蔵書目録

明治・大正・昭和:来日舞踊家、音楽教育家、来日音楽家、音譜・楽器目録、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

「清国留学生舎内ノ定則」 成城学校 (明治)

2012年10月01日 | 士官教育 1
       

  清国留学生舎内ノ定則

 第一條 諸命令告示ハ口達ノ外ハ所定ノ処ニ掲示スルヲ以テ必ス此ニ就キ詳知ス可シ
 第二條 課業ノ終始及起臥食事其他一齊ヲ要スル学生ノ動作ハ皆号音ニ由リ迅速正確ニ之ヲ行フ可シ
 第三條 受業時間中ハ必ス本校ノ制服ヲ着用ス可シ
 第四條 貴重ノ物品及多額ノ金銭ヲ所持スル者ハ監督者ヲ経テ学校会計係ニ預ケ置キ所要ノ際交付ヲ乞フ可シ
 第五條 疾病ニ由リ医官ノ診察ヲ請フ者ハ起床後直ニ医者ニ申出命ヲ待ツヘシ
      但シ急患者アルトキハ即時ニ監督者ニ申出テ指揮ヲ受ク可シ
 第六條 病気ノ為課業ニ欠席スルハ医師ノ診断ニ由ルニアラサレハ許サス
 第七條 校舎及机腰掛其他ノ物品ヲ破損汚穢セシトキハ修理補充ノ科金ヲ自償セシム
 第八條 自習室寝室及廊下ハ常ニ清潔ニシ痰壺外濫リニ床上ニ向ツテ唾スヘカラス又流動物其他物品ヲ投棄シ或ハ痰壺以外ニ吐痰スルカ如キ不法汚穢事ヲ為スヲ禁ス
 第九條 室ノ内外ヲ論セス常ニ静粛ヲ守リ放歌吟聲其他喧騒ノ所為ヲ禁ス
 第十條 室内ニ入ルトキハ必ス靴ノ泥土ヲ丁寧ニ拭フ可シ又靴ノ手入ハ所定外ノ処ニ於テ之ヲ為スヲ禁ス
 第十一條 外来人ノ面会ハ授業及自習時間ノ外ハ之ヲ許可スヘシト雖モ必ス応接所ニ於テシ他ノ場所ニ誘引スルヲ許サス
 第十二條 所定外ノ場所ニ於テ飲食及遊戯運動ヲ為スヲ禁ス
 第十三條 身体ノ不潔ハ健康ニ害アルヲ以テ勉メテ入浴ヲ為シ又衣類ハ時々交換洗滌ス可シ
 第十四條 吹煙ハ湯呑所ニ限リ其他ノ室内ニ於テスルヲ禁ス日没後ハ室外ト雖モ之ヲ許サス
 第十五條 自ラ食物ヲ調理烹煮スルヲ禁ス
 第十六條 濫リニ炊事場ニ立入ルヲ禁ス
 第十七條 面洗所以外場所ニ於テ盥嗽スルヲ禁ス
 第十八條 猥リ小使ヲ使用スヘカラス
 第十九條 食堂ニ於テハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 容儀ヲ正シ静粛ニ所定ノ食卓ニ就クベシ
一 食器ハ丁寧ニ取扱フ可シ若シ過チテ転覆又ハ毀損セシトキハ直ニ監督者ニ其旨ヲ申出可シ
  一 食卓上ハ勿論堂内ヲ汚穢スルノ行為アル可ラス
  一 食堂ニハ食事ノ外出入スルヲ禁ス
  一 食事ノ節各自ニ食物ヲ携帯スルヲ禁ス
 第二十條 湯呑所ニ於テハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 所内ノ物品ハ丁寧ニ取扱ヒ不潔ノ行為アル可ラス且其物品ヲ他ニ携出スルヲ禁ス
  一 吹煙ノ火殻ヲ爐外ニ放棄ス可ラス
  一 飲食物品ノ残余ヲ等必ス備フル所ノ箱中ニ投棄シ所内ヲ汚穢ナラシム可ラス
 第二十一條 寝室ニ於テハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 毎朝起床ノ号音ニテ直ニ起床シ寝具ヲ収畳シ毛布ヲ以テ之ヲ覆ヒ衣服棚ヲ整頓シ窓ヲ開キ室内ノ掃除ヲ為ス可シ
  一 就寝直ニ消燈シ決シテ談話等ヲ為ス可ラス
  一 就寝時ノ外濫リニ寝室ニ入ル可ラス
 第二十二條 自習室ニ於テハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 自習時限中ハ最モ静粛ニ学習シ談話及音読等ヲ為スヲ禁ス
     但シ語学ニ限リ発音シテ温習スルヲ得
  一 就寝ノトキハ直ニ消燈ス可シ
     但自習ノ為メ就寝時間後若干時間点燈ヲ許スアルヘシト雖モ特ニ静粛ニ修学シ他ノ安眠ヲ妨ケサル様留意ス可シ
  一 室内ハ毎朝掃除シ決シテ不潔ナラシム可ラス

