HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

「足して二で割る」のススメ…の巻

2017-03-01 11:47:23 | 日記・エッセイ・コラム
ほどほどがない芸風として知られる小生。

一部では、ムダに過剰な生き方とも評される。

どこか欠落してるんだろうし、なにか渇望があるのだろうが、そこは深く考えない。


で、そんなボクですが、一方でバランスの人でもある(ような気がする)。

荒事師の側面はあるんだけど、対立はなるべく避けてきた(ような気がする)。

そうでないと、自分のやりたいことが前に進まないからね。

ただ、一方で、わずかながら非常に生硬な部分もあり、絶対に後に退かない時も稀にある。

過去の「大惨事」はそれに起因するんだけど、まあ、これは別の次元の話(笑)


で、話戻って、前に進ませるのが目的でないとき、物事の取り扱いはランボーになる。

「揉ませばいい」ってことと同じだから。



で、昨今の世の中って、そんな感じがするのよね。

「攻撃」それ自体が目的化しているとゆーか。

何とかの最高機関であるここでもそうだよね。




「惻隠の情」とかオトナの立ち振る舞いとか、そんなのがなくなってきた。



極論を振りかざし、悪目立ちすることばかりに執心してるとゆーか。

攻める側、守る側とも、そんな感じがするよね。


今、世の中を騒がせている右っぽい学校の話にしたって、原発の話にしたってそう。

もう少し本質に踏み込んだ論議をすればいいのに、相手を論破することだけが目的になってるような。



攻守双方、なんだかよくわかんない。

まあ、一国の首相が「私は裁判に勝った!」って得意満面に発信するんだもんなあ。

推して知るべしでござんすが、この方もやはりいろいろあった反動なんだろうね。

http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/b6d1796b2eb96937d40b4d92178c7836


重ねて言うけど、前に進めることが目的ならば、もう少しやり方があるような気がする。

タイトルの「足して二で割る」ってのは、竹下登さんがその政治手法を言われたもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E7%99%BB



「政治改革」の熱に浮かされる中、彼は悪し様に語られてきたけど、一方でオトナの政治家だったような。

直接話をしたわけじゃないけど、総理経験者や閣僚が語る彼の人物評を生で触れた身として、そう思うんだよね。


根回しとか「熟議」って、別に世にはびこる「忖度」と直結するわけじゃない。

むしろその対局にあるはず。

ごますりって推進力にはならないけど、「足して二で割る」は存在価値があると思うんだけどね。




で、長くなっちゃうけど、「えっ、それを言う? そこまで言う?」って感じの発言が横行してないかしらん、国会だけじゃなくて。

そしてそれがもてはやされる。直言とか辛口コメントとかなんとかって。

ワイドショーなんか、もうそればかり。

メディアとしてはかなり好きなんだけど、よはり行き過ぎ感は否めない。

テレビの中だけならいいけど、人は影響されるものなのが悩ましいのよね。


手厳しい、毒っけのある発言をすることで相手にマウンティングし、優位性を保とうとするって手合いが多すぎる。

どこの組織でも、うようよいるよね。

それはその場では通用するんだけど、少なくともリスペクトはされない。

辟易とか敬遠とかって感情を生み出すだけなのよ。



で、結果優位性が保てないから、言う方はますます攻撃的になり、過激になる。

そしてそこにパワハラだのモラハラだのが生まれてくる、そんな気がしますなあ。


許容がない世の中って、やっぱり生きにくい。

とゆーか、基本、みんなたいしたことない人間でしょ。

だから、そんなにしゃにむに生きなくてもイイじゃんって思ふ。

であれば、自分が本当に大切にしているものだけを守り、後はバランスじゃないかしらん。

周りに笑顔がいくらあるかってのが、その人の値打ち。

そう思う今日この頃ですな。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