Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

数時間国際国内旅行の話

2017-06-04 | 旅行の話
これを「旅行の話」に括っていいのかどうか、
そして「ツイッター」のつぶやきをブログにまとめるのもどうか、と、
いろいろ思うところあるのですが、

今日、私がつぶやいたある一連のものを、ここに残しておこうと思います。


(ここからいくつかのツイートの写し)

「さあ、これから2路線乗り継ぎの旅が始まる!」

「旅は終わった。「英國屋」でひと休み。ふと、目をやると、なんと手鏡出して化粧している女性がいる……。ここ、「英國屋」やで、しかし。なんでやねん!」

「各国人(欧米、台湾、大阪、南朝鮮、ASEAN、関東など)が集う店の店員は印度で、そこから旅立ち、2路線乗り継ぎで、いま「英國」にいる。このあとは「新潟」へ移動する予定」

「「新潟」を離れると私は「お菓子の国」に迷い込んでしばらく彷徨い、「虎の国」に。目薬だと言い張る青いSを連れて「伊勢」で名物を買った。」

「そして地上に出てみるとそこはOという大きな駅だった。雑踏に紛れながら西へ向かい、「熊本」、ついでに「天王寺の有名なアメ菓子」を連れて、またまた西へ歩き、ついに「点F」に辿り着いたのであった。おお、素晴らしきこの、数時間国際国内旅行よ!」

(ここまでいくつかのツイートの写し)(すべて私がしたツイート、一部文章がおかしいところ微小な訂正あるも、ほぼそのまま)


嗚呼素晴らしき哉!数時間国際国内旅行!


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(すみません、次はもっとちゃんとしたの書きます…
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その後の顛末(八田與一銅像事件)

2017-05-21 | 思いつきの話・思い出の話
その後の顛末を追記します。

容疑者(というよりも自ら犯行をSNSで告白したうえで出頭した)が、捕まりました。
日本では「元台北市議の男」としか報道されなかったが、「李承龍」という中華民國籍の男と、共犯の女が逮捕されました。
この李承龍という男、元台北市議という肩書とはいえ、その実態は「親中・反日」の活動家であるとも聞きました。

被害にあった八田先生の銅像は、別に有った八田先生の「胸像」の頭部を利用して、迅速に緊急修理が行われました。
台南市の頼清徳市長(民主進歩党)はじめ多くの台湾の人々の尽力、多くの寄付金(日本からも寄付金が寄せられたそうです)によって、
5月8日の式典までに修理が完了し、式典は無事に執り行われました。(5月8日は先生の命日、記念式典が行われる)
修理のために使用した「胸像」については、今後、時間をかけて復元するとのことです。

やはり、「八田與一」先生は台湾の皆さんに愛されています。
おなじ日本人として誇らしく、うれしく、感謝の気持ちでいっぱいです。


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とにかく悲しい

2017-04-16 | 思いつきの話・思い出の話
台湾南部の灌漑に尽力された「八田與一」先生。

  

八田先生が作られた烏山頭ダムを見下ろす丘の上、
先生のお墓の前にある先生の銅像の首が刎ねられ、
頭部が何者かに持ち去られてしまいました。

一報に触れて、私は、犯人への怒りがこみあげました。許せません。
そして、とにかく悲しくてなりません。

八田與一先生のことは、このブログでも以前書いています。
(2015年1月26日 旅行の話)

八田與一先生は、
台湾では教科書に載る偉人で、台湾と日本の共通の恩人です。
そんな八田先生の首が刎ねられるとは!


とにかく、とにかく、悲しくてたまりません。

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エイプリルフールの思い出

2017-04-02 | 思いつきの話・思い出の話
昨日は、エイプリルフールでした。
いろんな「エイプリルフール・ツイート」をみながら、昔のことを思い出しました。

1980年代、私はよく短波の日本語放送を聴いていました。

で、当時は英国のBBCも日本語放送をしていて、そのBBCがエイプリルフールの放送では、
「とんでもニュース」を流すのが恒例になっているということを知ったのです。

たしか、「ビッグベンがデジタル表示になる」というのを流したのだと。


で、ある年の4月1日、私は「期待を持って」BBC日本語放送を聴きました。

すべてのニュースを覚えているわけではないのですが、今でも覚えているのは、

「ブリティッシュエアが、日本就航路線に畳を導入することになった。離陸・着陸時に乗客は特別に開発されたベルトを締めることになるが、そのほかの時間は畳の上でゆったりとくつろげる。」