  〔付箋〕
     燈火ハ現在ノ二人ニ付蝋燭一個ノ使用シアルモ是デハ照光充分ナラストノ苦情アリ一人一本宛トシテモ差支ナカルヘシ御参考マデニ申上ク
     学生自身ニ掃除ヲナサシムルハ如何カト存ジル是ハ小使ニ命スル様ニシテハ如何、寝室ト自習室ヲ毎日掃除セシムルハ学生ニ取リ少シ過重可ト思ワル

 第二十三條 教場ニ於テハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 授業ノ号音アレハ直ニ所定ノ席ニ就キ講師ノ出場ヲ待ツ可シ
  一 講師ノ出入ニハ一同規律シテ敬礼ヲ為ス可シ
  一 授業中ハ容儀ヲ正シ濫リニ席ヲ離レ又ハ談話等ヲ為ス可ラス
 第二十四條 外出ノトキハ左ノ各項ヲ遵守ス可シ
  一 外出スルトキハ必ス監督者ノ許可ヲ得然ル後外出ス可シ又帰来ノ時ハ直ニ其旨ヲ届出ツ可シ
  一 市中ニ於テ物品ヲ購買スルトキハ勉メテ勧業場等ノ如キ価格ヲ表示セシ商店ニ於テ購求ス可シ
  一 外出途中ニ於テ濫リニ飲食店ニ立寄リ飲食ス可ラス

 なお、次のような絵葉書もある。

 

 成城学校中華留学生部寄宿舎落成記念  成城学校中華留学生部

    

 ・成城学校中華留学生部寄宿舎正面

   位置    東京府北多摩郡千歳村祖師谷字下祖師谷一二二七、
   敷地    面積三三二五坪二号八勺(但 将来校舎建築用地共)
   運動場面積 四〇一七坪五号八勺
   総建坪   三九〇坪九号三勺一才
   総延坪   六八七坪四号五勺二才(本屋鉄筋コンクリート造附属家木造)

 ・成城学校中華留学生部寄宿舎図書室

   建物階数  総二階建一部三階及地階
   設備    電灯、電力、電話、蒸気暖房、衛生、給水、給湯、家具等
   工期    昭和三年五月起工、翌四年二月竣工
   工事費総額 約拾七万円
   収容人員  百〇五名

 ・成城学校中華留学生部教練
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浙江 清国陸軍学生 段蘭芳 (1901.12-1902.3)

2012年09月30日 | 士官教育 1
 浙江 
 清国陸軍学生段蘭芳 
 自明治三十四年 〔一九〇一年〕 十二月一日至三十五年三月尽日 作業

  

