蔵書目録

明治・大正・昭和:来日舞踊家、音楽教育家、来日音楽家、音譜・楽器目録、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

「砂の塔 その折りゝの感想」 與謝野晶子 (1916.8)

2016年01月16日 | 来日舞踊家 1
 
 
 砂の塔
     その折りゝの感想
               與謝野晶子

    〇
 教育の自由に由つて知識の上に男女の平等を回復することは英国其他の先進婦人達が既に実現して居ることであるが、女が労働の解放に由つて職業の権利を回復することは、偶然にも今度の戦争が機会となつて、英仏及び独逸の大多数の婦人が其れを実現して居る。即ち出征男子に代つてこれまで男子のして居た大抵の労働を引受けたのであるが、女の労働の能率は男子以上であることが頻 しき りに證明されて居る。これは決して一時の変態として看過される現象が無く、人類の将来に亙る一つのゆゝしい激変であらうと想はれる。試練に勝つた女の力が戦争の沈静と共に消え去るものでは無い。単に女の力が回復されたのみならず、男のためにも新しい協同の力が加はつたのである。
 (以下略)
 
 (省略)

    〇
 六月になつて私は二度Yさん御夫婦に伴 つ れられて帝国劇場へ行つた。なにかにつけて余裕の無い私は、自ら進んで芝居などへ行くことが近年は全く無くなつて居るのである。
 初めに行つた時は、タゴオルと云ふ印度の大詩人が東京停車場へ着く晩で、また米国の飛行家スミスが青山から日比谷まで夜間飛行を試みる晩であつた。祇園祭礼信仰記の金閣寺の場が開いた時に丁度スミスの飛行機が飛ぶ時刻であつたので、観客の大半は雪崩を打つて屋外へ飛び出した。舞台の役者達には気の毒であつたが、私達も幸四郎の松永大膳と梅幸の雪姫とを背 うし ろにしてそつと抜けて出る無作法を敢てした。
 劇場の前も濠端 ほりばた も見物の群衆で一ぱいになつて居た。平生は雑沓を好まない私も、スミスに対する東京人の熱狂が嬉しかつた。これくらゐに人出があれば倫敦や巴里の夜の大通りに劣らないと思つた。折柄低くなびいた雲の中から飛行機の火が見え出した時には、シャン・ゼリゼエの新劇場の前をエッフェル塔から探照燈が照した光景をまのあたり見る気がした。夜更けて帰つてから、スミスの科学的な印象と宗十郎の平井権八の殺気立つた情調とが変に私の頭の中で反撥して、快く寝附くことができなかつた。
 二度目に行つたのはスミルノワ女史一行の露西亜踊 ろしあをどり を観るためであつた。それは予期した通りに非常に面白い踊であつた。無言の踊が、かう云う踊に対する予備的鑑識の無い日本人に、約二時間と云ふもの、気息 いき も次がれない程緊張して観恍 みと れさせたのは大した妙技である。私は久振に欧洲を旅して居るやうな気分に浸つて、二重の感激を受けることが出来た。新聞で評判の好い『瀕死の白鳥』はその写実的擬態が、厭味を惹く程に露骨では無いにしても、白鳥の苦痛の深さと真実さとを希薄にした遺憾は免れなかつた。一体に軽妙な舞曲が多かつたやうであるが、中には重厚であるべきものまでが軽妙化されて居た。西班牙踊 スペインをどり のセギヂロなどは私が巴里で観た西班牙人のものに比べて本国の油濃い味を余程軽減されて居たやうである。私は欧洲の旅中にニジンスキイ氏やカルサヸナ女史の踊を観なかつたので、近年世界的に有名である最も進んだ露西亜踊と云ふものを知らないけれども、スミルノワ女史一行の踊は彼国で決して第二流以下のものではないであらう。外交上の協約ばかりで無く、かう云ふ芸術を通して両国の人情が接近し融和する端緒の開かれて行くことは、ほんとうに嬉しいことである。如何なる場合にも禍を転じて福とするのは賢い仕打であるが、スミルノワ女史の来遊も戦争の影響であることを想ふと独逸を敵とする此度の戦争は日本人のためにいろゝの意味で福となつて居る。
 少し前に来遊して怱々と帰つて行つた露西亜の詩人バリモンド氏は格別の感銘も遺 のこ さなかつたが、スミルノワ女史の一行の来遊は、その滞在の短い割に日本人を刺戟する所が多かつた。女史達の踊はカルサヸナ女史の踊のやうに現代の純粋な所産で無いにしても、その全身を挙げて活動的精神の表象とする踊は近代文明の底を流れる一大基調そのものに外ならないのであるから、私達は在来の日本の舞踊以外に、否、在来の日本人の生活の基調であつた消極的、静的、動的、感傷的の律より以外に、かう云ふ積極的、動的、現実的のきびきびした生活律のあることを教へられたのである。
 私は初め新聞の予報を見た時、『露国帝室劇場一等舞妓、勅任待遇』と云ふ肩書が日本の興業者に由つて日本の観客に対して書かれねばならなかつたことが厭であつたが、舞台に面した時はそんな俗悪な反感を全く忘れて、ほれゞとスミルノワ女史の人格に信頼し沈酔することが出来た。
    
