神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

読ませてもらって面白くないブログなんて基本的にない

2018年02月02日 19時09分26秒 | ブログについて
今朝の続きになるのだが、今朝は自分のブログの記事について書いたが、今夜は人様のブログについて。

私がブログにハマるのは、自分が記事を書く喜びもあるが、それよりももっと喜びをもたらせてくれるのは、人様のブログ記事を読ませていただくことである。

実際、どなたのブログを読んでも面白い。

商業作家の書く小説などより面白いと言ってもいいくらいだ。

なぜだろう?

それは、たぶん、真実が書かれているからだろう。

なんの儲けになるわけでもないのに書かざるをえなくて書く文章が面白くなかろうはずがない。

これは有名、無名を問わない。

むしろ、無名であるからこその面白さというものがある。

いま何の儲けにもならないと書いたが、しかし、中には儲けているブログもあるようだ。

書かれた文章に類する商品が提示されたりするブログがそうであるようだ。

こういうブログは、正直言って興ざめである。

いくら達文であっても、いや達文であるから余計に嫌らしく感じられてくる。

読んだことを後悔する。

無駄に時間を費やしてしまったと。

テレビの番組でもコマーシャルが入ると興ざめになることが多いが、テレビの場合には、番組とコマーシャルには因果関係がない。

だからまだ許せるところがあるが、ブログに挿入されるコマーシャルは、微妙にブログの記事にリンクしているところが不愉快なのだ。

せっかく楽しく読んでいたのに、あら、そうだったの?という気分である。

私を出しにして商売されていらしたのね、という気分になるのだ。

仕組みはよくわからないのだが、芸能人のブログなどは読まれることが収入につながるらしい。

そんなブログなど読みたくない。

私が読ませてもらいたいのは、無名の人の、一生懸命綴った記事である。

リッチな有名人に、その上搾取されるような真似はしたくない。

搾取というのは語弊があると思うが、ブログ収入を得るという行為にはそういうことにつながる要素を感じさせる。

*

・ブログ書きそれを稼ぎにすることのいかがはしさを厭ひてをりぬ

・金のある輩がさらに金を欲るその金づるは読者 あほらし

・金かせぐブログきたなく思ふ吾(あ)は金かせぐ記事読まず無視する

平昌五輪は直近ですが、東京五輪は開催されるのでしょうか?

2018年02月02日 07時29分04秒 | ニュース
いろいろ言われていた平昌五輪開催も直近になりましたが、東京五輪は開催されるのでしょうか?

ニュース等では問題になりませんが、福島原発のその後はどうなっているのでしょうか?

東京で開催することは、現在のところ問題ないのでしょうか?

平昌五輪のあとは東京五輪という順番は決まっていますが、やめることはできないのでしょうか?

この期に及んで五輪開催して、日本にはどんなメリットがあるのでしょうか?

政治音痴のおばさんには、五輪開催前から、五輪に絡んだ利権の話しか聞こえてきません。

五輪開催で、いったい誰が得するのでしょうか?

最近は小池百合子さんも鳴りを潜めていらっしゃるようですが、大丈夫なんですか?

五輪は、日本は。

豊洲市場のことは、その後どうなりましたか?

熱しやすく冷めやすい国民性の私達ですが、現在どうなっているか知りたいニュースです。

*

・信頼をしていたテレビ、新聞の原発ニュース嘘でありにき

・真実のニュース知りたるアメリカの人ら帰国をせしとふニュース

・アメリカの新聞ネット購読をしてゐし親友教へくれにき

・日本の原発ニュース嘘ばかりさう親友は教へくれにき

・真実を知りたるアメリカ人帰国してゐることを親友告げき

・それ以来テレビ新聞知らせくるニュース信用できずなりにき

・親友は死にしがニュース嘘ばかりとふ親友の声こだまして

・東京の五輪は開催されるのか開催されるまではわからぬ?

・豊洲への移転問題しづまりてその後を聞かずいかになりしや

・首都移転して岡山が首都になるネットのうはさ聞き捨てがたし

改めてブログって何だろう?

2018年02月02日 05時38分06秒 | ブログについて
人によってさまざまだろう。

私にとってブログは、社会の窓の役目をしてくれている。

難聴で家に閉じこもり勝ちの私にとって、ブログは社会との接点を作ってくれる、文字通り窓の役割を果たしてくれている。

それ以前は、短歌がそれであった。

現在も、短歌もそうだが、ブログのほうが、よりその役目を果たしてくれているように思う。

あるときから、このブログという媒体に趣味の短歌をコラボさせた。

これは実に具合がよい。

以前のように独りでノートに作歌していたころと比べると、断然楽しいのだ。

短歌は、よく機会詩と言われる。

何かことが起これば湧いてくるのが歌なのである。

その意味では、私のやり方は的を得たものと言えるだろう。

最近は他の歌人のブログを見ることもなくなったが、以前よく読ませていただいていたころは、私のようにブログに発表している人は多かった、と記憶している。

ところが、昨日書いたように、このやり方ではどこの短歌賞にも応募することができなくなる。

別に短歌賞に応募するためだけに短歌をやっているわけではないが、励みになることは確かだ。

賞が取れるとか取れないとかは関係ない。

30首なら30首、50首なら50首、まとめて出すという、そのことで自分が鍛えられる。

こんな機会は短歌賞応募しかない。

毎月の結社誌への出詠は、私は信用しない。

選者の先生の好みが多分に反映されるからだ。

実際、私の歌友は、短歌の総合誌からも依頼されるほどの実力者なのだが、とある選者先生と喧嘩してから、その先生に選が当たった時は、ばっさり歌を落とされてしまっている。

選者先生といえども人間だから自分に可愛くない人の歌には好意がもてないことは考えられる。

それを知ってからは、選者先生に選をしてもらうことに疑問を持つようになった。

短歌賞にもその傾向はある、と思う。

が、一応、作者名は伏せての選考ということになっているから、それを信用する限りでは公平なはずだ。

もし、これがそうでなければ、現在の相撲界ではないが、短歌界が汚染されていることになる。

私は別に賞をもらいたいために応募しているのではない。

しかし、挑戦はしていたいのだ。

*

・作歌とは誰のためでもなく単に己なぐさむためにするもの

・歌うまい下手の基準は神様でなければしてはならぬ代物

・万能の神ではあらぬ人間が歌の選するバカバカしさよ

・有名も無名も一重の紙の差と思ひて読めり人の短歌は

・心打つ歌はしばしば無名なる人の歌なり無名こそよし

・有名になりて謙虚を忘れたる歌人の歌の薄汚さよ

・有名になるを目指して作歌する人ら去るべし歌作りより

・作歌することが間違ひ湧き出づる歌こそ歌を生ましむるもの

・ブログとふ歌生ましむる媒体を否定する人ひらたきヒラメ

・海底で平たく泳ぐヒラメより自由に泳ぐ鰯の自由