 明治三十五年三月二十二日中隊長大尉児玉殿ノ統監ニ依テ歩兵第二連隊第二大隊清国陸軍留学生李澤均ト対抗セシ野外演習ノ実施報告〔上は、添付の地図〕

     想定
 一、敵ハ柏木村ニ在リ其歩兵斥候ハ該村ニ出没ス
 二、我ガ大隊ハ下落合村ヨリ戸塚村ヲ経テ早稲田町ニ向テ前進中ナリ
 三、段見習士官ハ一小隊ヲ率ヒ戸塚村ニ鉄橋ノ西南方ノ高地ニ於テ大隊ノ諏訪村以東ニ進出スルヲ掩護スルノ任務ヲ受ケ 
    此演習ニ関スル中隊長ノ命令
 一、敵ハ白帽ナリ
 二、白旗一本ハ即一分ノ損傷旗ナリ
 三、空色ハ各人十発宛ツ使用ス
     実施報告
     小隊長ノ命令
 一、敵ハ柏木村ニ在リ
   我ガ大隊ハ下落合村ヨリ戸塚村ヲ経テ早稲田町ニ向テ前進中ナリ
 二、当小隊ハ鉄橋ノ西南方高地ニ於テ掩護スルノ任務ヲ有ス
 三、第一分隊ハ尖兵 予之ヲ指揮ス
 四、某軍曹ハ残余ノ小隊ヲ引率ス尖兵ノ後方約百米ヲ距テ続行ス可シ
 午後二時十五分運動ヲ開始ス道路上ニ三名ノ斥候ヲ出ス小隊長ハ伝令一名従ヘ此ノ斥候ト尖兵団トノ中間ヲ行進シ戸塚村ノ東端ニ於テ左右ニ各一組ノ斥候ヲ出ス具任務左ノ如シ
  第一斥候ハ左側斥候トナリ射撃場射堀ノ西方ニ於テ小隊ノ左側ニ警戒ス可シ
  第二斥候ハ右側斥候トナリ戸塚村ヲ経テ上落合橋ノ東端ニ於テ小隊ノ右側ヲ警戒ス可シ
 二時十分ニ於テ小隊ハ鉄橋西南ノ高地ニ達シ敵ハ未ダ見ズシテ小隊長ハ此ノ高地ノ松林ヲ依テ掩護陣地ヲ為 占領 ス此松林ハ一字形ノ如シ長サハ約百五十米突アリ敵眼ヲ遮断スルヲ得前面ニハ射界充分ニシテ敵ノ前進スルコトハ困難ナリ且ツ両翼皆ナ寛潤ニシテ(攻撃ノ)弱点ナクノミナラズ敵ノ隠蔽運動モ難シ陣地左右両側ニハ障碍 敵ヲ否ヲス 多シ敵ノ迂回ノ虞ナシ
 二時二十分ニ左側斥候ノ報告ヲ得左ノ如シ
   敵ノ密集部隊ハ大神宮ノ南方森林内ヨリ前進ノ模様アリ
 小隊長ハ敵情ヲ観察スレバ尚ホ遥遠ニシテ敵兵モ見エズ故ニ静ニ待ツ動静ヲ観ス
 二時二十二分ニ敵ノ部隊ハ森林内ヨリ出ス、我ガ正面ニ向テ前進シ距離ハ約六百米突アリ此ノ時ニ小隊長ハ小隊ノ散開ヲ命ジ急ギ打チカカレノ号令ヲ下ス敵ハ又前進シ後チ遂ニ散開シテ底地ヲ利用ス其ノ時ニ小隊長ハ遂ニ射撃ノ速度ヲ改徐ニ打チカカレノ号令ヲ下ス
 二時二十五分ニ敵ハ又前進シ其左翼ハ大神宮ヲ利用ス其大神宮森林ノ前端ニ出シテ又射撃ヲ為小隊長ハ敵ノ前進間ヲ乗シテ又急ギ打チカカレヲ命シ
 二時二十七分ニ演習休メノ号音ヲ吹奏ス遂ニ演習ヲ終リ

 下は、本資料にある地図数例。 

      

 ・上落合橋河川探察之略図 一月二十四日午後二時十分ニ於ケル 明治三十五年一月 清国留学生 段蘭芳
 ・上落合橋:河川ノ探察之略図 三月四日午前九時五十分ニ於ケル 明治三十五年三月 清国留学生 段蘭芳

 
 なお、段蘭芳は、明治三十二年 〔一八九八年〕 日本に派遣された最初の清国陸軍学生の一人で、《浙江武備学堂同学録》(手稿本)に

 (姓名)段蘭芳 (次章)玉田 (年齢)41 (籍貫)湖南茶陵 (差委)未知下落(住所)/

 などとある。(呂順長『清末浙江与日本』「1898年浙江省派遣的留日学生」による)。

 なお、段蘭芳は、李澤均・李士鋭・易甲鷳・高曾介らと同じく、成城学校の明治三十三年七月卒業生、また陸軍士官学校の明治三十四年十一月卒業生でもある。
 本資料は、清国見習い士官としての実地訓練における作業記録である。22.5センチ、厚さ1.5センチ。
 内容は、段蘭芳が自ら毛筆の日本語で書いた想定、問題、決心、答解、処置、地図等に対して、教官陸軍歩兵大尉児玉市蔵による講評等である。
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北洋 清国陸軍学生 李澤均・李士鋭 (1901.12-1902.3)

