蔵書目録

明治・大正・昭和:来日舞踊家、音楽教育家、来日音楽家、音譜・楽器目録、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

「横浜入港、帝劇、花月園、日本趣味」 アンナ・パヴロワ (1922.9-10)

2017年02月10日 | アンナ・パヴロワ 2
   

 〔左の二枚〕九月来朝帝劇に開演すべき世界的名舞踊家アンナ、パブロバー嬢の素顔と有名なる十八番ペーテロの扮装 (No.9)

 〔右の一枚〕九月十日来朝の露国舞踊家アンナパブロワ嬢は帝劇に於て初公演をなし大喝采を博した(中央)パ嬢   (No.12)

 上の写真と説明は、当時発行された時事絵葉書のものである。

 

 上の写真は、大正十一年 〔一九二二年〕の『歴史写真』 十月号 第百十一号 歴史写真会 に掲載されたものである。

 世界舞踊の第一人者アンナパヴロワ〔アンナ・パヴロワ Anna Pavlova〕夫人の来朝

 『瀕死の白鳥(ダイイングスワン)』の踊り手として其の名声世界を風靡しつつある露西亜の舞踊天才アンナ・パヴロワ夫人は予 かね てより日本来朝の志があったが、いよゝ其の機運熟し大正十一年九月四日横浜入港のエムプレス・オブ・カナダ号にて其のあでやかにも亦気高い姿を我等の前に現はした。此の日夫人は花のやうに美 うる はしい踊り子の群 むれ に圍繞されて原信子、片山やす子、西川千代子の諸氏に迎へられつゝ岸壁に上陸、自動車にてグランドホテルに入り暫時 しばらく 休憩の後、正午上京、帝国ホテルに投宿した。写真はカナダ号上中央パヴロワ夫人、右は出迎 でむかへ の原信子、左、片山やす子の二氏である。

  

 上は、小冊子『アンナ・パヴロワ』にある写真と一文である。

 アンナ・パヴロワ夫人がはじめて横浜へ上つたとき

 薔薇色に明けた九月四日の海はもうすつかり初秋の気を漲らしてゐました。宮殿のやうなエンプレス・オブ・カナダ号は着きました。
 黒い羽二重の薄絹に蠟のやうな滑かな肌を包んだ清楚な姿をした彼女の、人を魅する瞳には旅のつかれも見えぬ晴々しいものがありました。
 するうち、船がつくともうそれはゝ混雑です。いちばん年若で美しいブース嬢が桃色の目を冴えるるやうな姿で片山安子さんと話をしてゐる。するとそのとき破れる様な拍手が起つたのです。それは市川男女藏君が英語でパヴロワ夫人に挨拶をしたのでした。
 花束が山のやうにパヴロワ夫人に渡されてゐます。その贈り主の名前が呼ばれるごとに拍手です。
 朝日は、それらの人々に照りかゞやいて、さも祝福してゐるやうでした。尾上菊五郎君とパヴロワ夫人とが握手をしてゐるところをカメラがいつせいい向けられる。拍手の音とカメラのシャッターを締める音とが競争してゐます。
 今日迄のうちで、パヴロワ夫人ほど花やかな出迎はありませんでした。

   

 ・上左の写真は、大正十一年の『教育資料 写真通信』 十月号 第百四号 大正通信社 に掲載されたものである。

  帝劇のステージに立つ世界第一のダンサー アンナパプロワ


 丁度我国にも舞踏熱が勃興しつゝある際なれば、その人気の素晴らしいこと、物価引下げが云云されて居る今日、十五円十三円十円と云ふ高い入場料を出しても見のがしてはならぬと大した景気で誠に物価調節に対し皮肉の感がある写真中央がパプロワ夫人