    〇

 (省略)

 上の文章は、大正五年 〔一九一六年〕 八月一日発行の『女学世界』 八月号 第拾六巻第九号 博文館 に掲載されたものである。
 なお、上のスミルノワの来日公演プログラムは、国会図書館の蘆原英了コレクションで実物「露国舞踊竝に合奏」を閲覧できる。また、川島京子氏の『日本バレエの母 エリアナ・パヴロバ』 早稲田大学出版部 2012年 は、そのプログラムが写真で掲載されている。 
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「東京歌劇舞踊団公演」 本郷座 (1925.4)

2012年12月06日 | 来日舞踊家 1
 東京歌劇舞踊団公演 
   世界的女流舞踊の天才 マクレッオワ夫人特別出演
         旧露国帝室マリンスキー劇場附花形舞踊手
                               本郷座 〔19.7センチ、三つ折〕

     奏楽
 (1)大歌劇「アイーダ」    

        管絃楽部 
        指揮 篠原正雄

     ジヤコモプツチニ曲 徳永政太郎訳
 (2)大歌劇「お蝶夫人 マダム・バツタフライ」 二幕

   一、場所 日本長崎

       配役 

     エフ・ビー・ピンカートン(アメリカ海軍士官) 田谷力三
     ゴロー(結婚仲介屋)             宇津美清
     シヤープレス(アメリカ領事)         柳田貞一
     蝶々さん(マダム・バタフライ)        清水静子
     僧侶(蝶々さんの伯父)            清水金太郎
     スズキ(お蝶夫人の女中)           天野喜久代
     ヤマドリ公爵                 糸井光彌
     ケート(ピンカートンの新妻)         相良愛子
     蝶々さんの母親                園鶴子
     第一の伯父                  石田雍
     第二の伯父                  黒木憲三
     神主                     川田和夫
     公証人                    河村博
     ウスグモ(蝶々さんの侍女)          佐藤梅子
     マツガエ(同)                小野メリ子
     妓夫コウゾウー                武村治夫
     同 ヨシトシ                 小村光夫
     その他蝶々さんの友達、親類多数

     オスカー・ワイルド原作 奥山昌平編曲 ジヤツ・ルボーフ振附
 (3)舞踊劇「サロメ」 一幕  〔省略〕

       ロシアンバレー 太田雅光氏舞台装置
 (4)薔薇の精

     マクレツオワ夫人   
     ビネス氏      共演

 (5)舞踊小品  数種

  黒木憲三氏按舞
  1 バレー「晩秋」

  野菊    花園綾子
  風     黒木憲三
  詩人    石田雍
  その恋人  竹内マリ子
  木の葉   逗子靖子
  同     富士野登久子
  同     藤本咲子
  同     竹内麗子
  同     吉野八重子
  同     花岡幸子
  同     大町葉子
  同     星つた枝
  若い男   桐島誠
  同     河村博
  同     小村光夫
  同     荻原隆男
  同     中村操
  同     島田博
  同     柳井淳
  同     兒島春男
  若女    竹内マリ子
  同     富士野登久子
  同     藤本咲子
  同     竹内麗子
  同     花岡幸子          