2012年09月23日 | 士官教育 1
 北洋 
 清国陸軍学生李澤均及李士鋭 
 自明治三十四年 〔一九〇一年〕 十二月一日至三十五年三月尽日 作業

 ・明治三十四年十二月十三日 清国北洋陸軍学生 李士鋭

   問題 

 歩兵操典ニ示ス中隊、大隊、連隊、旅団ノ戦闘法ノ差別ヲ説明スヘシ

   答解

       能ク操典ヲ研究シ摘要セリ

 一般ノ差別ヲ操典中ニ規定セル諸制式ニ就テ考フルニ凡ソ中隊ノ戦闘ヲ散開ヲ以テ始トス而シテ中隊長ノ単簡ナル命令或ハ号令ニ依リ散開、集合即チ迅速ニ散開隊次ヨリ密集隊次ニ移リ及密集隊次ヨリ散開隊次ニ移ル等ノ動作ヲ施行シ得ルヲ要ス他ハ運動ノ目的ニ関スルモ独リ戦闘動作ノ目的ニ適用スヘキモノハ極メテ鮮少ナリ
 大隊ハ独立シテ戦闘ノ終始ヲ貫徹シ得ヘキ最小単位ナリ大隊ニ於ケル戦闘法ハ完備シタルモノニシテ部下ノ各部ヲシテ其ノ区域外ニ超越スルヲ許サズ然レドモ戦闘ニ移ルヤ此ノ区域内ニ於イテ中隊ハ独断ノ余地大ナルモノニシテ毫モ検束セラル無キモノトス
 其他又タ大隊長ハ戦闘ヲ指揮スル為メ各中隊ニ任務ヲ示授ス 而シテ現ニ目視スル誤解或ハ過失ニ由テ戦闘ヲ意図外ノ方向ニ誘クヲ確認シタルベキノミ中隊中ノ小隊ニ直接ニ干渉スルヲ要ス
 大隊長ハ戦闘ノ始メニ於テ成ル可ク各中隊長ヲ面前ニ集メ単簡明瞭確実ニ命令ヲ與ヘ其任務ヲ授ク而シテ戦闘ノ実行手段ハ中隊長ニ委任シ専ラ各中隊ノ戦闘連繋ヲ正ク保タシムルフニ尽力スルヲ要ス
 連隊ハ教育ノ画一、将校団ノ団結、及編制ニ基キ諸種ノ戦闘任務ヲ統一ニ実行スルニ殊ニ適切ナルモノトス
 連隊長ハ各大隊ノ分担スヘキ任務ヲ定メ其ノ実施方法ハ之ヲ大隊長ニ委任スルモノトス
 旅団ハ歩兵ノ最大団結ニシテ狭キ地区内ニ集マリタルベキノミ号令ヲ以テ指揮スルヲ得其ノ他場合殊ニ戦闘中ハ命令ニ依テ指揮スルモノトス何等ノ場合ト雖モ旅団長ハ部下連隊長ニ独立ノ戦闘任務ヲ與ヘ各連隊ハ其分担任務ニ依リ協力シテ戦闘ヲ実施スルヲ原則トス此ノ如ク旅団ヲ以テスル諸種ノ運動又各種ノ目的ヲ達スルコト得

   講評

 此ノ問題ノ要求ハ操典ヲ摘要セヨト云ヒシニ非ラス読能ク理解シ其ノ相違ナル点ヲ示セト云フ意ナリ然レドモ諸子ノ熱心ニ操典ヲ熟読セラレシコトハ確カニ認メ得大ニノ勉励セラレシコトヲ喜フ予ノ考案ハ左ノ如シ
 中隊ハ火線一線ナリ
 大隊ハ火線及ヒ是ヲ扶植スヘキ部隊ヲ有ス即チニ線ナリ
 連隊ハ大線是ヲ扶植スヘキ部隊及ヒ敵ノ側面攻撃ヲ防支シ或ハ敵ノ側翼ヲ包囲シ得ヘキ部隊即チ三線ナリ
 旅団ハ連隊ノモノヲ確実ニ実行スルヲ得諸兵種連合ノ場合ニ於テハ側面攻撃ヲ実施スルヲ得永ク独立シ得ル機能ヲ有ス故ニ総則ニ曰ク連隊ロダンハ高等師兵術ノ端緒ニ属スト


 ・明治三十五年二月五日 清国北洋陸軍学生 李澤均

    問題
 習志野原第二営西北ニ面シ坪井ヲ避ケ各国部隊ノ戦闘射撃ノ設計ヲナシ
    答案
   一、準備作業
   二、前日作業
   三、実施
 準備作業ト云フモモノハ即チ作業シナイ際ニ当テハ種々用フルモノヲ準備スルモノナリ
 前日ノ作業ト云フモノハ即チ最初ニハ戦闘射撃スベキ区域、射撃ノ位置、標的ノ位置、決定スルモノナリ
 実施ト云フモノハ即チ以上ノ両項ヲ準備終レバ之レヲ逐次ニ施行スルモノナリ
   一、射手ノ集合場
   二、標的ト射撃ノ位置
   三、図上ニ於テ示ス位置
   四、遠方ノ監視哨、赤旗、危険板又標示板
 戦闘射撃ノ設計ハ左ノ区分ニヨリテ遂行ス
   第一、 準備
   第二、 実施
   第三、 収納整理
   第一 準備
 此準備ハ左ノ区分ニシテ之ヲナス
   A、射撃区域ノ撰定
   B、危険ノ予防
   C、演習ノ方案
   D、標的ノ位置及ヒ其運用法
   E、必要ナル各種ノ雑備
 此戦闘射撃ニ於テ各種ノ時期ヲ演練スル能ハズ
   各個戦闘射撃
 各兵ニ下士若クハ上等兵ノ一名宛附シ士官ノ記号ニアリテ各種ノ目標ニ対シテ射撃セシハ其研究項目左ノ如シ
  一、位置撰定
  二、射撃ノ姿勢及其変換
  三、地物ノ利用
  四、敵発見ノ際ノ動作
  五、照尺ノ装置
 〔以下省略〕
    講評
 戦闘射撃ノ設計ハ清国見習士官ハ未ダ其ノ実施ヲ実見セザルヲ以テ答案要ヲ得ザルモノ多シ今マ左ニ予ノ考案ヲ示サン須ラク爾後行フベキ戦闘射撃預行演習ノ場合ニ実地ト照合シ研究セラルヽヲ要ス