 ちなみに、この写真は、帝国劇場での弟子達との練習風景(九月五日)のようである。 

・上右の写真は、同じ号に掲載されたものである。

 世界的の名ダンサーパヴロワ夫人を中心に 鶴見花月園で歓迎会

 闇の国ロシアからは偉大な芸術が生まれる最近我国に来朝したアンナ、パヴロワ夫人はロシアが生むだ世界的の舞踊家である。九月九日午後二時から鶴見花月園のホールで此のロシア舞踏家の為に盛大な歓迎会が催された。蒼い瞳と柳の枝の如ききやしやな身体の持主パヴロワ夫人は踊らなかたが、それでも弟子の女優数名は日本の夫人令嬢等と恰ら蝶の如く身もかろく踊り狂ひ踊り抜いた。観客の中から降る如く感嘆の声が放たれた。写真は花月園にてパヴロワ夫人(中央洋装)

 なお、この十月号の「大正写真日誌」には、次の記載がある。

 「九月四日 アンナパヴロワ来朝 舞踏の大家アンナパヴロワ夫人帝劇に出演の為来朝右より原信子パ夫人及片山安子氏」とその小さな写真、「九月十二日 菊氏のパ夫人招待 俳優尾上菊五郎氏は帝劇出演中のパヴロワ夫人を芝の同氏宅に招待し茶の湯を催した

 

 上の写真は、大正十一年の『教育資料 写真通信』 十一月号 第百五号 大正通信社 に掲載されたものである。

 世界的の舞踊名手によって演ぜられた道成寺

     パヴロワ夫人門下の日本舞踊研究

 九月四日横浜着来し十日から帝劇に出演して「瀕死の白鳥」や「ドラゴン、フライ」等に満場の観客を魅了しつゝある世界的舞踊の名手アンナ、パヴロワ夫人一行は来着早々茶の湯他日本趣味に憧憬種々探索して居たが、夫人門下の花形四名は今度松本幸四郎の指導で日本舞踊「道成寺」研究を始めた。写真は其れ尚笠を蒙 かぶ れる日本舞踊の天才スチワード

 The Dojoji Dance.

 The Japanese Dancing performed by Foreign Dancers.

 なお、この十月号の「大正写真日誌」には、次の写真と記載がある。

   


 九月廿九日 パ夫人歓迎舞踊
 日本女流舞踊の第一人者藤間静江氏(右)主催の藤蔭会はパ夫人(中央)歓迎舞踊会開催

 十月六日 パ夫人大阪入り
 東都舞踊会に多大な刺戟を與へたパ夫人大阪に着名物の文楽招待され人形芝居見物
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「パヴロワの芸術」 『中央美術』 (1922.9)

2012年12月14日 | アンナ・パヴロワ 2
 『中央美術』 パヴロワの芸術 No.84 九月号

        大正十一年 〔一九二二年〕 九月一日発行 九月号 第八拾四号 第八巻第九号
 
  内表紙画   踊り レオン・バクスト作
  口絵〔彩色〕 露西亜バレー「コツク・ドール」第一部舞台図案 ゴンチヤロフア筆

    

  口絵写真   パヴロワの踊り (ルシヤン・ダンス) 〔上左〕
   同     最近のアンナ・パヴロワ 〔上右〕
   
 ・露西亜舞踊  ―パヴロワ夫人を迎ふ―  …  永田龍雄

        

    写真 ・「ギゼーレル」の舞台面
       ・アンナパヴロワとモルドキンのバツカントダンス 〔上左〕        
       ・ダンスのパヴロワ 〔上中〕
       ・ダンスのパヴロワ
       ・「ラ・ペリ」のパヴロワ
       ・「無礼講の秋」のパヴロワ 〔上右〕

    

       ・パヴロアとノヴイコフ(ラ・ペリの舞台) 〔上の写真2枚は、『国際画報』第三巻第四号より〕

            
        
       ・「牧神の午後」のアンナパヴロワとヴイコフ 〔上左〕
       ・来朝する女性の舞踊者ヒルダ・バストワ
       ・来朝するバートレツト嬢とワアジンスキイのオランダダンス
       ・メトロポリタンに於ける舞台稽古ー中央がパヴロワ左がモルドギン 〔上右〕        

 ・パヴロワの印象  …  坪内士行

      

