

で、当時は英国のBBCも日本語放送をしていて、そのBBCがエイプリルフールの放送では、
「とんでもニュース」を流すのが恒例になっているということを知ったのです。

たしか、「ビッグベンがデジタル表示になる」というのを流したのだと。


で、ある年の4月1日、私は「期待を持って」BBC日本語放送を聴きました。

すべてのニュースを覚えているわけではないのですが、今でも覚えているのは、

「ブリティッシュエアが、日本就航路線に畳を導入することになった。離陸・着陸時に乗客は特別に開発されたベルトを締めることになるが、そのほかの時間は畳の上でゆったりとくつろげる。」

「オックスフォード大学から、校章を付けた文具が発売されることになった。万年筆やボールペン、ノートやブックカバーなどを全世界に向けて売り出す。」

「このたび英国では、食用ラム肉の余った脂身を利用して、自動車の燃料が開発された。」

などなど。
ほかにも何本かの話題が放送されました。


当時、わたしは「ラム肉の話はウソだな」と思ったものの、ほかの話題は本当に信じてしまったのですw
「噂に聞いたほどでもない(それほど面白くない)な・・・」とさえ思っていました。

もちろん、その日の放送は「すべて作り話」だったのですが、本当に、当時は信じてしまったのでした。

だから、「受信報告書」も、まじめに書いて送りました。
「飛行機に畳とは、すごい発想ですね。日本人にはとてもありがたいサービスになると思います。」とか何とか、感想も書いてw

私が幼かったからなのか、あるいは当時の日本でのエイプリルフールの習慣のとらえ方が、今とは違っていたからなのか。

そんなことを、思い出しました。


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東京観光

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
東京に観光目的で行ってきました。


仕事関係でたまに行ったりしたこともあるし
実は住んでいたりしたこともあるのですが


「観光」のために東京に行くことはめったにありませんでした。


数年前に、日帰りで行ったこともあるのですが、今回はそのときよりも時間の余裕もあったし、
かなり、「観光」モード できましたよ。1泊2日でした。


東京での移動の記録を、自らの備忘録を兼ねて書いておきます


品川→泉岳寺→大門

大門→森下→浜町

浜町→九段下

九段下→明治神宮前

明治神宮前→表参道

表参道→銀座

銀座→東京

東京→上野→浅草

浅草→東京スカイツリー駅

押上→羽田空港国内線ターミナル


東京は交通の便がいいですね。



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おしらせ

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
こんにちは(^O^)/

「初めて海外へ旅行した時の話」を、続けて書いてきましたが、かなり間があいてしましました。

このあと、満州でいろんなことがあって、話はまだまだ続くのですが、

そのことはまたの機会に、「初めて海外へ旅行した時の話Part2」として、書くことにします。

そのときは
また、読んでくださいね。



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初めて海外へ旅行した時の話(その11)

2017-01-18 | 旅行の話
つづきです。

翌朝、目が覚めてしばらくした時には、たぶん瀋陽(奉天)付近を通っていた記憶があります。

長春(新京)に着いたのは昼時でした。(正確な記憶がないのですが)

車掌さんは確かに、私が降りる長春(新京)の手前で、切符をもってお知らせに来てくれました。

朝食はどうしたのか覚えていませんが、おそらく持ち込んでいたパンか何かを食べたような記憶です。
その時にコーヒーを飲んだ記憶はたしかです。私が持ち込んでいたインスタントコーヒーを飲んだのです。

パキスタン人に「皆さんも飲みますか?」って聞きました。(そう言った後すぐに私は、「絶対に飲まない」と気が付いたのですが)
すると、やはりパキスタンの皆さんは、コーヒーは断って、紅茶を飲んでいました。もちろん彼らが持ち込んだ茶葉で。
さすがは、英国文化だなーと思いました。

軟臥(一等寝台)のコンパートメントには、4人分のカップと魔法瓶が備えられています。
そして「お湯」は、列車の服務員さんが配りに回ってくるので、それぞれ持ち込んだもので、飲むことができるのです。

長春駅で、パキスタンの皆さんとお別れして
私は降りました。


長春(新京)駅です。


まずは、次の切符を買おうと思って切符売場へ行ったのですが、
北京駅とは違って「外国人窓口」は無く、
前にも書きましたが、とてもまともに切符を売ってくれる雰囲気ではありませんでした。

「まあ、そういうことであれば、確実に切符を手配してくれる方法を使うしかないな。」と思いつつ、それは後で何とでもなるから
次に、ホテルへ行きました。とはいえ、飛び込みです。