  福井茂作
  2 舞踊「ベルソーススラブ」

     福井茂 
     富士野登久子

  3(外人)ペルシヤダンス

     マクレツオワ夫人 
     ビネス氏      共演

  4 舞踊、インデアンラメント

     福井茂

  5 黒木憲三振附

  舞踊(ハンガリアンダンス)

     黒木憲三
     桐島誠
     河村博
     小村光夫
     荻原隆男
     中村操
     島田博
     柳井淳
     小島春夫
     小林一夫 
     福井茂
     澤マセロ
     相良愛子
     逗子靖子
     竹内マリ子
     富士野登久子
     花岡綾子
     藤本咲子
     竹内麗子
     吉野八重子
     花岡幸子
     大町葉子
     
     星つた枝
     高田みどり

  6(外人)スパニツシユダンス

     マクレツオワ夫人出演

  7 澤マセロ作

  舞踊(若きラヂー)  澤マセロ

  8 澤マセロ按舞
    フイナーレ

  支那曲(チヤイナガール)
  女          木村時子
  男          澤マセロ
  その他踊り子全員


        音楽指揮 篠原正雄
        音楽顧問 奥山昌平

 〔裏表紙〕

  当る〔大正十四年:一九二五年〕四月 廿二日 廿三日 廿四日 廿五日 廿六日 五日間 午後五時開場  

  廿六日は正午より 昼夜二回興行

  御入場料 特等 三圓 一等 二圓 二等 一圓 三等 五十銭  
       学生団体 三十人以上二割引 百人以上三割引  
   其他三十人以上の団体申込に対して特に御相談申上候

 なお、広告は「ミツワ石鹸」である。

 下の写真には、「マクレツーオフ女史とビネス氏 ヂヤギーレフ露西亜舞踊団」とある(『音楽グラフ』より)

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「ルシアンバレーとドラマ曲目」 京都・神戸 (1922.7)

2012年08月29日 | 来日舞踊家 1
◎京都公演

 曲目

 一部 

 1.トレアドールの愛(バレー)  ‥‥サンサーン作
        ジプシー女乞食 ‥‥アンナ・スラヴイナ〔スラヴィナ〕夫人
        トレアドール   ‥‥ニナ・スラヴイナ嬢
        西班牙女    ‥‥キチー・スラヴイナ嬢
 2.匈加利踊(チヤルダーシ)     タマラ・コンテリー嬢
 3.仏蘭西ポリカ踊          ニナ・スラブイナ嬢
 4.アラビヤ踊             キチー・スラヴイナ嬢 
 5.モマン ミュージカル(バレー)
                    アンナ・スラヴイナ夫人
                    ニナ・スラヴイナ嬢
                    キチー・スラヴイナ嬢
 二部

 1. 悪戯劇
   リリ-‥‥キチー・スラヴイナ嬢
   アルノー夫人‥‥アンナ・スラヴイナ夫人 

  三部 

 1.露国民謡踊
         貴族ノ娘‥‥キチー・スラヴイナ嬢 
         若き貴族‥‥ニナ・スラヴイナ嬢
         貴族の母‥‥アンナ・スラヴイナ夫人
 2.印度踊
               タマラ・コンテリー嬢
 3.高加索踊
               ニナ・スラヴイナ嬢 
 4.人形ポルカ 
               キチー・スラヴイナ嬢
 5.セルバンチン(スカートダンス)
               アンナ・スラヴイナ夫人
               キチー・スラヴイナ嬢
               ニナ・スラヴイナ嬢

◎神戸公演

      

 △文壇の巨人によつて紹介せられた露国最高芸術の渡来▽ 
       
        ルシアンバレーとは?