    写真 ・アンナパヴロワ出演の舞台面
       ・ダンスのパヴロワ 〔上左〕
       ・パヴロワの「白鳥」〔上右〕

 ・アンナ・パヴロヴァを懐かしむ  …  斉藤佳三

    写真 ・ラ・ペリ」の舞台図案

 ・パヴロワの上演曲目 〔予想〕  …  永田生

    秋の葉
    メキシコ舞踏
    ラ・ペリ
    タイス
    魔の湖
    まぼろし
    アマリラ
    シヨピニア
    フロラの眼覚め
    ギゼリレ
    雪片


  パヴロワとダンカン 〔詩〕  …  エー・タロツチ・カル

    胡蝶
    コウベント・ガアデンにと
    イサドラ・ダンカン  エセル・エム・ネルソン
 
 他に、ロシ・アバレー図案 ピカソ作〔2種〕
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「支那服姿」 アンナ・パヴロワ (1923)

2012年08月14日 | アンナ・パヴロワ 2
  

 アンナ・パヴロワ

 舞踊の天才アンナ・パヴロワ夫人(支那服を着けた)とアメリカの少女団体キムブ・フアイア・ガールスの総裁オリヴア・ハリマン夫人(右)
 パヴロワ夫人がロシアに設けたガールス・ホームの基金中へ支那の少女団体から寄附した金を渡してゐるところである。

 Mrs. Oliver Harriman, President of the Camp Fire Girls of America presenting check from the Camp Girl of China to Mme Anna Pavlova who has founded a giris’home in Russia.

 上の写真と説明は、『アサヒグラフ』 大正十二年 〔一九二三年〕 十二月五日 第一巻 第四号 に掲載されたものである。

 下は、『漠のパンフレット』第四輯の「世界の顔 アンナ・パヴロヴァ」より。

 海を渡れば支那。ミステーリアス・チャイナ!本当に支那の皆様は辮髪のやうに不思議だ。彼等は客席に、石のやうな無感覚さで座る。彼等は劇場に何をしに来たのか、何を見に来たのか?多分阿片の残夢を追つて、時間を浪費する為に来たのだらうー
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『西洋画報』 舞踏号 (1917.1)

2012年08月12日 | アンナ・パヴロワ 2
 表紙には、「西洋画報 舞踏号 大正六年 〔一九一七年〕 一月発行 第参号」などとある。奥付には、「大正六年一月一日発行 編輯兼発行者 鷲尾正五郎 編輯兼発行所 西洋画報社」などとある。25センチ、104頁。
 
 ○挿絵〔下は、その一部〕

       

   ・Anna Pavlova
    露西亜舞踏界の花役者 世界一のバレエー、ダンサー アンナ、パブロバ 〔上左〕
 ・ Ruth St.Denis
    スラリと丈の高い身と蛇のうねるのが如き筋肉の動揺をとを以つて一時舞踏界のセンセーションたりしセントデニス 〔上中〕
  ・ Miss Evan-Burrows Fontaine
    印度踊で近頃有名なる米国の美しい悪戯
    ヱバンバロー、フオンテン
  ・ Gertrude Hoffman
    in choreographic dancing
    測量舞踏と云へば測量するやうな歩方をする舞踏の事で手足の運動に曲線の美と云ふよりも寧ろ正方形の美を発揮しやうと云ふ変わつた舞踏である。
  ・ XENIA MACLEZOWA AND ADOLPH BOLM
    ロシアのバレヱーダンス 〔上右〕

 ○説苑

   ・舞踏哲学 … 社説
   ・希臘の舞踏 社説
   ・近世の舞踏と其名優 本社編纂 〔下は、その一部のいくつか〕

     此時代精神を表す天才として、先づ第一に指を折つて数ふべき人はイサドラ・ダンカンである。ダンカンは昔の希臘の舞踏を復興して之に近世の生命を吹き込んだ女優として、欧米の舞踏界に斬燃頭角を表した天才である。ダンカンと相前後して古格舞踏を復興した今一人の名優はモード・アランである。ダンカンと並んで斯界の双玉の一として、其の名声嘖々たる女優は即ちバレエ-ダンスを復興した露西亜の名優アンナ・パブロバである。アンナ・パブロバを中心として、Palance Theatre及びCovent Garden に於けるバレエダンサアーの一隊は実に露国芸術の誇である。其外、英国に於けるモリスダンスと称せらる地方踊りの復興、米国に於けるタンゴーダンスと称せらる新しい舞踏は、近世舞踏芸術復興の機運に乗じて起つた重なる現象である。而して舞踏の復興は軈 やが てその影響を彫刻、絵画の上にも及ぼし、彫刻絵画の復興は軈てまた舞踏の上に反響して、互に助け相導く事恰も昔の希臘羅馬時代の如くならんとする徴候さへもあるは、誠に斯界のため一般芸術のために賀すべき事である。

