Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

東京観光

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
東京に観光目的で行ってきました。


仕事関係でたまに行ったりしたこともあるし
実は住んでいたりしたこともあるのですが


「観光」のために東京に行くことはめったにありませんでした。


数年前に、日帰りで行ったこともあるのですが、今回はそのときよりも時間の余裕もあったし、
かなり、「観光」モード できましたよ。1泊2日でした。


東京での移動の記録を、自らの備忘録を兼ねて書いておきます


品川→泉岳寺→大門

大門→森下→浜町

浜町→九段下

九段下→明治神宮前

明治神宮前→表参道

表参道→銀座

銀座→東京

東京→上野→浅草

浅草→東京スカイツリー駅

押上→羽田空港国内線ターミナル


東京は交通の便がいいですね。



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おしらせ

2017-02-26 | 思いつきの話・思い出の話
こんにちは(^O^)/

「初めて海外へ旅行した時の話」を、続けて書いてきましたが、かなり間があいてしましました。

このあと、満州でいろんなことがあって、話はまだまだ続くのですが、

そのことはまたの機会に、「初めて海外へ旅行した時の話Part2」として、書くことにします。

そのときは
また、読んでくださいね。



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初めて海外へ旅行した時の話(その11)

2017-01-18 | 旅行の話
つづきです。

翌朝、目が覚めてしばらくした時には、たぶん瀋陽(奉天)付近を通っていた記憶があります。

長春(新京)に着いたのは昼時でした。(正確な記憶がないのですが)

車掌さんは確かに、私が降りる長春(新京)の手前で、切符をもってお知らせに来てくれました。

朝食はどうしたのか覚えていませんが、おそらく持ち込んでいたパンか何かを食べたような記憶です。
その時にコーヒーを飲んだ記憶はたしかです。私が持ち込んでいたインスタントコーヒーを飲んだのです。

パキスタン人に「皆さんも飲みますか?」って聞きました。(そう言った後すぐに私は、「絶対に飲まない」と気が付いたのですが)
すると、やはりパキスタンの皆さんは、コーヒーは断って、紅茶を飲んでいました。もちろん彼らが持ち込んだ茶葉で。
さすがは、英国文化だなーと思いました。

軟臥(一等寝台)のコンパートメントには、4人分のカップと魔法瓶が備えられています。
そして「お湯」は、列車の服務員さんが配りに回ってくるので、それぞれ持ち込んだもので、飲むことができるのです。

長春駅で、パキスタンの皆さんとお別れして
私は降りました。


長春(新京)駅です。


まずは、次の切符を買おうと思って切符売場へ行ったのですが、
北京駅とは違って「外国人窓口」は無く、
前にも書きましたが、とてもまともに切符を売ってくれる雰囲気ではありませんでした。

「まあ、そういうことであれば、確実に切符を手配してくれる方法を使うしかないな。」と思いつつ、それは後で何とでもなるから
次に、ホテルへ行きました。とはいえ、飛び込みです。

実はこの旅は「満州国を訪ねる」というのが大テーマでして、
ホテルはやはり、「ヤマトホテル」に泊まりたかったのです。

「新京ヤマトホテル」です。もちろん名前は「長春賓館」に変わっていましたが、建物は満州国時代のままです。

「空いている部屋はあります?」と聞いて、「ありますよ。」と
その日に泊まるところが決まりました。

私はその時とてもおなかが減っていたので、部屋に入る前に、「今、食事はできます?」ってフロントで言ったんです。
今思い出しますと、食事くらいは部屋に入ってからホテルの外に出たらいくらでもできたのにって考えるんですが、
何しろその時は、前日北京の屋台で昼食を食べた後に見た光景が印象深くて、とても街中で食事をする気持ちにもならなかったのです。
ホテルの食堂に案内されて、「何でもいいからお昼ごはんを作ってください。」と注文したのでした。
鶏肉の炒め物とご飯が出てきました。
ホテルの服務員さんはとても不思議そうな顔をしていたのが印象的です。
たしかに、チェックインすると同時に、「飯食いたい」ってのは、珍しいですよねw 
でもそのとき私は、寝台車の長旅の疲れもあって、ほかのことに気が回っていなかったのだと思います。