「オックスフォード大学から、校章を付けた文具が発売されることになった。万年筆やボールペン、ノートやブックカバーなどを全世界に向けて売り出す。」

「このたび英国では、食用ラム肉の余った脂身を利用して、自動車の燃料が開発された。」

などなど。
ほかにも何本かの話題が放送されました。


当時、わたしは「ラム肉の話はウソだな」と思ったものの、ほかの話題は本当に信じてしまったのですw
「噂に聞いたほどでもない(それほど面白くない)な・・・」とさえ思っていました。

もちろん、その日の放送は「すべて作り話」だったのですが、本当に、当時は信じてしまったのでした。

だから、「受信報告書」も、まじめに書いて送りました。
「飛行機に畳とは、すごい発想ですね。日本人にはとてもありがたいサービスになると思います。」とか何とか、感想も書いてw

私が幼かったからなのか、あるいは当時の日本でのエイプリルフールの習慣のとらえ方が、今とは違っていたからなのか。

そんなことを、思い出しました。


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東京観光

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
東京に観光目的で行ってきました。


仕事関係でたまに行ったりしたこともあるし
実は住んでいたりしたこともあるのですが


「観光」のために東京に行くことはめったにありませんでした。


数年前に、日帰りで行ったこともあるのですが、今回はそのときよりも時間の余裕もあったし、
かなり、「観光」モード できましたよ。1泊2日でした。


東京での移動の記録を、自らの備忘録を兼ねて書いておきます


品川→泉岳寺→大門

大門→森下→浜町

浜町→九段下

九段下→明治神宮前

明治神宮前→表参道

表参道→銀座

銀座→東京

東京→上野→浅草

浅草→東京スカイツリー駅

押上→羽田空港国内線ターミナル


東京は交通の便がいいですね。



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おしらせ

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
こんにちは(^O^)/

「初めて海外へ旅行した時の話」を、続けて書いてきましたが、かなり間があいてしましました。

このあと、満州でいろんなことがあって、話はまだまだ続くのですが、

そのことはまたの機会に、「初めて海外へ旅行した時の話Part2」として、書くことにします。

そのときは
また、読んでくださいね。



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初めて海外へ旅行した時の話(その11)

2017-01-18 | 旅行の話
つづきです。

翌朝、目が覚めてしばらくした時には、たぶん瀋陽(奉天)付近を通っていた記憶があります。

長春(新京)に着いたのは昼時でした。(正確な記憶がないのですが)

車掌さんは確かに、私が降りる長春(新京)の手前で、切符をもってお知らせに来てくれました。

朝食はどうしたのか覚えていませんが、おそらく持ち込んでいたパンか何かを食べたような記憶です。
その時にコーヒーを飲んだ記憶はたしかです。私が持ち込んでいたインスタントコーヒーを飲んだのです。

パキスタン人に「皆さんも飲みますか?」って聞きました。(そう言った後すぐに私は、「絶対に飲まない」と気が付いたのですが)
すると、やはりパキスタンの皆さんは、コーヒーは断って、紅茶を飲んでいました。もちろん彼らが持ち込んだ茶葉で。
さすがは、英国文化だなーと思いました。

軟臥(一等寝台)のコンパートメントには、4人分のカップと魔法瓶が備えられています。
そして「お湯」は、列車の服務員さんが配りに回ってくるので、それぞれ持ち込んだもので、飲むことができるのです。

長春駅で、パキスタンの皆さんとお別れして
私は降りました。


長春(新京)駅です。


まずは、次の切符を買おうと思って切符売場へ行ったのですが、
北京駅とは違って「外国人窓口」は無く、
前にも書きましたが、とてもまともに切符を売ってくれる雰囲気ではありませんでした。

「まあ、そういうことであれば、確実に切符を手配してくれる方法を使うしかないな。」と思いつつ、それは後で何とでもなるから
次に、ホテルへ行きました。とはいえ、飛び込みです。

実はこの旅は「満州国を訪ねる」というのが大テーマでして、
ホテルはやはり、「ヤマトホテル」に泊まりたかったのです。

「新京ヤマトホテル」です。もちろん名前は「長春賓館」に変わっていましたが、建物は満州国時代のままです。

「空いている部屋はあります?」と聞いて、「ありますよ。」と
その日に泊まるところが決まりました。

私はその時とてもおなかが減っていたので、部屋に入る前に、「今、食事はできます?」ってフロントで言ったんです。
今思い出しますと、食事くらいは部屋に入ってからホテルの外に出たらいくらでもできたのにって考えるんですが、
何しろその時は、前日北京の屋台で昼食を食べた後に見た光景が印象深くて、とても街中で食事をする気持ちにもならなかったのです。
ホテルの食堂に案内されて、「何でもいいからお昼ごはんを作ってください。」と注文したのでした。
鶏肉の炒め物とご飯が出てきました。
ホテルの服務員さんはとても不思議そうな顔をしていたのが印象的です。
たしかに、チェックインすると同時に、「飯食いたい」ってのは、珍しいですよねw 
でもそのとき私は、寝台車の長旅の疲れもあって、ほかのことに気が回っていなかったのだと思います。