     バレエ-ダンサーとしてのパブロバは露西亜の舞踏精神を発揮したどこまでも露西亜式の舞踏家であると同時に、またよく古の希臘舞踏の天真爛漫なる面影と其の優雅なる芸術味とを兼ね備へた舞踏家であつて、殊に短い袴を附けて爪先で歩く事を特色として居る。此の女が舞台へ出て踊り出せば、もう人間ではない。人間の情欲が剥出 むきだ しになつて、羽が生 は へて、大海の暴風に悩まさるゝ鳥の如くに、情意の嵐に翻弄 ほんろう せられながら、颱風一迅 いちじん 、過ぎ去ると共にさしも、放縦を極めた情欲の戯れも軈て倦怠の情に襲れて、天地も為めに滅入るかと思はれるやうな踊を演ずる。

     ニジンスキーは希臘の軽脚の神マーキュリーに擬せらる舞踏家で、小児の如く鳥の如き快脚を有し、兼ねてまた其の静止姿の優雅なる事を以つて称せらる舞踏家である。『薔薇の幻』と題する軽妙な舞踏劇に於て、ニジンスキーは嘗 かつ てカーサビナと云ふ可愛しい少女と踊つた事があるが、其の踊に於て、少女は手に薔薇の一輪を持つて眠る。眠るとすぐ夢に、薔薇の冠を戴き薔薇の衣を着けたる少年が現れて、眠れる少女の周囲 あたり を旋回する。軈て少女は目を離して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒 さま して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒して、地に落ちたる薔薇に接吻すると云ふ光景であるが、此の少年の軽妙なる踊はニジンスキーならでは誠に出来ない業であつた。

   ・最近の社交舞踏 本社編纂
   ・イサドラ・ダンカン … キニー兄妹著「舞踊」より 〔下は、その一部〕

        

    彼女が舞踊に興味を持ち始めたそもゝの頃には、何よりも先づ古代希臘 ギリシヤ の陶器類、タメグラ、其他の物に見える舞踊の姿を此の上無く愛した。芸術の一作品は往々にして数多 あまた の人に数多の感想を浮べさせるものであるが、ダンカンが之等の古代希臘の像に見たものは、自然を何等の飾り気なく、率直に、又、完全に現した姿あのである。勿論他にも種々学ぶ所はあったが、中にも最も自然の尊ぶべき厳粛、絶望の趣を難有いものと思った。それで、ダンカンの小論文「舞踊」の中にも見られる如くに、厳粛と云ふ事が此の俗世界の道徳上の制限とどんな交渉を生ずるであらうか、などゝの疑念は全然頭にない。もう厳粛と云ふ事は自然である、それ故に正しい、と断然 はっきり きめてゐるのである。従って、所作事ー俗に行はれる厳粛を欠いた所作事は悪であると判ずるのである。古代希臘人は跣足 はだし で踊った。即、ダンカンの跣足で舞台に立つ。
 たゞ誤解してはならぬ。ダンカンの意見は自然な動作を模倣しようとしたり、所謂写実派の論法に従はんとするのでは無いのである。自然の動作では無い。自然の性質、其性質を自然な運動によって演じ現はさんとするのである、模倣では無い。彼の所謂「自然な運動」と云ふのは特殊な教練を経ずに、普通尋常の身体でならば行ひうる運動を指すのである。と云っても、何等練習もせぬ運動を善いと云ふ意味では決して無い。腕を挙げるのは自然の運動であるから勿論採るべき事であると同時に、ダンカン派の人々も、その腕を如何に優美に挙げるかに就いては一般の所作事師に劣らず充分の時間と考慮とを払ふのではある、が、その掌をどちらへ向けねば法式に適せぬとか、どう云ふ足つきをせねば一つぱしの踊り子とは云へぬとか云ふ風の特別の練習や法則を嫌ふのがダンカンの見解である。
 此の自然の性質と云ふ事をダンカンがどう解釈してゐるかを見るには、ダンカン自身の言葉を借りるのが最もよい。「私共の目に見える花の中にも舞踊の夢が宿ってゐるのであります。それを白い花に落ちかゝる光り、とでも申しませうか。光と純白との微妙な舞踊、強い、純な舞踊、人はこれこそ光りに到達して其処に純白を見出した魂の動く姿である。このやうに塊の如く事の嬉しさ、とも申すでせう。かうした微妙な天地間のあらゆる自然の運動、吾々の心の中にも流れてゐる運動が、舞踊者によって、舞踊者の肉体によって一般人に伝へ送られるのです。光りの運動が純白の思想と相融合するのを感じます。かやうな舞踊こそは一種の御祈祷に等しいもの。一つゝの運動が長いゝ波動となって、天にまでも達し、やがては宇宙の永久の節奏の一部ともなる祈祷であります。」