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つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その10)

2017-01-05 | 思いつきの話・思い出の話
さて、つづきです。

「特別待合室」の話から。


ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。

入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。

切符を見せると  (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。

一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。

「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)

特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、

社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。

さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、

改札も、一般乗客とは別になっていました。


「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)

そんな人たちを横目に見ながら

私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。

乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。

3対1の相部屋w

でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)

パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw

でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/

その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。

私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。

列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。

検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。

「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。

さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)


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つづく・・・

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新年のご挨拶

2017-01-01 | 思いつきの話・思い出の話
みなさま

あけましておめでとうございます

近年では更新回数もめっきり減っておりますが、今後とも何かしらの話を書いて行こうと思っておりますので

末永くよろしくおねがいいたします。


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初めて海外へ旅行した時の話(その9)

2016-12-30 | 旅行の話
つづきです。

これは、わたしにも落ち度はあったんですが、
と、言うのも、「荷物を預けた証拠」となるものを何も受け取っていなかったのです。

朝、預けた時にロッカーのカギは「服務員」さんがカウンターの引き出しに入れてしまったのを見ていたので、後から思えばその時に何らかのアクションをするべきだったのでしょうが、

そういうシステムなのね。パスポートの番号を控えているんだろう。と軽く考えていたのです。

荷物を受け取りに行ってみると、「服務員」さんはここでも、奥のほうでお茶を飲んでいましたが、それを何とか呼んだら、不満げに出てきました。朝とは違う人でしたので、ここで初めて私は少し不安になりましたが、「私の荷物を出してほしい」と伝えたのです。

すると不機嫌そうに服務員「鍵は?」と。
私  「鍵はその引き出しに入れたじゃん。」
服務員「知らない。」
私  「朝いた服務員さんに聞いてよ。」
服務員「交代で帰った。」

こうなったらもう、私も必死でしたね。

どのロッカーに入れたかは見えていたので、それを指さしながら
「その中にある。」と何回も言うのですが、
服務員「勝手に開けられない。」

終始、服務員は不機嫌でしたが、この件については私の不注意もあるので、もうお願いするしかありませんでした。

「そこのロッカーの中に、紫色のバッグが入っていますから、で、こういう文字のデザインが書いてありますから、それが私のカバンですから、どうか開けて確かめてください。」

服務員さんはまだぶつぶつ言っていましたけど、私もかなりしつこく言いましたので
やっとロッカーを開けてくれて、紫色のバッグを「ポイッ」っと私に投げました。

服務員「これでいいの?」といって、じろっと私をにらみました。

何とか無事に荷物を受け取って、改札をとおり、駅構内の待合室へ行きました。
そこは大混雑の上、各々が驚くほど大きな荷物(段ボールや袋を複数個)持っているので当然ベンチは足りず、床の上にも座り込んでいる状況でした。

うわさに聞いてはいましたが、想像以上です。

私はそんな「一般待合室」を横目に、「特別待合室」へと向かったのです。


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年をまたいで、つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その8)

2016-12-27 | 旅行の話
つづきです。

天壇公園に行きました。

「天壇」は、もっと前に写真で見たことがあって、
もしも将来北京に行くことがあったら是非行ってみたいと思っていた場所でした。

この建物が天壇です。

(写真の左上の角のところに偶然「燕」が写っています)

公園に入って、この建物に行くまでにも周りにいろいろな建物があって、
わたしは、中学生のころに、天壇の写真を何かの機会にみたときから思い続けていた本物のところに着いて、本当にうれしかったことを覚えています。

まあまあ広い公園を回りましたので、それなりの時間を過ごしたのだと思いますが、詳しいことは覚えていません。まあ、ほかにも何枚か写真を撮ったのでそれを見ると、当時のうれしかった思いは蘇ります。