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つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その10)

2017-01-05 | 思いつきの話・思い出の話
さて、つづきです。

「特別待合室」の話から。


ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。

入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。

切符を見せると  (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。

一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。

「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)

特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、

社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。

さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、

改札も、一般乗客とは別になっていました。


「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)

そんな人たちを横目に見ながら

私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。

乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。

3対1の相部屋w

でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)

パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw

でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/

その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。

私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。

列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。

検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。

「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。

さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)


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つづく・・・

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新年のご挨拶

2017-01-01 | 思いつきの話・思い出の話
みなさま

あけましておめでとうございます

近年では更新回数もめっきり減っておりますが、今後とも何かしらの話を書いて行こうと思っておりますので

末永くよろしくおねがいいたします。


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初めて海外へ旅行した時の話(その9)

2016-12-30 | 旅行の話
つづきです。

これは、わたしにも落ち度はあったんですが、
と、言うのも、「荷物を預けた証拠」となるものを何も受け取っていなかったのです。

朝、預けた時にロッカーのカギは「服務員」さんがカウンターの引き出しに入れてしまったのを見ていたので、後から思えばその時に何らかのアクションをするべきだったのでしょうが、

そういうシステムなのね。パスポートの番号を控えているんだろう。と軽く考えていたのです。

荷物を受け取りに行ってみると、「服務員」さんはここでも、奥のほうでお茶を飲んでいましたが、それを何とか呼んだら、不満げに出てきました。朝とは違う人でしたので、ここで初めて私は少し不安になりましたが、「私の荷物を出してほしい」と伝えたのです。

すると不機嫌そうに服務員「鍵は?」と。
私  「鍵はその引き出しに入れたじゃん。」
服務員「知らない。」
私  「朝いた服務員さんに聞いてよ。」
服務員「交代で帰った。」

こうなったらもう、私も必死でしたね。

どのロッカーに入れたかは見えていたので、それを指さしながら
「その中にある。」と何回も言うのですが、
服務員「勝手に開けられない。」

終始、服務員は不機嫌でしたが、この件については私の不注意もあるので、もうお願いするしかありませんでした。

「そこのロッカーの中に、紫色のバッグが入っていますから、で、こういう文字のデザインが書いてありますから、それが私のカバンですから、どうか開けて確かめてください。」

服務員さんはまだぶつぶつ言っていましたけど、私もかなりしつこく言いましたので
やっとロッカーを開けてくれて、紫色のバッグを「ポイッ」っと私に投げました。

服務員「これでいいの?」といって、じろっと私をにらみました。

何とか無事に荷物を受け取って、改札をとおり、駅構内の待合室へ行きました。
そこは大混雑の上、各々が驚くほど大きな荷物(段ボールや袋を複数個)持っているので当然ベンチは足りず、床の上にも座り込んでいる状況でした。

うわさに聞いてはいましたが、想像以上です。

私はそんな「一般待合室」を横目に、「特別待合室」へと向かったのです。


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年をまたいで、つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その8)

2016-12-27 | 旅行の話
つづきです。

天壇公園に行きました。

「天壇」は、もっと前に写真で見たことがあって、
もしも将来北京に行くことがあったら是非行ってみたいと思っていた場所でした。

この建物が天壇です。

(写真の左上の角のところに偶然「燕」が写っています)

公園に入って、この建物に行くまでにも周りにいろいろな建物があって、
わたしは、中学生のころに、天壇の写真を何かの機会にみたときから思い続けていた本物のところに着いて、本当にうれしかったことを覚えています。

まあまあ広い公園を回りましたので、それなりの時間を過ごしたのだと思いますが、詳しいことは覚えていません。まあ、ほかにも何枚か写真を撮ったのでそれを見ると、当時のうれしかった思いは蘇ります。

さてさて、どこかで夕飯を食べたんだろうと思いますがそれも思い出せずw、
夜行列車に乗るために、北京駅へ戻ってきました。
「日本国パスポート≒水戸黄門の印籠」を各検問でかざしつつ、駅舎の奥へ入り、