   ・アンナ・パブロナ  … (主として)ルネブルフの「露国舞踊」より 〔下は、その一部〕

      

    華噸府に於て半日 $300.0 を得たるパブロバの踊り 〔上左〕
    パブロバ 〔上右〕

    彼女の方法と音楽の作曲者の方法とは密接な類似がある。例へば「ル・サイン」の作曲者サント・サエンと、その曲に応じて工夫した彼女の踊りを踊るパブロバとは、両人ともにかの白鳥の円転な、波形の優雅さをモティフに取ってゐる。此の根本調を丹精し、飾り、敷衍して、丁度作曲者の思はくと全く同一格な複雑な、しかも根底に於ては飽くまで単純な点を現す舞踏をパブロヴは完全に創出してゐるのである。
 かくの如き演技に於てはパブロヴは実にその芸の絶好を示す。彼女は最近流行になった音楽に伴って、その音楽の内容を演出するのは頗る嫌ってゐる。即ち最近の曲は舞踏の為めの曲では無いからである。舞踏の為めに作られぬ曲に、何で舞踊者が好んで立たうぞ。普通の舞踊者ならば却って如何な曲にも振りを附けよう、立っても舞はう、其等の舞踊手はつまり単に美しく動き、優雅な身の構えをし、間拍子面白く音律に合はせて行く連中に過ぎないのである。が、パブロバは意味の無い舞踊は全然しない。彼女の一歩と雖も何等かの意味がある。だが単に技術を完全に会得してゐると云ふだけでも彼女の芸は驚嘆すべきであるのに、又、よしごく旧式平凡な舞踊をする時にさへも彼女の一挙一動は目を悦ばすに足るに、まして、パブロバは目にのみ訟 うった へるに満足せずして、その知識にまでも徹入せねば止まぬ真の芸術家の頭脳と力とがある。    
  
   ・ダンシング・ホール … サミュヱル・ホプキンズ・アダムス
   ・ブォーティシスト派の画

 ○小説

   ・独深 … トーマス・エイチ・ウゼル
   ・How She Learned Him To Write(彼女は如何して彼に書くことを教えたか) … クバノア・モリス
   ・長編小説 白幽霊 … アーサー・ソンマーロチツエ

 ちなみに、この『西洋画報』舞踏号は、『現代筆禍文献大年表』の「大正六年 (雑誌) 一月」に、次の記載があり、発禁となっている。

    西洋画報 第三号 (舞踏号)(同〔風〕) グバノア、モリス 「彼女は如何にして彼に書く事を教はたか」

 なお、『西洋画報』 第六号 (四月号) には、同じ作者の「短編小説 原始に帰る女」が掲載されている。
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「アンナ・パウロワの白鳥」 小山内薫 (1922.10)