バレーは発達したダンスです、美しい芸術化されたダンスです。
欧洲の殊に露国の文芸美術は王朝時代に於て其極致にまで発達しました、ルシアン、バレーは実に露国芸術の総てを表徴する最高の生きた美術であります。
バレーは実に露国芸術の総てを表徴する最高の生きた美術であります。
世界各国の民族は其国民性を発揮すべく種々なる形と色彩のダンスを想像しましが露国は其の大国民的の偉大なる包擁力を以て各国のダンスを一手に蒐めてバレーの種類と内容を豊富にしました。故に露国に於ては最高のバレツターは常に第一位の音楽家や画家と同様に尊敬されて居ります、此度我々の紹介するバレツターは我国文壇の巨人松居松葉氏によつて日本に招来せられ更に大阪毎日新聞社露国特派員布施勝治氏の推薦で関西のステージに立つ事になつた露国舞踊界のスターであります。
自然と人性の生んだ極りなき舞踊美は彼女等の美しく統一された肉体を通じて諸君をチヤームし天上の夢幻境に誘引せずには置かないでしょう!!。

   場所 湊川聚楽館 〔下の写真は、絵葉書「神戸湊川聚楽館 Shurakukan Kobe.」とあるもの。〕

            
 
 曲目  

 1.トレオドールの愛(バレー) サンサン曲
        ジプシー女乞食‥‥アンナ、スラヴイナ夫人
        トレアドール‥‥ニナ、スラヴイナ嬢
        西班牙女‥‥キチー、スラヴイナ嬢
 2.匈加利踊(チャルダーシ)
              タマラ、コリンテリー嬢 
 3.仏蘭西ポリカ踊 
              ニナ、スラブイナ嬢
 4.アラビヤ踊
              キチー、スラヴイナ嬢 
  トルストイ作 
 5. アンナ、カレンナの一駒(ドラマ) グリンガ作曲
         フアバン‥‥アンナ、スラヴイナ夫人
         第一踊子‥‥ニナ、スラヴイナ嬢
         第二踊子‥‥キチー、スラヴイナ嬢

 二部

 1. ポクルイワール、コルンビーヌイ(無言劇)一幕
         プレロ‥‥アンナ、スラヴイナ夫人
         マリエツタ‥‥ニナ、スラヴイナ嬢
         コルンビーナ‥‥キチー、スラヴイナ嬢
         ルゼツタ‥‥タマラ、コリンテリイ嬢 

 三部 

 1.露国国謡踊
         貴族ノ娘‥‥キチー、スラヴイナ嬢 
         若キ貴族‥‥ニナ、スラヴイナ嬢
         貴族ノ母‥‥アンナ、スラヴイナ夫人
 2.印度踊
               タマラ、コリンテリー嬢
 3.高加索踊
               ニナ、スラヴイナ嬢 
 4.人形ポリカ 
               キチー、スラヴイナ嬢
 5.セルバンチン(スカートダンス)
               アンナ、スラヴイナ夫人
               キチー、スラヴイナ嬢
               ニナ、スラヴイナ嬢
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「スラーヴィナ劇団 (「復活」と露西亜舞踊)」 (1922?)

2011年10月14日 | 来日舞踊家 1
 

 この写真は、『写真通信』 第百七号 大正十二年〔一九二三年〕 正月号 に掲載されたものである。

 日本語で演ぜられた外人劇 

    「復活」とロシア舞踊

 最近劇団に諸種の新しい試みが起り、夫々人気を吸収して劇界百花満開の観あるは誠に結構な現象だ。併しかゝる諸種の新しい試み中で特に奇抜なのは日本語で演ぜられたる外人劇である。茲に紹介するのが即ちそれで、右上は有名なロシア文豪トルストイ原作「復活」ー我国では「カチユーシヤ」と称して一般に知られてゐるもの、右端の人物は花形女優キツテイ・スラビナの紛したカチユーシヤ左下は得意のロシア舞踊。尚ほ中央は座頭アンナ・スラビナ〔アンナ・スラーヴィナ Anna Slavina〕、左上はキツテイ・スラービナ〔キティー・スラーヴィナ Kity Slavina〕、右下はニナ・スラビナ〔ニーナ・スラーヴィナ Nina Slavina〕の三女優で、斯の如く外人が日本語で劇を演じたのは全く始めてで実に注目に値する

 Russian Dance and “Revival ” played in Japanese words by Russian actors and actresses.