 〔以下省略〕

 ・習志野原戦闘射撃之設計略図 明治三十五年一月二十六日 清国北洋陸軍学生 李澤均

 

 ・専修員近衛歩兵第二連隊見習士官十五名内清国陸軍学生五名
  教官陸軍歩兵大尉児玉市藏
  明治三十五年三月四日於戸塚村附近現地講話

    於戸塚村附近現地講話
 情況下落合村西端ニ於テ不利ノ戦闘ヲ為シタル大隊ハ交戦ノ初期ニ於テ高田村方位ニ退却ス其一部ハ左側衛トナリ諏訪村ニ向テ退却中本隊ノ後尾田島橋ヲ通過シ終リタル際本隊ヨリ田島橋ヲ破壊スベキ命令ヲ受ケタリ
     問題
 中隊長ノ決心ヲ略図ニテ示セ
  作業ハ令ヨリ二十分時ノ後該地ニ於テ受領セン
     講評
 此作業ハ時間僅少ナルニ比シ成績一般ニ良好ナリ
 此答案ニ二種ノモノヲ得タリ
   其一、一部(一小隊乃至半小隊)ヲ薬王院ノ高地ニ置キ一小隊ヲ以テ橋梁ヲ破壊セシメ残余ノ一小隊ヲ戸塚村北端高地ニ掩護陣地ヲ占領セシメ器具ハ一小隊ニ属スルモノ全部ヲ使用スルモノ
   其二、一小隊ヲ以テ橋梁破壊ニ際シ二小隊ヲ以テ戸塚村北端ヲ占領セシメ小隊全部ノ器具ヲ使用スルモノ
 田島橋破壊ニ二種ノ考案ヲ得タリ
   一、橋脚ヲ切断セントスルモノ
   二、橋坂ヲ除去セントスルモノ
 此他答案中ニ僅少ノ差異アルモ右二種ニ過キス詳細ナル講評ニ先チ地形ノ説明ヲナサン
 地形ハ諸君カ目撃セラル、如ク一目瞭然ニシテ一般ノ状態ハ田島橋西北二百米突ニ水車アリ家屋三四軒集団シテ戸塚村北端ニ陣地ヲ占領スル際ハ薬王院ノ森林ハ射撃スルヲ得ス戸塚村北方斜面ハ樹木アリテ多少射撃ヲ妨クト雖モ多少ノ工事ヲ施セハ展望自由ナリ神田川ハ橋梁ノ外渡河スルコト能ハス水田ハ渡渉スルコトヲ得
 予ノ考察 中隊ノ破壊器具ヲ所持スルモノヲ集メテ一将校ノ指揮ニ属シ他ハ戸塚村北方ニ陣地ヲ占領セントス
 器具ハ全中隊ノ小十字鍬、小斧、畳鋸、ヲ用ユ其方法ハ中隊カ橋梁ニ達シタル際破壊ノ命令ヲ受ケタル将校ハ器具ヲ携帯スルモノヲ集メ中隊ハ其長ノ引率ニ依テ陣地ニ就クモノトス
 諸子ノ作業中一部隊ヲ薬王院ノ高地ニ発シタルハ、戦況ノ理想ヲ了解セサルヲ以テナリ状況ヲ審カニ研究シタル時ハ到底此処置ニ●ツル能ハサルヘシ如何トナレハ部隊ノ薬王院ノ高地ニ達スル際ハ直チニ敵ト衝突シ何事モナスナク撃破セラル、ノミナラス其敗退ヲ本隊ニ衝突セシムルモノト云フ可シ此ノ部隊ノ退路ノ橋梁ハ已ニ破壊工事ニ着手セラル、ヲ以テ止ムナク下落合ト戸塚間ノ水田ヲ退却スルノ止ムヲ得サルニ至ルヘシ否ラサルモ下落合高地脚ニ沿フ道路ナルヘシ此道路ハ下落合高地ニ●制セラレ其頂界ヨリ北方ハ敵ノ本隊ノ進路ニ近キヲ以テ危険名状スヘカラス到底退路ニ撰定スルヲ得ス故ニ薬王院高地ノ部隊ハ直チニ退路ヲ失フヘキ状況ニ陥ルヘシ
 全小隊ノ器具ヲ使用スルモノトスレハ方匙モ其内ニ含有セラル、然ルニ此場合ニテ方匙ヲ使用スル能ハサルノミナラス必要ナル小字鍬ノ多数ハ他ニ在ル非ラスヤ如斯ハ思慮ナキ作業ト云ハサル可ラス
 掩護隊ヲ横隊トナシ置キタルモノアリ敵ノ進路ハ地形上略ホ決定セラルト雖モ尚ホ他ヲ顧慮スルモ一部ハ是非トモ陣地ニ就ケ他ノ一部ヲ顧慮ヲ要スル翼後ニ位置セシムルヲ可トス
 我軍ノ左翼側ニ斥候ヲ発スヲ要ス如何トナレハ下落合ニ通スル道路ハ隠蔽シテ展望ヲ遮リ且ツ敵方ニ通スル捷路ナルヲ以テナリ
 破壊作業ニ就テ
 此橋梁ハ橋杭容易ニ切断スル能ハサルヲ以テ此ノ作業ハ目下ノ情況上企テ及ハサル可シ該橋梁ハ木橋ニシテ、土砂ヲヲ以テ堅固ニ之ヲ被フ故ニ先ツ小十字鍬ヲ以テ堀開シ、土砂ヲ除キ横材ヲ逐次ニ除去シ次ニ縦材ヲ除キ之レヲ放流シ若シ敵情之レヲ許セハ橋杭ヲ小斧又ハ関節鋸ヲ以テ之レヲ切断スルノ企望ヲ有スト雖モ水深ク作業困難ニ●目下敵之レヲ許サルノ情況ニ在ルヲ以テ少ナクモ、土砂、横材ヲ除キ縦材ヲ放流スルヲ以テ満足セサルヘカラス
 作業者中ニ石油ヲ以テ橋杭ヲ焼断セントスルモノアレ際之レハ甚タ迂遠ニシテ又実行セラレ難シ
 戸塚村北端斜面ハ見ラル、如ク前地ニ於ケル水車場集団家屋ニ依テ射撃ヲ妨害セラレ薬王院ノ林縁ハ射撃スルヲ得ス故ニ中隊ハ小隊間ノ間隔ヲ大ニ●一部ハ薬王院ノ道路ノ出口ニ一部ヲ森林ノ南縁ニ対シ陣地ヲ占領セシムルヲ適当トス
 