預けた荷物を取りに行きます。

そこでまたひと悶着あったのでした。

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つづく・・・

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初めて海外へ旅行した時の話(その7)

2016-12-25 | 旅行の話
つづきです。

「紫禁城」って書きましたけど、今では「故宮」と呼ばれているそこには、
たしかに建築物の多くは昔のまま残っていて、
前回の写真のように玉座なども保存されていますし、
建築物の一部が「故宮博物院」とされ、清朝が集めた「お宝」が展示されています。

しかし、北京の「故宮博物院」にある文物は、第一級品ではありません。

清朝末期から國共内戦に至る混乱期に、蒋介石の國民党が第一級のお宝を疎開させたので、
結果、それらのお宝の大多数は國民党とともに台湾に渡りました。

ですので、清朝の第一級の「お宝」は、実は、台北の「國立故宮博物院」にあるのです。

有名なところでは「翠玉白菜(翡翠と玉の白菜)」とか「肉型石(豚角煮の石)」などなど、そのほか書画も含めて
第一級のお宝を見たいならば、台北に行ってください。

話がそれました。

故宮の北側から入ったので、歩き進んで、南側の「天安門」に来ました。
観光客も持ち物を預けていくらかの料金を払えば、普段なら天安門に登ることができるのですが、

このときは、ダメでした。やはり、戒厳令下だからだと思うんですけど、兵士がいて、入れてくれませんでした。
(なのに手荷物預かり所は平常営業で、お金も取られた o(`ω´*)o )

まあ、仕方ない。

でも、逆に、戒厳令下の街を歩くという、とんでもない体験ができたことは、よかったと、いまでも思っています。


故宮を出て、
ちょうど昼時だったので何か食べることにしました。(?記憶があいまいなのですが、もしかしたら故宮に入る前に昼ごはんだったかも)
とにかく、昼ご飯の話。

「食の衛生に気を付けるように。」とさんざん聞いていて「箸が汚いから、マイ箸を持って行ったほうがいい。」とも聞いていたので
わたしは箸を持って行っていたのですが、
ちょうど目に入った屋台で、おいしそうな「混ぜ麵?」というのか、汁なし麺を売っていたのでそれを食べることにしました。
聞いていたとおり、割りばしはありませんでしたので、マイ箸が役に立ちました。
しかもその屋台では、器は発泡スチロールの使い捨てのものだったので、ますます安心して食べたのです。
おいしかったですよ。
はい。味は本当においしかったです。それととても安かったです。

私が持参の箸を使っているのを屋台の主人は不思議そうに見ていましたけども。

食べ終わって、「衛生的でおいしい屋台があってよかった。」と思いながら容器を近くのゴミ箱に捨てに行ったとき、
私は見てはいけないものを見てしまいました!!

なんと、そのゴミ箱の横に一人のおじさんがいて、
そこの屋台で使っている発泡スチロールの容器をよりわけて袋に詰めていたのです。

はっ ( ゚д゚ )!

使い捨てだと思っていたその発砲スチロールの器、じつは使いまわしていたのでした/(^o^)\

今思えば、当時の北京で高価な発泡スチロールの器を使い捨てにはできないって、わかるんだけども
なんか、騙された感じでした。

幸なことにおなかも痛くならなかったし、まあ、そんなこんなも含めて、外国はおもしろいです。

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初めて海外へ旅行した時の話(その6)

2016-12-24 | 旅行の話
おひさしぶりでございます(^O^)/

つづきです。


北京駅から街に出てまず目指したのは、「天安門前広場」でした。

まあ、定番かなと思って。


で、着いたんだけど

入れないの?


この旅行の話は、1989年7月


その年の6月4日に、起こった事件のため、北京市は「戒厳令下」でした。


兵士に止められるんです。ここから先(天安門前広場)に行ってはいけないと。


広場の北側に天安門があって、さらにその北に「紫禁城」があるんだけど、
私は兵士に訊いたんですよ。

「じゃあ、紫禁城へはどうやって行ったらいいのか?」と。


兵士は、「それはわからない」と言いました。

当時、北京にいた兵士は、地元民ではなくって、あえて ほかの地域から派兵されていると聞いていたのですがそのとおりで、
もっと言えば、わたしに答えた兵士は、標準語もまともにできない感じでした。