実はこの旅は「満州国を訪ねる」というのが大テーマでして、
ホテルはやはり、「ヤマトホテル」に泊まりたかったのです。

「新京ヤマトホテル」です。もちろん名前は「長春賓館」に変わっていましたが、建物は満州国時代のままです。

「空いている部屋はあります?」と聞いて、「ありますよ。」と
その日に泊まるところが決まりました。

私はその時とてもおなかが減っていたので、部屋に入る前に、「今、食事はできます?」ってフロントで言ったんです。
今思い出しますと、食事くらいは部屋に入ってからホテルの外に出たらいくらでもできたのにって考えるんですが、
何しろその時は、前日北京の屋台で昼食を食べた後に見た光景が印象深くて、とても街中で食事をする気持ちにもならなかったのです。
ホテルの食堂に案内されて、「何でもいいからお昼ごはんを作ってください。」と注文したのでした。
鶏肉の炒め物とご飯が出てきました。
ホテルの服務員さんはとても不思議そうな顔をしていたのが印象的です。
たしかに、チェックインすると同時に、「飯食いたい」ってのは、珍しいですよねw 
でもそのとき私は、寝台車の長旅の疲れもあって、ほかのことに気が回っていなかったのだと思います。


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つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その10)

2017-01-05 | 思いつきの話・思い出の話
さて、つづきです。

「特別待合室」の話から。


ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。

入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。

切符を見せると  (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。

一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。

「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)

特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、

社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。

さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、

改札も、一般乗客とは別になっていました。


「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)

そんな人たちを横目に見ながら

私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。

乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。

3対1の相部屋w

でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)

パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw

でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/

その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。

私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。

列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。

検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。

「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。

さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)


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つづく・・・

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新年のご挨拶

2017-01-01 | 思いつきの話・思い出の話
みなさま

あけましておめでとうございます

近年では更新回数もめっきり減っておりますが、今後とも何かしらの話を書いて行こうと思っておりますので

末永くよろしくおねがいいたします。


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初めて海外へ旅行した時の話(その9)

2016-12-30 | 旅行の話
つづきです。

これは、わたしにも落ち度はあったんですが、
と、言うのも、「荷物を預けた証拠」となるものを何も受け取っていなかったのです。

朝、預けた時にロッカーのカギは「服務員」さんがカウンターの引き出しに入れてしまったのを見ていたので、後から思えばその時に何らかのアクションをするべきだったのでしょうが、

そういうシステムなのね。パスポートの番号を控えているんだろう。と軽く考えていたのです。

荷物を受け取りに行ってみると、「服務員」さんはここでも、奥のほうでお茶を飲んでいましたが、それを何とか呼んだら、不満げに出てきました。朝とは違う人でしたので、ここで初めて私は少し不安になりましたが、「私の荷物を出してほしい」と伝えたのです。

すると不機嫌そうに服務員「鍵は?」と。
私  「鍵はその引き出しに入れたじゃん。」
服務員「知らない。」
私  「朝いた服務員さんに聞いてよ。」
服務員「交代で帰った。」

こうなったらもう、私も必死でしたね。

どのロッカーに入れたかは見えていたので、それを指さしながら
「その中にある。」と何回も言うのですが、
服務員「勝手に開けられない。」

終始、服務員は不機嫌でしたが、この件については私の不注意もあるので、もうお願いするしかありませんでした。

「そこのロッカーの中に、紫色のバッグが入っていますから、で、こういう文字のデザインが書いてありますから、それが私のカバンですから、どうか開けて確かめてください。」

服務員さんはまだぶつぶつ言っていましたけど、私もかなりしつこく言いましたので
やっとロッカーを開けてくれて、紫色のバッグを「ポイッ」っと私に投げました。

服務員「これでいいの?」といって、じろっと私をにらみました。

何とか無事に荷物を受け取って、改札をとおり、駅構内の待合室へ行きました。
そこは大混雑の上、各々が驚くほど大きな荷物(段ボールや袋を複数個)持っているので当然ベンチは足りず、床の上にも座り込んでいる状況でした。

うわさに聞いてはいましたが、想像以上です。

私はそんな「一般待合室」を横目に、「特別待合室」へと向かったのです。


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年をまたいで、つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その8)

2016-12-27 | 旅行の話
つづきです。

天壇公園に行きました。

「天壇」は、もっと前に写真で見たことがあって、
もしも将来北京に行くことがあったら是非行ってみたいと思っていた場所でした。

この建物が天壇です。

(写真の左上の角のところに偶然「燕」が写っています)

公園に入って、この建物に行くまでにも周りにいろいろな建物があって、
わたしは、中学生のころに、天壇の写真を何かの機会にみたときから思い続けていた本物のところに着いて、本当にうれしかったことを覚えています。

まあまあ広い公園を回りましたので、それなりの時間を過ごしたのだと思いますが、詳しいことは覚えていません。まあ、ほかにも何枚か写真を撮ったのでそれを見ると、当時のうれしかった思いは蘇ります。

さてさて、どこかで夕飯を食べたんだろうと思いますがそれも思い出せずw、
夜行列車に乗るために、北京駅へ戻ってきました。
「日本国パスポート≒水戸黄門の印籠」を各検問でかざしつつ、駅舎の奥へ入り、

預けた荷物を取りに行きます。

そこでまたひと悶着あったのでした。

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つづく・・・

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