かりんとうの小部屋Z

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サボテン

2015年06月05日 01時09分05秒 | 考えたこと
僕は最後の業務日誌をFAXし、かたい椅子に深く座り天を仰いだ。
長い戦いだった、そう思った。2009年から2015年まで、僕はこの場所で苦しみながらも生きてきた。
7人いた同僚はみんな去り、僕ひとりだけが残された。牢獄に閉ざされたような日々の中で、
もがき、もだえ、人も世も信じられなくなりながらも、懸命に生きた。
しかしそれも終わりだ。
朝、出社し、枯れないサボテンに水をやる。これは僕が初めてここへ来た時からあった。面接のとき、
向かいに座った院長氏の後ろに、このサボテンが見え、僕はそこを見ながら、受け答えをした。
社員になってから、サボテンは僕のパソコンのななめ前の机に置かれた。そこにはメガネをかけた背の高い
同僚の女性Dさんが座っていて、仲のよい僕らは、サボテン越しに他愛ない会話を交わしたものだった。

2011年になると、同僚の人数は3人に減っていた。
「Kくん、私もやめるの。いろいろありがとう。楽しかったよ」
Dさんも、ある日唐突に実家に帰ると言って、退職願を出した。
「あ、サボテンに水はやらないでね。数か月に1回ぐらいでいいよ」
そう言い残して彼女は去っていった。僕は彼女のいいつけを守り、水をやらずに置いておいた。時々くもの
巣がトゲとトゲの間を縫うように張られているのを見つけ、ふき取る。
人が少なくなり、空いた机の上にほこりがたまるようになった。段々と要らない荷物が増えていって、小さな
段ボールやら、紙の束などが、だれもいない机に置かれた。残った同僚たちは、みんな少しずつ心ここにあらずと
いう感じになり、転職の話もおおっぴらに言うようになった。互いのパソコンにはみんな同じ求人サイトのブック
マークが登録されていた。

震災のあと、実家が東北の同僚がひとりやめた。ここぞとばかりのタイミングだったと思う。誰にも文句を言われず、
同情の中、惜しまれて去っていった。
「ついに2人ですね」
「そうだな」
僕とOさんはとりたてて仲がいいわけではなかった。年齢も離れてたし、Oさんは生粋の大阪人で、関東からきた
僕をうとましく思っていたようだった。口にこそださなかったが、強い対抗意識を僕に持っていた。
「事務所、片付けましょうか」
「そうだな」
僕とOさんの間には事務的な会話しかない。くだらない世間話もしたかったが、一体何を話せばいいというのだろう?
「うわっ、こいつの机の中、まだお菓子が入ってるぞ」
机を整理していると、同僚の置いていった品々が顔を出す。お菓子好きだったFさんの机からは、大量の飴が出てきた。
「食べるか?」
「いえ、結構です」
無造作にゴミ箱に捨てられていく。おおかた片付いた時、Oさんがサボテンに手を伸ばした。
「これはどうする?」
僕は、捨ててもいいと思ったから、自ら手を伸ばしてごみ袋に入れた。
「じゃ、捨ててきます」
僕は外にあるごみ置き場まで、ごみを持って行った。玄関で靴にはきかえ、外に出る。
とその時、足をすべらせ、ごみ袋を地面にぶちまけてしまった。幸い生ものは何も入ってなかったから、片付けは
簡単だったが、紙が風にあおられて飛んでいってしまい、全部回収するのに時間がかかった。全部のごみを拾い集め、
ごみ置き場にごみを投げ込む。ひと仕事終え、事務所に帰ろうと思ったとき、サボテンが転がっているのが目に入った。
プラスチックの植木鉢は横倒しになり、風に揺られコロコロと、振り子のように地面を行ったり来たりしている。
僕はサボテンを手に取り、事務所に持って帰った。
「これだけ残しとこうと思うんですが、いいですか」
「別にいいよ。君の好きなようにしたら」
サボテンは、今度は僕の机の前に置かれた。本当のことを言うと、僕は正直サボテンがあまり好きではなかった。第一に形状がグロテスクだ。トゲが生えているのもかわいくない。しかも表情が見えず、影人間みたいで不気味だと思う。じゃあどうしてサボテンを机の上に置いたのかと言われれば、理由も特にない。ごみ箱から脱出できた幸運なサボテンに、不思議なパワーを感じた、わけでもない。
2人になってから、会話はほとんどなくなった。船長と操縦士が違う方向を向いている船は、遅かれ早かれ沈む運命だ。対立が決定的になった時、僕はOさんに冷たい言葉を何度も投げた。(今思うと、上の立場も知らずよくあんなことを言ったなと思うんだけど、そのときは仕方なかった。と自己弁護してみる)Oさんは、
「そうだ。おれが悪かった。君には辛い思いをさせた」
と言って、僕の前から姿を消した。僕は、Oさんが反論してくれるものと信じていたのだ。反論して、理解し合って組織として強くなる。それを期待して言ったのに、Oさんは僕と争うことを避け、静かに去っていった。
そしてついに僕はひとりになってしまった!2012年の夏ごろのことだ。

