神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

目に見えないものの力

2017年03月21日 15時57分29秒 | 私の意見
青蘊さんという方から、私の「今一度、天皇陛下の生前譲位について私見」にコメントいただき、そのコメントでご紹介していただいた記事を読ませていただいた。

その青蘊さんの「目に見えないものの力」に対して私がコメントしたものに対して、下記のようにコメント返しくださった。

招魂神社から靖国神社 (青蘊)
2017-03-20 08:11:28
幕末維新の名称変更と軍の変遷を考えなければ靖国は権力の功労者をただ祀ることにまります。
覇権により植民地化を守る戦いと植民地化する戦いを同じと考えることは同じ過ちをくりかえすことになります。
権力を持てば何をしても良いと考えるのは、どのような結果を招くかを今の権力者が見せてくれるようです。

幼稚園出身者の職業から判断することは、どのように仕事と向き合っているか知らずに語ることになり、今の医療や企業のかかえる歪みを助長することになると思います。

権力者として祀られる霊よりも名もなき霊の弔いに務める姿に統一する国作りのスメル精神を感じます。
危惧している私は、何を務めているのでしょう。

冒頭の画像は敵を弔う静男の舞 古への日本の敵を弔う精神から争いを収束する思考に感心します。


むずかしい問題なので、もうこのまま終わりにさせていただこうとも思っていたが、それも無責任のような気がするので、もう一度コメントさせていただく代わりに記事にすることにする。


              *


(塚本幼稚園)出身者の職業のみから判断することは単略だったかもしれませんが、しかし、(世間的に)立派な職業に就いていられる(私の知り合いの)塚本幼稚園出身者達は、職業が立派なだけではなく、人間的にも立派な方々です。

その人たちが、いまの医療や企業のかかえる歪みを助長することは、私にはまず考えられません。

そこまでは踏み込んで書かなかったのですが、私としては、そこまでの気持ちを込めて、例に挙げさせていただきました。

ニュース等で見ている限りでは、「いいところは何もない幼稚園」であるかのように報道されていますが、私が間接的に知る塚本幼稚園は、そこまで極悪非道の幼稚園ではなかったといことを書いたまでです。

その後、情勢が変わって、そういう幼稚園になったのかもしれませんが、私の知る限りではという前提のもとに書かせていただきました。

私は、最近のマスコミの、付和雷同的な報道には少なからず疑問をもっているものですから、たまたま、今回知っている幼稚園が槍玉にあげられている?ことから、少し疑義を呈してみたまでです。

また一人の人間として、たとえ罪を犯した人々に対してでも、あたかも自分は完全無欠の人間だと言わんばかりの姿勢で(罪を犯した)人々を攻撃するのは、どうかと思うところもあります。

人間、神様でなければ、完全無欠の人間などいません。

人を攻撃する前に、まず自分という人間を顧みるという姿勢も忘れたくないと思います。

それからもう一点、天皇陛下が名もなき御霊の慰霊に、というくだりですが、私が言いたいのは、日本を貶めようと画策する国々の慰霊に出かけられるのなら、それより先に、天皇陛下が守るべきこの国の「お国のため、天皇陛下のために戦った御霊の慰霊」をこそと書いたのです。

日本は、日本を貶めようと画策する国々がいうほど悪いことはしていません。

間違った自虐史により、洗脳されている国民が多いことをこそ嘆かなければなりません。

それなのに、天皇皇后両陛下は、その日本を貶めようと画策する国々に対して謝罪の旅で出られます。

これほど日本を貶める行為が許されるわけはありません。

まして、国民の血税によって立っていられる方々でありますれば、余計に。

私は皇室は必要と考える者ですが、しかし、この国のためにならない慰霊の旅などを今後も続けられるのでしたら、皇室不要論が国民の間から湧き上がってきても、これはもうとどめようもないことかと。

青蘊さんの記事からは話が逸れてしまいましたが、物事を深くお考えになられる青蘊さんなら、私のこの気持ちはご理解いただけるかと。

  国民の国民による皇室であれば持つべし国守(も)る御意志  biko

  国民を思う陛下と思ふゆゑわれらは仰ぐ天皇陛下  biko

  慰霊する旅とはすなはちどの国の慰霊をすなる天皇陛下  biko

  皇室が必要なりと思ふゆゑ人は皇室尊崇すなり  biko

  皇室を不要と思ふことあらばこれほど皇室あがめざらめや  biko

  祭祀なき皇室なれば皇室の存在意義はもはやあらざり  biko

  外国(とつくに)に出かけるひまに心込めこの国祈ることが肝要  biko

  災害の多き遠因祭祀なきお上のせいと思ふ国民  biko

  これ以上災害起こらぬ国にするために祭祀をしたまへお上  biko

夢に癒される私

2017年03月21日 12時28分34秒 | わたしのこと
私は夢を覚えていないことが多いが、今朝は二度寝して、目覚める前に夢を見ていた。

目覚めた直後はその夢を覚えていたが、もう忘れてしまった。

が、悪い夢ではなかった、という記憶だけは残っている。

私は夢で癒されることが多い。

現実の私はペシミスト傾向人間なので、暗いことを考えることが多いが、夢はそれを打ち消してくれるようなのが多い。

が、鬱になっていた一時期、夜も眠れないくらい悩んだので、精神科に駆け込んで精神薬を処方されて、それを服用して余計体調が悪化して、断薬したあとに怖い夢ばかり見た(見させられた?)ことがあった。

あまりの恐ろしさに悲鳴をあげて目覚めてしまうこともあった。

現在は心の健康を取り戻しているが、皆さんも、安易に精神薬を服用することは絶対にやめていただきたいと思う。

というより、少々の悩みでは安易に精神科にかかったりしないでいただきたい。

で、夢の話の続きだが、この鬱のきっかけになった事件にかかわった人ですら、その後、心の健康を取り戻した私の夢では懐かしい人のように思われた。

夢の中の私は、ペシミストではなく、楽天家になるのであろうか。

今朝も内容は忘れたが、癒されるような夢だったことだけが記憶に残っている。

人は、普通に生活している限りは、夢は楽しいものではないだろうか。

これは、たぶん神様の目論見なのだろう。

神様が、夢で、「人生はそんなに辛いことばかりじゃないよ」と教えてくれているようにも思う。

  朝方に見る夢われを癒さむと明るき夢が多しと思ふ  biko

  恐ろしき精神薬の副作用、離脱症状経て今の幸  biko

が、私は、怖ろしい思いをしたからこそ、いまの平和が有難く、いまの幸せをかみしめることができる。

長い人生、悪いことばかりではない。

今朝は二度寝したと書いたが、これは毎日のことである。

最近の私は就寝する時刻が早い(午後8時から9時)ので、早朝というか真夜中の1時か2時に目覚めてしまう。

夕食の時刻も早いので、空腹で目覚めるということもある。

そんな時は、軽いものを食べて、眠くなるまで起きている。

次に眠くなるのは午前4時ごろである。

3時間くらい二度寝して、午前7時くらいに起きるというのが最近の毎日のパターンである。

これは、私が、(自分ではそう思っていないが)老人になった証しなのだろう。