 また、第七回全関西婦人連合大会(大正十四年 〔一九二五年〕 十月 於大阪中央公会堂)の大会順序の二日目(十月二十五日)には、次の記載がある(『婦人』二巻 十号)。

 一 音楽

    会歌発表 作歌 八木梅子氏 作曲 近衛秀麿氏
    管弦楽演奏数番【曲目は未定】近衛秀麿指揮
    独唱数番 矢追婦美子嬢 近衛秀麿伴奏

 一 劇
   『サロメ』一幕
    露国人キチー・スラヴィナ嬢主演 
    外助演男女露国人十数名
     但し台詞は全部日本語 スラヴィナ嬢其他一行の露国人は驚くべき程流暢に日本語を話せます
 一 舞踊
   『人形の遊び』
     アンナ・スラヴィナ キチー・スラヴィナ ニーナ・スラヴィナ   共演

 なお、この大会の一部を記録したと思われるSPレコードに次のものがある。

  NITTO RECORD ニット―レコード 大日本蓄音器株式会社 1805-A

     大阪朝日新聞社

   関西婦人連合会

    申合せ 朝日新聞記社〔記者〕 恩田和子
    会歌  八木梅子作歌 近衛秀麿作曲
    唱歌者 御門種子・八木笑子
    伴奏  近衛秀麿   

  NITTO RECORD ニット―レコード 大日本蓄音器株式会社 1805-B

   

   科白劇 

    狂恋のサロメ

     アンナスラビアナ夫人 
     キッチースラビヤナ嬢
     ニーナスラビアナ嬢
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「舞踊嫌ひの日本人」 田中正平 (1916.9)

2011年09月25日 | 来日舞踊家 1
 

 この文は、大正五年 〔一九一六年〕 九月一日発行 の『婦人公論』 九月号 第一巻 第九号 に掲載された。
〔上の絵葉書の写真は、スミルノワと思われる。〕
 舞踊嫌ひの日本人 
   ◇◇◇国民性に適する舞踊を興せ◇◇◇
         理学博士 田中正平

 私は舞踊に就いて別段専門的に研究した訳でもなければ、又勿論自分で稽古したと云ふのでもない。唯舞踊の同伴者とでも云ふべき音楽のことを少し調査 しら べたことがあるので、自然幾分か関係する処があるから、不知不識 しらずしらず の間に舞踊に対する趣味も出て来、舞踊の貴 たふと いことも判つて来たのである。で、固より舞踊に対しては全く素人なのであるから、私の言ふ処も大に正鵠を得ない事があるかも知れない。

 ▽世界中舞踊の無い国はない

 舞踊を愛するは人間の特性であつて、世界何れの国でも、其国民固有の舞踊の無い処はないのである。而して其沿革は皆、其国の宗教儀式の一つであつたものが漸次独立発達して来たもので、今日俗間に行はれてゐるものも、先づ此式舞より其流れを汲んでゐるのに相違ない。日本のお神楽などは、今日でも其古風の体を残してゐるものである。基督教でも、今では余り行はれてゐないが、然し昔は随分寺院内で舞うたと云ふ形跡をとゞめて居る。日本では踊り子は其術を天鈿女命 あめのうづめのみこと から受けたと言つてゐるが、此考 かんがへ は蓋し日本許りではあるまい。詰 つま り世界各国の人々が皆舞踊の根源を神秘なものにしてゐるのである。

 ▽踊るのは人間の天性である

 又舞踊は人の喜びを表現する一種の手段である。歓喜する時は、人は「手の舞ひ足の踏む処を知らない」と云ふ。手紙の文句にも、「雀躍の至り」などゝ云つて、悦 よろこ ばしい嬉しい事があれば踊るのが人間の天性である。それをしないのは無理に其本性を抑圧してゐるのではないかと思ふ。広く世界の各国民の状態を見るに、日本人程舞踊しない国民はない。特に近来に至つて益々然 さ うである。昔は歴史的にも見えてゐる通り、何か社会的の慶び事や、或は家族的の祝ひ事がある毎に、白拍子であるとか、其他男女に拘 かゝ はらず、常に起つて舞ふものがあつた。酒席などでも必ず誰か起つて舞ふことが行はれてゐた。起つて舞ふのを肴 さかな と称する。酒は有るが肴が無いと云つた場合でも、舞があれば結構飲めると云ふ意味で、こんな言葉が出来たのであらう。