仕方がないので、地図を見つつ(当時はスマホなんかないからね)バスで天安門前広場を避けるように大回りして北側へ移動したんです。


ようやく、北側の入り口から「紫禁城」に入ったら、中はまあまあ平穏でした。
兵士はいましたが。


写真も当時はフィルムなので、今ほどたくさんは撮っていないし、雨だったのであまりいい写真は撮れなかったんだけど、
昔の写真を引っ張り出してきてみました。



清朝の皇帝の玉座です。


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続く

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初めて海外へ旅行した時の話(その5)

2016-11-20 | 旅行の話
つづきです。

で、
「外国人専用切符窓口」にたどり着きましたよ。

ここの「服務員」さんも、まあ、いい加減でしたね。仕事はしているんですけど、「サービス」という考え方は皆無。
自分たちのペースでやってるから、日本から来た私から見れば、「全く仕事をしていない」と見えました。でも、もうわかっていたので、それに怒ったりはしません。

さあ、切符を買うのだが、この窓口でも、「並ばない」というか、並んでいてもダメなんですね。

とにかく、窓口の中の人の気分次第だから、とにかくアピールして気が付いてもらわないといけないんです。

客はみな外国人だけどとにかくその中でも目立たないといけないのですよ。 変でしょうw


窓口の前で、パスポートとお札をかざして、中の人を呼ぶんです!


私の番になって、あらかじめ買った時刻表で調べておいた列車の切符を1枚ほしいと、伝えました。
たしか、念のため紙にも書いて見せたと思います。


夜行列車には4等級あります。
1.軟臥(一等寝台)やわらかいベッド
2.硬臥(二等寝台)かたいベッド
3.軟座(一等座席)ベッドはないがやわらかい座席
4.硬座(二等座席)ベッドなしでかたい座席

基本的に、外国人は「軟臥(一等寝台)」しか買えません。
でも、それでいいと思っていました。

当時、座席指定の機械というか、システム機器もないのに、どうして予約できるのか、今思えば不思議なんですけど
とにかく、何時のどこ行きでどこまでを伝えたのでした。

窓口の服務員さんが間髪入れずに言いました。
「没有!」(「無いよ!」)

出た出た。と私は思いました。
あらかじめ聞いていたのですが、これは、本当に切符が無いのではないのです。

切符の発券手配をするのが面倒なので、「無い」というのだそうです。

これが、社会主義国です。

「そんなはずないでしょうよ、しっかり調べてみなさいよ、私はその列車に乗りたいんですよ、お願いしますよ、どうしても乗るんですよ・・・」と、
これくらい言って初めて、嫌々ながら切符の発券を始めるのです。

恐るべし、社会主義国w

その日の夜8時ごろに出る夜行寝台で、長春まで行く切符を入手できました。

手荷物預かり所に荷物を預けて、
市内観光に出かけました。

戒厳令下の北京、いろんなことがありました。


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初めて海外へ旅行した時の話(その4)

2016-11-19 | 旅行の話
ながらく間があいてしまいました。

初めて海外に行った時の話を続けます。

「当時の支那で個人旅行者が切符を買うのはとても大変だった。」というところまで前回書きましたが、それはどういうことか。

今はどうなっているのか知りませんが、当時は自国民ですら自由に国内での移動をすることが難しい時代でした。

駅の切符売り場にもはっきりと「優先順位」が書いてありました。たしか、1.共産党幹部 2.軍人 3.共産党員 4以降は忘れたけど、そんな感じで、さらに「外国人」は別枠で、専用の売り場に行かなくてはなりませんでした。

一般の窓口ではないというのは、ある意味では優遇されているとも言えます。とにかく一般の切符売り場は「めちゃくちゃ」でしたから。
もちろん、自動販売機などはありませんし、客は並ばないし、しかも窓口の中の人は「働かない」! 支那語で「服務員(サービス員)」と呼ぶのだが、サービス精神なんか全くない人たちです。切符を求める人が大勢窓口に群がっているのに、気分次第ではお茶を飲んでいたりしました。

まあ、そんな感じでいかにも「『社会主義国』だなあ」と逆に興味深く思ったほどです。

外国人専用切符売り場は駅の奥のほうにあって、そこまで行くこともなかなか大変でした。

当時、北京市は「戒厳令下」だったからか(あるいは、いつもそうなのかもしれませんが)
駅舎の入り口で銃を持った兵士が検問をしていました。
身分証の提示を求められたので、パスポートを見せると、あっさり通してくれました。

奥にある専用窓口に行くまでも何度か止められて、そのたびに日本のパスポートを見せたのですが、日本のパスポートとわかるとすぐに通してくれました。水戸黄門の印籠みたいでした。


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