 情況 破壊部隊ハ工事ニ着手ス中隊ハ陣地ヲ占領ス暫時ニシテ敵ノ小斥候隘路口ヨリ前進スルヲ見ル右翼小隊長之レヲ見ル
 問 小隊長如何ニスルカ
 答 熟練ナル射手ヲ指シ射撃セシム
 問 其ノ号令
 答 斜左ノ敵ノ斥候四百米突除カニ打チカヽレ
 此斥候ハ屍ヲ置キ森林内ニ退却ス暫時ニシテ敵ノ歩兵約二小隊薬王院高地三角臺ノ東方ニ散開シ一部ハ橋梁破壊隊ニ主部ハ右翼小隊ニ向ヒテ射撃ス
 問 小隊長ハ如何ニスルカ
 答 射撃ス
 問 其ノ号令
 答 前方高地ノ歩兵六百米突並ニ打カヽレ
 情況 此ノ敵兵ハ頑トシテ動カス射撃ヲ連続ス
 問 小隊長ノ決心
 答 射撃ヲ連続ス
 情況 兵力約一中隊許リノ敵ノ歩兵薬王院林内ヲ運動スルヲ林際ヨリ透見シ得
 問 中隊長ノ決心
 答 援隊ヲ左翼ニ散開セシム
 情況 援隊陣地ニ就クト同時ニ敵兵約二小隊薬王院ノ林縁ヲ占領ス此時橋梁ハ殆ント破壊セラレ僅少ノ作業ヲ残ス
 問 小隊長決心
 答 射撃ス前面林縁ノ散兵四百米突ニ打カヽレ
 情況 工事ニ従事セシ部隊ニモ負傷者ヲ生ス散兵線モ亦然リ光景悲惨ナリ
 問 工事担任ノ小隊長ノ決心
 答 工事ヲ続行ス
 情況 須●ニ●高地ノ敵兵逐次ニ正面ヲ拡張ス薬王院林縁ニ在ル敵モ亦正面ノ拡張ヲ企ツ工事担任ノ小隊ハ辛フシテ目的ヲ達成シ退却シ既ニ我カ右翼小隊ノ翼後ニ入ラントス
 問 中隊長ノ決心
 答 薬王院林縁ヨリ前進スル敵ヲ急射撃ス
 情況 敵ハ多クノ負傷ヲ顧ミス前進シ水車ノ家屋群ニ掩ハル
 問 中隊長ノ決心
 答 左翼小隊ヨリ右翼小隊ノ順序ニ東部諏訪村ニ向ヒテ退却ス
 問 斯ル時機ニハ本道上ニ於ケル退却軍ノ状態随分混雑スヘシ各小隊ハ散兵線ヲ離レ本道ニ達シタル際ハ高地及森林ニ依テ僅ニ遮蔽セラルヽト雖も未タ安全ノ境遇ニ非ラス小隊ハ如何ナル隊形ニ在テ中隊長ニ跟随シ得ルヤ
 答 本道上ノ鉄道橋迄ハ多少混乱スト雖モ鉄道橋ニ達スレハ行進間僅カニ途上縦隊ニ併合シ得テ中隊長ノ示ス目標ニ向ヒテ退却ス
 問 此際ニ於ケル小隊長ノ位置ハ如何
 答 先頭小隊長ハ先頭ニ後尾小隊長ハ後尾ニ在テ退却ス
 問 中隊長ノ位置如何
 答 後尾ニ在リテ行進ス
 演習結了