ゆりかごにひとり残され、出かけた母を待つ子のように、ただ「ばぶばぶ」言う日々が始まった。話し相手も
なく、手足も自由にならず、ゆりかごと言う名の監獄につながれる日々。誰かの帰りをひたすら待ち、そして誰かの到来
をひたすら恐れた日々。「ばぶばぶ」。
「サボテンちゃん、お水あげましょうね」
僕はひとりになった日から、サボテンにたっぷりと水をあげるようになった。僕の目の前に居座って、いつも涼しい顔でいるサボテンが憎らしくなったのだ。さっさと枯れてしまえ。枯れたら捨ててやる。
「早く枯れな」
来る日も来る日も水をあげ続けた。しかし一向にサボテンは枯れない。
「強情な奴だな。もう枯れてもいいんだぞ」
水を吸い込んだ土は、黒く濡れている。サボテンはぴんぴんしていたが、土はがぶがぶ水を飲まされ、少し苦しそうだった。サボテンに水をやっていると、侘しい気持ちになる。
「なあサボテン、僕はさびしいよ。折角外国まで行って仕事もできるようなって、これからやるぞって気持ちでここに来たのに、いつの間にかひとりぼっちだよ。僕なんか悪いことしたのかなあ。ずいぶんとひどいと思わないかい」
僕がそうサボテンに話しかけると、なんとサボテンの体から、1滴水がこぼれ落ちた。サボテンの表面は乾いていて、水気
などないのに、僕の言葉に反応したのか、ぽとりと滴が土に落ちた。
「泣くなよ、サボテン。泣きたいのは僕のほうさ。君もひとりぼっちでさびしいのかい」
すると、また1滴、トゲとトゲの間を伝って、水が流れた。水のやりすぎで、いよいよ体にためこんだ水を外に放出しな
ければならなかったのか、はたまた僕の言葉に反応して涙を流したのか、それはわからない。しかし僕には、サボテンが
泣いているように見えたのだ。
それから僕は度々サボテンに話しかけるようになった。枯らすのはもったいないから、水はほとんどあげないようにした。
サボテンに話しかけることで、僕の乾いた心に、幾ばくかの潤いが生まれた。枯れた花に心を潤されるなんて、皮肉もいい
ところだなと、僕はひとり事務所で誰にも聞かれないように笑った。


今、時計は午後5時を回った。もうここを出ていかなくては。荷物はもう車に積んでしまった。あとはパソコンの電源を
落とし、玄関の鍵をかけて会社を出るだけだ。サボテンは持っていかないことにする。
「バイバイ」
僕は最後にサボテンのトゲをゆっくりと撫でた。そして僕は事務所の電気を消す。
夕日の届かない部屋の中で、サボテンの影が小さく僕に向かって延びていた。





えーと、最初の4行ぐらいは普通のブログ文にしようと思ったんですが、サボテンが出てきたとこで急遽小説風読みものに
変更しました。だから最初の4行とそれ以降は、文章の感じがちょっと違います。サボテンは、今の職場にはありません。
中国の日本語学校で働いてた時、隣のリュウさんの机に置いてありました。不思議なことに、事務所内の風景は忘れても、
そのサボテンの色かたちは今も鮮明に覚えています。

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