さてさて、どこかで夕飯を食べたんだろうと思いますがそれも思い出せずw、
夜行列車に乗るために、北京駅へ戻ってきました。
「日本国パスポート≒水戸黄門の印籠」を各検問でかざしつつ、駅舎の奥へ入り、

預けた荷物を取りに行きます。

そこでまたひと悶着あったのでした。

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つづく・・・

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初めて海外へ旅行した時の話(その7)

2016-12-25 | 旅行の話
つづきです。

「紫禁城」って書きましたけど、今では「故宮」と呼ばれているそこには、
たしかに建築物の多くは昔のまま残っていて、
前回の写真のように玉座なども保存されていますし、
建築物の一部が「故宮博物院」とされ、清朝が集めた「お宝」が展示されています。

しかし、北京の「故宮博物院」にある文物は、第一級品ではありません。

清朝末期から國共内戦に至る混乱期に、蒋介石の國民党が第一級のお宝を疎開させたので、
結果、それらのお宝の大多数は國民党とともに台湾に渡りました。

ですので、清朝の第一級の「お宝」は、実は、台北の「國立故宮博物院」にあるのです。

有名なところでは「翠玉白菜(翡翠と玉の白菜)」とか「肉型石(豚角煮の石)」などなど、そのほか書画も含めて
第一級のお宝を見たいならば、台北に行ってください。

話がそれました。

故宮の北側から入ったので、歩き進んで、南側の「天安門」に来ました。
観光客も持ち物を預けていくらかの料金を払えば、普段なら天安門に登ることができるのですが、

このときは、ダメでした。やはり、戒厳令下だからだと思うんですけど、兵士がいて、入れてくれませんでした。
(なのに手荷物預かり所は平常営業で、お金も取られた o(`ω´*)o )

まあ、仕方ない。

でも、逆に、戒厳令下の街を歩くという、とんでもない体験ができたことは、よかったと、いまでも思っています。


故宮を出て、
ちょうど昼時だったので何か食べることにしました。(?記憶があいまいなのですが、もしかしたら故宮に入る前に昼ごはんだったかも)
とにかく、昼ご飯の話。

「食の衛生に気を付けるように。」とさんざん聞いていて「箸が汚いから、マイ箸を持って行ったほうがいい。」とも聞いていたので
わたしは箸を持って行っていたのですが、
ちょうど目に入った屋台で、おいしそうな「混ぜ麵?」というのか、汁なし麺を売っていたのでそれを食べることにしました。
聞いていたとおり、割りばしはありませんでしたので、マイ箸が役に立ちました。
しかもその屋台では、器は発泡スチロールの使い捨てのものだったので、ますます安心して食べたのです。
おいしかったですよ。
はい。味は本当においしかったです。それととても安かったです。

私が持参の箸を使っているのを屋台の主人は不思議そうに見ていましたけども。

食べ終わって、「衛生的でおいしい屋台があってよかった。」と思いながら容器を近くのゴミ箱に捨てに行ったとき、
私は見てはいけないものを見てしまいました!!

なんと、そのゴミ箱の横に一人のおじさんがいて、
そこの屋台で使っている発泡スチロールの容器をよりわけて袋に詰めていたのです。

はっ ( ゚д゚ )!

使い捨てだと思っていたその発砲スチロールの器、じつは使いまわしていたのでした/(^o^)\

今思えば、当時の北京で高価な発泡スチロールの器を使い捨てにはできないって、わかるんだけども
なんか、騙された感じでした。

幸なことにおなかも痛くならなかったし、まあ、そんなこんなも含めて、外国はおもしろいです。

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つづく・・・
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初めて海外へ旅行した時の話(その6)

2016-12-24 | 旅行の話
おひさしぶりでございます(^O^)/

つづきです。


北京駅から街に出てまず目指したのは、「天安門前広場」でした。

まあ、定番かなと思って。


で、着いたんだけど

入れないの?