 ▽盆踊は唯一の慰楽であつた

 各地方へ行くと幾分単純な又卑俗なものではあるが、盆踊りと云ふものがあつて、農家が一年中其業務に励精した慰安として、年に一度男女大勢寄り合つて睦まじく踊るのを無上の娯楽としてゐたのである。然るに近来では、此盆踊りも風規上の監督が行届かないからと云ふ理由で殆んど禁止されてゐる。之は一面社会風教の上からは然るべき処置とは思はれるけれども、然しこれがために国民唯一の慰楽を奪つて了 しま ふことは甚だ遺憾である。

 ▽良家の令嬢は踊らなくなつた

 其他昔は良家の令嬢達も、一つの身だしなみとして皆舞踊を稽古させられたものである。処が然 そ ういう風習 ならはし は次第に薄らいで、今日では芸者になるものゝ一つの準備としてのみ舞踊を稽古すると云つた風である。従つて踊りの稽古をするに伴ふ弊害も沢山生ずるやうになつた。今日品位ある家庭の令嬢たちが斯 こ う云ふ方面に心を傾けない許りでなく、仮令 たとへ 舞踊の稽古をしたとしても、単に隠し芸としてゞあつて、人の前に起つて舞ふなどといふことは恥づべきことのやうに思はれて来た。だから舞踊の側から見ると今日程情 なさけ ない時代はないと言つてよいであらう。

 ▽日本程舞踊の嫌ひな国はない

 扨 さて 前に述べた通り、世界に舞踊の無い国はないのであるが、其世界の文明国中で我国ほど無邪気な娯楽の嫌ひな国はなからう。殊に舞踊を以て娯 たの しむと云ふ事の最も嫌ひな、従つて最も少ない国は我国である。支那は然 さ うである。然し支那の婦人達は纏足をしてゐるから、舞へと云つてもそれは無理な註文であるが、日本人のは故意に舞踊をやらないのである。是れは一種の社会の変調で、決して健全なものではなからうと思ふ。即ち国民が妙にひねくれてゐるのである。さもなければ、努力をしないで娯楽のみを取らうとするおうちゃくな傾向であるまいか。凡て何事も凝つて見なければ面白味は出て来ないものである。努力が悦楽の大なる要素である。ところが、日本現代の社会は、楽しみは享 う けたいが、努力することは避けたいと云ふ社会ではないかと思ふ。これでは個人々々には都合が好いかも知れないが、日本一国の文明と云ふ事になると甚だ嘆かはしいことであると思ふ。

 ▽西洋のダンスは欠くべからざる年中行事

 西洋では男も女も殆んど踊りを知らぬ人はない。尤 もつと も踊りと云つても所謂舞踏 ダンス であつて、劇場などで優人 やくしや が演 や る芸術的の舞踊即ちバレーとは別である。此舞踏の根元は、日本の盆踊りのやうなものから進化したものであるが、運動といふ点からも結果が良いのみならず、社交的な機関としても是非なくてはならぬものとなつてゐる。そして一般の青年男女が熱心に行 や るから、舞踏といふものは今日では欠くべからざる一つの年中行事となつてゐる。寔 まこと に舞踏は一見極めて簡単で何処が面白いか判らないやうであるが、自分で行 や つて見ると非常に興味がある。一体何事でも見るよりも行ふ方が理解も生じ楽しみもある。

 ▽ダンスは日本人には向かない

 勿論日本でも西洋の舞踏の行はれてゐる所もあるが、日本人は日本人の衣裳を着、日本の家屋に住 すま てゐるものだから、一般にはまだゝ流行となるまでに行かない。此舞踏を如何 どう かして日本へ入れやうと苦心した人もあつたが、如何も旨く行かない。第一男女相擁 あひよう するといふことが日本の風習の是認する処とならない上に、家屋も西洋式に建て、音楽も西洋式なものでなければー即ち総てが西洋式にならなければ、舞踏をやるのに不便である。勿論単に斯 か う云ふ不外面的な事情許 ばか りではなく、芸術的な点から言つても、舞踏は日本人の社会には不向きであるが、それは暫く措 お くとして、前にも言つた服装が適しないといふことは重大な問題である。諄 くど いやうであるが服装がいけない。
 