2012年03月25日 | アンナ・パヴロワ 2
 上の写真は、大正十一年 〔一九二二年〕 十月一日発行の『演芸画報』 第九年 第十号 の口絵に掲載された。

  九月於帝国劇場公演◆舞踊◆瀕死の白鳥・記事参照   舞踊の天才アンナ・パヴロワ夫人の白鳥

 この号には、次の特集で3つの文がある。

  世界一の舞踊家アンナ・パヴロワ

  ・アンナ・パウロワの白鳥  小山内薫

 山田耕作が「名人パウロワ」と言つたのは当つてゐる。アンナ・パウロワは誠に名人である。一世紀に一人を期し難いほどの名人である。彼女のトオ・ダンスに至つては、全く天下無敵である。十年前に倫敦の寄席バレエスで、初めて舞台の上に彼女を見た時の驚異を、私はいまだに忘れる事が出来ない。併し、それは単に美の驚異であつた。印象は思ひの外稀薄で、もう今日では色の褪めた写真のやうになつてゐる。ニジンスキイの「フオオンの午後」や「ペトルシユカ」や「ダフニスとクロエ」などの印象の、いまだに強く鮮 あざや かなのとは比すべくもない。それはなぜか。アンナ・パヴロワは、形式の典雅に絶してはゐるが、霊の自由な飛躍に於いて、翼に力の足りぬところがあるからである。所詮パウロウの舞踊は修練を尽した、そして修練を超越した古典の舞踊である、型の舞踊である、或学派の舞踊である。
 サン・サアンの「白鳥」。これが彼女にとつては最も扱ひ好いものであつた。最も彼女の内に適したものであつた。実にこれには彼女の独自な力が現れてゐる。これは単に音楽の翻訳ではない。舞踊が音楽に働きかけ、音楽が舞踊に働きかけてゐる。ルビンスティンの「夜」になると、彼女はもう音楽に引きずられてゐる。エルヂのシムフォニィに一度手をつけたが、それは痛ましい失敗を見せた。
 彼女は天の成せる「名人」である。どんなむつかしい形式にもひるむ事のない「名人」である。併し、形式の奥に潜む奔放自在な霊の力に於いて、彼女は弱い。所詮、アンナ・パヴロワは「女」である。 (口絵参照)

  ・パヴロワ夫人の印象    永田龍雄

     

     アンナ・パウロワ           パウロアの「瀕死の白鳥」

  ・名人パヴロアの踊る第一夜 香夢生
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アンナ・パヴロワ 「六つの花」 (1922.9)

2012年02月08日 | アンナ・パヴロワ 2
 写真は、「六つの花」(SnowFlakes)を踊るアンナ・パヴロワ(Anna Pavlova)とアレクサンドル・ヴォリーニン(Alexandre Volinine) である。
 絵葉書の表には、帝国劇場での公演を観たと思われる人物により、「帝国劇場 ウオリニ氏 パウロワ夫人 露西亜舞踊 大正十一年 〔一九二二年〕 九月十七日 [入場]ス」([ ]は推測)と書かれている。
 
 下は、『アンナ パヴロワ』(1922.9)より。

 

 舞踊劇 六つの花 一場

     『ナツトクラツカー』より
     チャイコウスキー作曲
     イワン、クルスチン振附
     ウルバン背景装置
  
  役割

 六つの花のウォルツ … ブツオーワ゛嬢 スチユアート嬢 グリフヰス嬢  コールス嬢    バートレツト嬢 フリード嬢
             レーク嬢    グラインド嬢  ロヂャース嬢  フェドローワ゛嬢 イグネス嬢
 二人舞踊      … パヴロワ夫人  ヴオリニン氏
 三人舞踊      … スチュアート嬢 コールス嬢   レーク嬢
 変調舞踊      … パヴロワ夫人  ヴオリニン氏
 五人踊       … ブツォーワ゛嬢 グリフヰス嬢  バートレット嬢 ロヂャース嬢   イグネス嬢
 コーダ舞踊     … パヴロワ夫人  ヴオリニン氏  座員一同
 