この旅行の話は、1989年7月


その年の6月4日に、起こった事件のため、北京市は「戒厳令下」でした。


兵士に止められるんです。ここから先(天安門前広場)に行ってはいけないと。


広場の北側に天安門があって、さらにその北に「紫禁城」があるんだけど、
私は兵士に訊いたんですよ。

「じゃあ、紫禁城へはどうやって行ったらいいのか?」と。


兵士は、「それはわからない」と言いました。

当時、北京にいた兵士は、地元民ではなくって、あえて ほかの地域から派兵されていると聞いていたのですがそのとおりで、
もっと言えば、わたしに答えた兵士は、標準語もまともにできない感じでした。


仕方がないので、地図を見つつ(当時はスマホなんかないからね)バスで天安門前広場を避けるように大回りして北側へ移動したんです。


ようやく、北側の入り口から「紫禁城」に入ったら、中はまあまあ平穏でした。
兵士はいましたが。


写真も当時はフィルムなので、今ほどたくさんは撮っていないし、雨だったのであまりいい写真は撮れなかったんだけど、
昔の写真を引っ張り出してきてみました。



清朝の皇帝の玉座です。


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続く

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初めて海外へ旅行した時の話(その5)

2016-11-20 | 旅行の話
つづきです。

で、
「外国人専用切符窓口」にたどり着きましたよ。

ここの「服務員」さんも、まあ、いい加減でしたね。仕事はしているんですけど、「サービス」という考え方は皆無。
自分たちのペースでやってるから、日本から来た私から見れば、「全く仕事をしていない」と見えました。でも、もうわかっていたので、それに怒ったりはしません。

さあ、切符を買うのだが、この窓口でも、「並ばない」というか、並んでいてもダメなんですね。

とにかく、窓口の中の人の気分次第だから、とにかくアピールして気が付いてもらわないといけないんです。

客はみな外国人だけどとにかくその中でも目立たないといけないのですよ。 変でしょうw


窓口の前で、パスポートとお札をかざして、中の人を呼ぶんです!


私の番になって、あらかじめ買った時刻表で調べておいた列車の切符を1枚ほしいと、伝えました。
たしか、念のため紙にも書いて見せたと思います。


夜行列車には4等級あります。
1.軟臥(一等寝台)やわらかいベッド
2.硬臥(二等寝台)かたいベッド
3.軟座(一等座席)ベッドはないがやわらかい座席
4.硬座(二等座席)ベッドなしでかたい座席

基本的に、外国人は「軟臥(一等寝台)」しか買えません。
でも、それでいいと思っていました。

当時、座席指定の機械というか、システム機器もないのに、どうして予約できるのか、今思えば不思議なんですけど
とにかく、何時のどこ行きでどこまでを伝えたのでした。

窓口の服務員さんが間髪入れずに言いました。
「没有!」(「無いよ!」)

出た出た。と私は思いました。
あらかじめ聞いていたのですが、これは、本当に切符が無いのではないのです。

切符の発券手配をするのが面倒なので、「無い」というのだそうです。

これが、社会主義国です。

「そんなはずないでしょうよ、しっかり調べてみなさいよ、私はその列車に乗りたいんですよ、お願いしますよ、どうしても乗るんですよ・・・」と、
これくらい言って初めて、嫌々ながら切符の発券を始めるのです。

恐るべし、社会主義国w

その日の夜8時ごろに出る夜行寝台で、長春まで行く切符を入手できました。

手荷物預かり所に荷物を預けて、
市内観光に出かけました。

戒厳令下の北京、いろんなことがありました。


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初めて海外へ旅行した時の話(その4)

2016-11-19 | 旅行の話
ながらく間があいてしまいました。

初めて海外に行った時の話を続けます。

「当時の支那で個人旅行者が切符を買うのはとても大変だった。」というところまで前回書きましたが、それはどういうことか。

今はどうなっているのか知りませんが、当時は自国民ですら自由に国内での移動をすることが難しい時代でした。

駅の切符売り場にもはっきりと「優先順位」が書いてありました。たしか、1.共産党幹部 2.軍人 3.共産党員 4以降は忘れたけど、そんな感じで、さらに「外国人」は別枠で、専用の売り場に行かなくてはなりませんでした。