 備考 問トアルハ教官学生ニ試問セルモノ
    答トアルハ学生ノ答案中可ト認メタルモノ

 ・偵察ニ関スル部署略図 三月四日午前十時ニ於ケル 明治三十五年三月四日 清国北洋陸軍学生 李澤均

   

 ・明治三十五年三月二十五日点検 陸軍歩兵中尉 川崎茂助
 近衛歩兵第二聯隊
 清国陸軍学生 李澤均
 明治三十五年三月二十二日於戸塚村附近野外演習実施報告

 明治三十五年二月二十二日陸軍歩兵中尉川崎茂助殿ノ統監ニ依テ近衛歩兵第二連隊第五中隊清国浙江陸軍学生段蘭芳ト対抗セシ野外演習ノ実施報告
   状況
 戸塚村ノ東端鉄道喬ヲ破壊スル任務ヲ有スル李小隊ハ二月二十二日午后二時十五分西大久保村西端鉄道ノ踏切ニ達シタル際左ノ情報ニ接ス
   敵ノ歩兵斥候諏訪森附近ニ出没ス
   教令
 工兵(上等兵 一 兵卒 十)ヲ附ス但シ仮想
 小隊ハ目覆ヲ附スベシ
 空包各人十発使用
   実施報告
   命令 三月二十二日午后二時二十分 於西大久保西端鉄道踏切点 (口演)
 一、敵ノ歩兵斥候ハ諏訪森附近ニ出没ス
 二、当小隊ハ破壊ノ任務ヲ以テ此地点ヨリ無名祠ヲ経テ戸塚村ノ東端鉄道方向ニ向ヒ前進セントス
      鉄道橋  目的ヲ以テ戸塚村ノ東端ニ向ヒ前進セントス
 三、某軍曹ハ一分隊ヲ引キ尖兵トナリ無名祠ヲ経テ戸塚村ノ東端鉄道橋方向ニ向ヒ前進スベシ
           率ヒ
 四、古参ノ分隊長ハ小隊ヲ率ヒ尖兵ノ後方約五十米突シ隔テ、続行スベシ
 〔以下省略〕 〔下は、附図〕

 ・戸塚村附近ニ於ケル戦闘ノ略図 (三月二十二日午后二時三十八分ニ於ケル) 〔清国陸軍学生 李澤均〕

    

 以下の写真は、本資料にある多数の手書き地図の一部である。

              

 ・河川偵察ノ略図 一月二十四日午後二時ニ於ケル 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・混成支隊ノ伊勢原附近ニ設営略図 一月二十六日 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・字新宿附近ニ於ケル支隊攻撃実施略図 清国北洋陸軍学生 李士鋭
 ・及川村附近攻撃実施之略図 明治三十五年二月 清国北洋陸軍学生 李澤均
 ・新井村三叉路附近=工事ノ掩護略図 二月五日午後一時十分オケル 清国北洋陸軍学生 李士鋭 
 ・習志野原附近収容陣地ノ略図 三月十八日ニオケル 清国北洋陸軍学生 李澤均 
 ・字原兵衛〔源兵衛〕附近ニ小哨配置ノ略図 午後三時三十分ニ於ケル 三月二十二日 清国北洋陸軍学生 李士鋭

 本資料は、近衛歩兵第二連隊第五中隊の清国見習い士官としての実地訓練における作業記録である。22.5センチ、厚さ2センチ。
 内容は、清国北洋陸軍の李澤均及び李士鋭が自ら毛筆の日本語で書いた想定、問題、決心、答解、処置、地図等に対して、教官陸軍歩兵大尉児玉市蔵、陸軍歩兵中尉川崎茂助らによる講評等である。
 なお、文と地図は、必ずしも一致せず、脱落がかなりあると思われる。
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湖北 清国陸軍学生 易甲鷳;・高曾介 (1901.12-1902.3)