  梗概 

 露国の有名なチャイコウスキーは三つの舞踊劇を書いた、第一は五幕物、第二は三幕物、第三は二幕物で最も有名な Nut Cracker と称する舞踊劇である。此第三番目の、而して最も短い作物に於て、彼が天才の最善の努力を集中した舞踊劇の傑作を見る事が出来る。
 パヴロワ女史は露西亜舞踊劇に於て、「六つ」の花なる外題を以て上演せらるゝものに有つては、神仙の住む冬の郷土が、斯道の達人ジョーセフ、ウルバン等の力で雪の重さに、枝も撓 た ゆげな樹々 きき の梢など、見るから此世とは思はれぬ美しい舞台装置が與へられて居る、乃ちそれは「クリスマス、ツリー」の国 ランド である、而 そ して全曲を通じて、音楽と、舞踊とが、六つの花其物 そのもの の如く軽く且つ妙へなるものであるから、此舞踊劇に「六つの花」なる名を冠した事は、大 おほい に其当を得て居ると思はれる。  
 筋はナツト、クラシカ!乃ち耶蘇再誕祭 クリスマス の贈物なる人形に関する事で、此人形は最後に、物に魅 つか れた王子となつて現はれ、可愛い恋人の助 たすけ を以て、呪縛から救ひ出される、此舞踊劇の進行中、又はナツト、クラツカーの解放の後に、チャイコウスキーはクリスマス、ツリーに関する美しい伝説を話して呉れる、而 そ して我々は冬の偉観雪の国へと連れて行かれる、従つて此「六つの花」は舞踊に依つて伝説が解釈せられて居るといふよりはより以上の意味があつて、其音楽と各国の運動に於て、クリスマスの精神たる、快暢 ジエリデイ 、清浄、美麗とを現はして居るのである。
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『アンナ・パヴロワ』 二見孝平訳編 (1922.9)

2011年04月10日 | アンナ・パヴロワ 2
 表紙には、「アンナ・パヴロワ 二見孝平訳編 ARS」とあり、奥付には、「大正十一年 〔一九二二年〕 九月一日発行 定価 一円二十銭 発行所 アルス」などともある。19センチ、本文目次・挿画目次目次2頁、挿画〔「瀕死の白鳥」などの写真及びレオン・バクストの衣裳の絵など15枚〕・本文など59頁。※ワは、すべて濁点あり
 本書は、大正十一年七月の後序によれば、アンナ・パブロワの来朝を機に、三氏の論文等及び自序の小伝を附して編んだものであり、その原本は、『バレエへの招待』(日本芸術文化振興会 1999)によれば、「“Anna Pawlowa”(Berlin,Verlag Bruno Cassirer,1913)」である。
 
 本文目次

 一、アンナ・パウロワ 
 二、パウロワ嬢自叙小伝 「私の生涯から アンナ・パヴロワ」
 三、パウロワ嬢上演のバレー其他の梗概

 三の梗概にある作品は、「ダイオニサス、フエアリテールズ、スカンデイナヴイアの牧歌、波蘭土舞踊、魔笛、フエアリドル、レ プレリユード、露西亜舞踊、シヨパニアナ、雪片、コペリア(第一幕)、アマリラ、森に眠る乙女」である。

 挿画目次

    

 ・アンナ・パヴロワ嬢
 ・ダイアナに扮せるパヴロワ嬢(衣裳ーレオン・バクスト)
 ・ノウイコツフとバツカナルを踊れるパヴロワ嬢
 ・クレール・アヴェリ氏の小品
 ・セロツフ氏の画(広告紙に用ゐたるもの)
 ・古典的舞踊 〔上左〕  
 ・「瀕死の白鳥」を舞へるパヴロワ嬢
 ・パヴロワ嬢のBajadere扮装(バクスト考案)
 ・エルンスト・オツプラー氏の画
 ・「バツカナル」に於けるパヴロワ嬢(米国にて撮影)
 ・パヴロワ嬢の扮せるギゼル(衣裳ーバクスト)
 ・アンナ・パヴロワ嬢(倫敦にて撮影) 〔上右〕    
 ・パヴロワ嬢の舞へる舞踊「蜻蛉」
 ・パヴロワ嬢の舞踊姿
 ・ロバトレオナード氏の画きたるパヴロワ嬢の顔
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