一般の窓口ではないというのは、ある意味では優遇されているとも言えます。とにかく一般の切符売り場は「めちゃくちゃ」でしたから。
もちろん、自動販売機などはありませんし、客は並ばないし、しかも窓口の中の人は「働かない」! 支那語で「服務員(サービス員)」と呼ぶのだが、サービス精神なんか全くない人たちです。切符を求める人が大勢窓口に群がっているのに、気分次第ではお茶を飲んでいたりしました。

まあ、そんな感じでいかにも「『社会主義国』だなあ」と逆に興味深く思ったほどです。

外国人専用切符売り場は駅の奥のほうにあって、そこまで行くこともなかなか大変でした。

当時、北京市は「戒厳令下」だったからか(あるいは、いつもそうなのかもしれませんが)
駅舎の入り口で銃を持った兵士が検問をしていました。
身分証の提示を求められたので、パスポートを見せると、あっさり通してくれました。

奥にある専用窓口に行くまでも何度か止められて、そのたびに日本のパスポートを見せたのですが、日本のパスポートとわかるとすぐに通してくれました。水戸黄門の印籠みたいでした。


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初めて海外へ旅行した時の話(その3)

2016-09-20 | 旅行の話
つづきです(^O^)/

北京の2日目は雨でした。
合羽を着て、北京駅に向かいました。

とはいえ、ホテルから駅までどうやって行けばいいか分からないので、
とにかく、ホテルの近所のお店とかに入って、「北京駅へ行きたいんですが、どうやって行ったらいいですか?」と
聞いて回ったのです。

タクシーには乗らないことにしていたので、とにかく聞いて回りました。

「バスに乗っていったらいいよ」って教えてくれるんだけど、
「では、どこからどのバスに乗ったらいいのか?」と聞いたら、
「そこまではわからないなあー」という人が多かったです。その人たちも北京駅に行く用事など今までないからわからなかったんだと思います。

そうしているうちに何とか、「あそこのバス停から乗ったら北京駅に行けるよ(^O^)/」という情報を得ました。

さて、その当時のバスです。
事前に聞いてはいたのですが、それでも大変でした。

まず、バスに乗るのが一苦労。
というのも、降りてくる人と乗る人が同じドアでぶつかるのです。
日本でしたら、降りる人と乗る人が別々のドアを使うことになっていることが多いし、
仮に同じドアであっても、降りる人が先って、なってますよね。

でも、そんなことはお構いなしです。
降りる人も乗る人も我先にドアに殺到して押し合いへし合いなのです。
それが当時の(今でもかな?)常識でした。
そんな常識の中で、わたしだけが「日本式マナー」でいたら、いつまでたってもバスに乗れないので、
私も、ドアが開いたらただ乗ることだけに専念してw
何とか乗りました。

当時は(今はわからないのですが)バスに車掌さんがいて、車掌さんに行先を言って料金を払う方式でした。

バスの中が混んでいますと、後ろのほうからお金を車掌さんに渡してくれという人がいて、乗客がリレー方式で車掌さんまでお金をつないで、
乗車券?みたいなものをまたそのお金を払った人に手渡しでリレーする。というシステム?もありました。
(こんなルールができるんだったら乗り降りももっとスマートにしろやwと、思ったものです。)

そんなこんなで、無事に北京駅に到着。

なぜ、朝っぱらから北京駅だったのか?
それは、列車の切符を買うためでした。

当時、(個人旅行者が)列車の切符を買うというのも大変なことだったのです。


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(つづく・・・)
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初めて海外へ旅行した時の話(その2)

2016-09-16 | 旅行の話
つづきです。

北京空港からホテルまで、正確には覚えていないのですが40分くらいかかったような気がします。

その途中で、運転手さんから、ある提案がありました。

それは、「明日は万里の長城に行こう。」ということでした。
「明日、ホテルに迎えに来てあげるから万里の長城へ行こう。もちろん往復する。で、今日の支払いは明日の分とまとめて払ってくれたらいい。」
と言うのです。