2012年08月26日 | 士官教育 1
 湖北 
 清国陸軍学生 易甲鷳及高曾介 
 自明治三十四年 〔一九〇一年〕 十二月一日  至三十五年三月尽日     作業

 ・明治三十五年一月十四日     清国湖北学生易甲鷳
   情況
 船橋附近ニ於テ不利ノ戦闘ヲナシタル東軍ハ急追ヲ受ケツヽ本隊ハ佐倉街道ヲ其右側衛ハ七熊ヨリ第五営ノ南側ニ通スル道路ヲ退却中上飯山拒馬堤西南端ヲ退却中敵ノ一部船橋ヨリ古和釜ニ通スル街道上第五営ノ西北方約二千米ノ道路幅凑点ヨリ東進中ナルヲ聞ク
   問題
 右側中隊長ノ決心
   決心
 速ニ第五営附近ニ至ハ迂回シ来タル敵ニ向テ逆襲ス
   理由
 任務ヲ尽ス為メ唯五営附近ニ於テ防勢ヲ取レバ本道ヨリ我本隊ヲ追撃シ来タル敵第二営附近ニ至レバ右側衛ハ退路無シ所謂死ヲ待ツ之ニ及シテ攻勢ニ転スルト此ノ迂回シ来タル敵ノ兵力我ト同等ナル時此ヲ駆逐シテ五営ノ東北方射的場ヨリ退却スル得敵優勢ナル●中隊悉ク死テモ敵ニ多クノ損害ヲ與ヘルコトヲ得

 両方面ノ敵ノ相合スル点ニ至リ●襲スルハ目下ノ情況上到底為スヲ得サルナリ此決心ヲ有スレハ●ハ現時ノ位置ニ於テ船橋方位ヨリ敵ニ向ヲ決戦セントス

   処置
 速ニ五営ニ至リ逆襲ニ転ズ

 〔下は、附図〕

 収容隊掩護陣地略図 一月十四日午前九時ニ於ケル 清国湖北陸軍学生 易甲鷳 

  

 ・明治三十五年一月二十一日    清国湖北学生易甲鷳
   想定
 八幡附近ニ於テ戦闘中ナル東軍大隊ハ不利ノ情況ニ陥リ早晩佐倉街道ヲ習志野原方位ニ避退スヘキ情況ニアリ習志野原第五営ニアリシ歩兵二中隊ハ古参大尉ノ指揮ニ属シ七熊附近ニ位置シ大隊ノ退却ヲ容易ナラシムベキ命ヲ受ク
   問題
 撰定サレタル陣地ノ判断
   判決
 陣地ハ七熊ノ西南方約七百米突ノ高地ヲ良トス

 陣地ノ撰定ハ同意
 少シク来セハ退路良好ナルノ利アリ
 理由薄弱


   理由
 此ノ陣地ハ退却不便ナルト雖モ船橋町ノ地形ハ船橋駅ニ至リ狭窄ナリ此ノ二中隊此ノ地ヲ占領スルト敵ハ展開シテ船橋町ノ北方ヨリ出ルヲ得ス且ツ迂回路ニ向テ射撃スルヲ得以テ我最モ危険アル右側ヲ掩護スルヲ得ル所以ナリ
   処置
 略図ノ如ク配備シテ日枝詞ノ東南方高地ニアル我軍ノ後衛ト協力シテ敵ノ船橋町ヨリ出ルコトヲ遅滞セシメ我軍ノ後衛前原新田ノ陣地ニ移シ〔リ〕タル後チ退却ス

 下は、資料中の地図数例である。

          

 ・愛甲村附近前哨配備略図 一月十五日午後九時ニ於ケル 清国湖北陸軍学生 易甲鷳
 ・上落合村東段河川ノ略図 一月二十四日午後二時ニ於テ 清国湖北学生 易甲鷳
 ・第一大隊攻撃部署ノ略図(下安村附近ニ於ケル) 明治三十五年二月二十日 清国湖北陸軍学生 高曾介
 ・収容隊長決心ノ略図 三月十八日午前十時ニ於ケル 易甲鷳
 ・厚木町附近前衛各部之位置略図 清国留学生 段蘭芳 

 本資料は、近衛歩兵第二連隊の清国見習い士官としての習志野原、厚木、落合、所沢附近などでの実地訓練における作業記録である。22.5センチ、厚さ2センチ。
 内容は、清国易甲鷳と高曾介が、自ら毛筆の日本語で書いた想定、問題、決心、答解、理由、処置、地図等に対して、教官の陸軍歩兵大尉児玉市蔵、陸軍歩兵中尉川崎茂助らによる赤字の講評等である。なお、文と地図〔21葉残存〕など、必ずしも一致せず、脱落がかなりあると思われる。〔上は、その一部。〕
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