 ▽踊るにはそれ相応の服装が必要である

 倩 つらつら 各国の状態を見るに、舞踊は服装に依つて大なる影響を受けるものであり、又受けなければならなぬものである。例へば日本の芝居の所作事などで、龍宮の乙姫が所謂「緋 ひ の袴 はかま」即ち上臈 じやうらう の扮装 なりかたち で舞踊するのは、所謂踊るのではなくつて、これは舞ふ方になる。又これで何か活溌なものを舞はうとすると、袖が邪魔になり、脚の捌 さば きが悪くなる。であるから踊るにはそれ相応の服装が必要なことは申すまでもない。
 元来西洋人は男はズボンで、女は袴を穿いてゐるから、足の運動は非常に自由である。故に舞踏は勿論芸術的な舞踊即ちバレーに於ても、足の運動が旺 さか んで、飛び跳ねたり、足を高く揚げたりする。女の人でも足を自分の顔まで揚げる。頗る活溌である。其活溌な点に別種の趣味があるのである。而かも其活溌さが永年の研究に由つて非常に優雅な芸術になつてゐる。

 ▽日本人には舞踊の味は解らぬ

   

 然し此西洋式の舞踏又は舞踊 バレー を見て楽しむと云ふのは、矢張歴史的に人の眼が養はれてゐなければならぬ。歴史を異にする日本人の眼には、一朝一夕にして其美其味を感ずる事は出来ない。西洋に永く移住して親しく西洋の舞踊に接し、其眼を肥 こや した者は格別、唯一般の人には、見ても異様に感ずる外 ほか に、軽妙に運動すると云ふ事位は賞玩することは出来ても、其外に深い感動を得る事は六つかしい。先頃帝劇へ来た露国のスミルノワの舞踊なども、伊太利の舞風を取入れて、新しい解釈を加へ、立派な露西亜の国民的舞踊となつてゐるが、吾々には非常に珍しい結構なものとは感じられても、西洋人 厳密に云へば露西亜人が感ずるやうな妙味は迚 とて も感じられない。即ち吾々日本人は、日常見慣れてゐる服装をし、見慣れた体 からだ のこなしを基とした舞踊にして其美容を発揮するのを見て、始めて興味を覚えるのではなからうか。であるから如何 どう しても我国の舞踊は我国にある処の主題を採つて、歴史的に吾々の憧憬してゐる処の人物、又は吾々が夢見る処の、親しみを持つた仮想的夢幻的人物が出て活躍する処に吾々の舞踊は出来上がらなければならないと思ふ。

 ▽舞踊は国民性に合はねばならぬ

 舞踊は此 かく の如くそれ自身に於て国民性に関係があるから、それに伴ふ衣裳や音楽も亦調和を得なければならぬ。三味線を弾いて舞踏 ダンス を踊るのが不調和であると共に、西洋の楽曲によつて日本式の舞踊をなすのも亦不釣合である。故に今後の舞踊の進歩刷新も矢張国民的立場ー我々と我国の思想理想の上に立つて図らなければならないと思ふ。

 ▽舞踊を改善発達せしめよ

 舞踊の趣味は、簡単なものと複雑なものとに由 よ つて違ふ。簡単な事は自分が行つて自ら趣味を感じ、複雑なものはそれを行つて自分以外の他人に趣味を感じさせる。即 すなはち 専門の徒である。この区別は西洋では、舞踏 ダンス と舞踊 バレー によつて明かに分れてゐる。日本ではまだこれが十分に区別されてゐない。即九歳や十歳位の女の子が、奴 やつこ にもなれば弁慶にもなり、中には勘平にもなつて道中をやると云つた風である。之は芸術の方からは或は歓迎すべきことかも知れないが、然し舞踊の趣味を拡めるには何 ど うかと思ふ。も少し容易 たやす く舞踊する事が出来るやうにしなければならぬ。即ち之を学び之を行ふに容易ならば、自分も趣味を感じ多くの人にも楽しみを與へる訳である。又斯道に精 くは しい名人上手の芸を見ても之を玩賞する事が出来ると思ふ。何にしろ目下の処、日本では舞踊の研究方法が未だ充分でない。之を教へる方法が研究されてゐないのみならず、之を稽古するに伴ふ弊害が未だ余程沢山ある。日本の文明を増進すると云ふ点から見ても、如何 どう しても今日は社会が之に注目して其改善を促さなければならぬ時期ではないかと私は密 ひそ かに考へてゐるのである。
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