私は、万里の長城へは行く気もなかったし、運転手さんの言うまま万里の長城まで往復したら、いったいいくらぼったくられてしまうのか?と思いましたので、断ったのですが、

今日の分の料金を払えない(現地通貨を持っていない)弱みと、私の語学力の不足もあって、結局は運転手さんに押し切られてしまったのでした。
名前を伝えて明日の何時に迎えに来るのかという話もしました。

で、空港からホテルまでの運賃はその日は払わなかったのです。

だがしかし、繰り返しますが、その時点で私はそこのホテルに泊まれるかどうかまだ分からない状態でしたのに、運転手さんもある意味素直というか素朴な人だったのかもしれません。(まあ、私がそういう事情を話さなかったのも悪いのですけれども。)

ホテルで無事に空き室があって、その日はそこに泊まれることになりました。
そして、フロントでやっと両替をしてもらうことが出来ました。
その当時は「トラベラーズチェック」を持って行っていました。「現金よりも安全」とその当時は言われていました。

たぶん、ホテルに着いたときにはもう夕方だったと思うのですが、
私はまず、ホテルの近所で
「時刻表」を買いました。

実は次の日には列車に乗ることを決めていたのです。

空港からホテルまで送ってくれたタクシーの運転手さんには、本当に申し訳ないとは思ったのですが、私は当初の予定を変えませんでした。

翌朝、
迎えに来るはずの運転手さんにはいくらかの現金とお詫びの手紙を封筒に入れて、ホテルのフロントに事情を話して預けて、
運転手さんが来るはずの時間より前にそのホテルをチェックアウトしました。
あのお金は本当に運転手さんに渡ったのかどうかはわかりません。
でも、仕方なかったのです。
その時の運転手さんごめんなさい。


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つづく
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初めて海外へ旅行した時の話(その1)

2016-09-12 | 旅行の話
(^O^)/

もうだいぶ前のことなので、正確に覚えていないこともあるのですが

私が初めて海外へ行った時の話を
書いてみようと思います。

旅行費用は、アルバイトをして得ました。

学生でしたので、夏休みに旅行しました。
支那語を専門に学んでいる学生でしたので、行先は支那(中華人民共和国)でした。

その当時は、もちろん「インターネット」など まだ無く、

でも、少しでも安いチケットを求めるため、当時はまだあまり大手とは言えなかった「HIS」でチケットを手配してもらい、
同時に、入国ビザの手続きもお願いして、行ったのです。

「関空」もまだありませんでしたから、伊丹空港から出発しました。


当時、支那(中華人民共和国)では、「個人旅行者があらかじめホテルを予約する」ということは不可能で(!)
私は泊まる宿も決まらないまま、まさに片道切符のみで
伊丹から出発したのです。

民航(当時の中華人民共和国のナショナルフラッグ)の飛行機でした。当時の時代的背景もあって乗客はほとんど支那人でした。

機内食がどうだったとか、何時間くらいかかったのかとか、あまり覚えていないのですが
とにかく、北京空港に着いたのです。(この時点では泊まるホテルが決まっていないw)

で、いきなり困難が起こりました。

何らかの事情で(本当になぜだったのか、今でもわからないのですが)
空港の「両替所」が全部閉まっていたのです(´・ω・`)

「どうしたものか・・・」
焦りはしましたけど、「支那(中華人民共和国)」なら、こんなこともあるんだろうと、まあ、若かったこともあり
何とか受け止めて(というか、暢気だったんでしょう)、

空港にある「宿泊案内所」みたいなところに行ったんです。

で、お金がない(両替できない)けどどうしたらいいか、どこへ行ったらホテルがあるかなどを訊いてみたんです。

まあ、その案内所の人もいい加減なもので、
ホテルがある場所は教えてくれたんですけど、両替ができないことについては「ホテルに着いてから両替したらいいじゃん」みたいなことを言って

「まあ、仕方ないなあ。」と思ったのでした。

でも、現地通貨を持っていないから、バスにも乗れず、
当時一番避けるべきと言われていた「タクシー」に乗って移動せざるを得なくなりました。

なぜ、「タクシーを避けるべき」と言われていたかといえば、それは「料金が明確ではない。」からでした。
メーターが不正確だったり、動かなかったり、そもそもメーターが付いていなかったり、という話を、事前に聞いており、
出来ればタクシーを使わないほうがよいと言われていたのです。
でも、お金がないから仕方なく、
タクシーに乗ってホテルまで行って、そこで両替して支払いをするしかなくなりました。

人間、追い込まれたら、それなりに覚悟が決まりますねw
タクシーに乗ろうと意を決めて
さて、どうしようかと思っているところに、

タクシーの運転手さんもさすがにそういう人を見逃しません!どんどんと客引きに来ました。

私は、「客引きにくるタクシーには乗らないほうが良い」とも聞かされていましたので、それらの運転手さんをなんとかかわして、
停まっているタクシーを選ぼうと思っていたのですが、
ほとんどのタクシーの運転手さんが「客引き」をしていて、

もう、面倒くさくなってw ある運転手さんについて車のところまで行きました。
すると、車はたしかに他のと同じタクシーなのに、
屋根の上に「TAXI」の表示がないのです。

私「本当にTAXIなの?」
運転手「そうだよう」
私「屋根の上に表示がないですが」
運転手「それなら、ここにあるよう」(と言って、車内からTAXIの表示を出してきた)
私「メーターは動くの?」
運転手「大丈夫だよう」

すっかり安心したわけではなかったのですが、なにしろ私はその時点で「現地通貨をもっていない」し、
しかも、泊まるホテルも決まっていないという立場でしたので、

その運転手さんの言うことを信じて、さきほど案内所で聞いたホテルまで行ってもらうことにしたのです。(ただし、そのホテルの予約はない!)

こんな、私の初めての海外旅行。今考えたら我が事ながら、すごいねw

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(つづく)




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鶏もも肉のソテーの話

2016-08-12 | 思いつきの話・思い出の話
鶏もも肉のソテーの作り方をご紹介します。

自己流です。

材料は、鶏もも肉(カットされているものよりも、一枚物のほうが良い。)
塩・胡椒・・・適宜
油・・・・・・適宜
以上

簡単な料理ですよ(^O^)/

鶏もも肉は、一枚を三つぐらいに切り分けます。(あまり小さくせずに、大ぶりにしておきます)

皮目を包丁の先で突きます。(縮まないように)
大きな筋がある場合は軽く筋切りをしておきます。

フライパンを十分温め、油を少なめに引きます。

鶏もも肉は軽く塩胡椒をして、皮目から焼きます。
強火のまま、皮に焼き目がしっかりつくまで、そのままあまり触らずにおきます。

皮に焼き目が付いたらひっくり返して、身に焼き目を付けます。

身に焼き目が付いたら、もう一度ひっくり返して、火を弱め、
フライパンに蓋をし、蒸し焼きにします。

火が通ったところで、蓋を開け、もう一度強火でさっと水分を飛ばして
できあがりです。

そのまま皿に盛ってもよいし、食べやすく一口大に切り分けてもよいのですが、
切り分ける場合には仕上がってから少し置いて肉汁を落ち着かせてから切るのが良いです。

味付けは塩と胡椒のみですが、
お好みによっては、醤油・ケチャップ・甘酢などを加えることによってまた違った味わいになるでしょう。
それらの調味料を加える場合も、鶏肉が焼きあがった後に加えるのが良いでしょう。

皮目をしっかりと焼くことでパリッとした食感が望めます。
また、周りに焼き目を付けたあとで蓋をして蒸し焼きにすることによって鶏肉がジューシーに仕上がります。

ぜひぜひ、ご参考になさってください。



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