中学にあがる年齢だから12歳ごろの頃だろうか、ある春の日、父が私をつれて犬吠崎に突然出かけた。
春というか、かなり寒かったのを覚えているし、もしかしたら12月ごろだったのかもしれない。
別に何か理由があったとかそういうこともほとんど覚えていないことだ。
ただ覚えているのは、銚子駅のその隅にある銚子電鉄のホームとその小さな電車、たけり狂う太平洋の荒波と鉛色の空に浮かぶ白い灯台。
化石漣痕を前に撮った記念写真。地球が見える展望台からの遠く円弧を描く水平線。
病弱だった父は、体力に自信がなかったのだろう、長い旅行に連れて行ってもらった経験はないが、時々思いついたように私を連れ出してくれた。
当時、あまり旅行に連れて行ってもらってなかった私にとっては、貴重な思い出だ。
中でも、この銚子行きの銚子電鉄は思いで深い。
小さなマッチ箱のような列車の四角い窓が、発車するたびにひし形にゆがむ様と、車内広告がカレンダーの裏にポスターカラーで手書きしてある光景は今でも深い印象に残っている。
今となっては、そのときの父の心は分からない。何を思って、何を見せに私を連れて行ったのだろう?
この年齢になった私には幸いにも二人の息子がおり、体にも特に問題があるところはない。
夏には子どもたちと海にも行った。ちょっとした山にも登った。休みの日にはキャッチボールもする。
当時の父にできなかったことをいま、私は当たり前のように子どもとできるのだ。
あの頃、それが当たり前だと思っていたのは私のほうで、父には父の負い目があったのかもしれない。
銚子電鉄の経営危機のニュースを知ったのはこの11月のこと。一生懸命走っていたあの「ひし形の電車」が借金で苦しんでいる。
あの日の大切な思い出が壊れてしまいそうで、どうにも心配だ。
がんばって欲しいと、心から思う。
いつか、子どもたちをつれていく、その日まで。
春というか、かなり寒かったのを覚えているし、もしかしたら12月ごろだったのかもしれない。
別に何か理由があったとかそういうこともほとんど覚えていないことだ。
ただ覚えているのは、銚子駅のその隅にある銚子電鉄のホームとその小さな電車、たけり狂う太平洋の荒波と鉛色の空に浮かぶ白い灯台。
化石漣痕を前に撮った記念写真。地球が見える展望台からの遠く円弧を描く水平線。
病弱だった父は、体力に自信がなかったのだろう、長い旅行に連れて行ってもらった経験はないが、時々思いついたように私を連れ出してくれた。
当時、あまり旅行に連れて行ってもらってなかった私にとっては、貴重な思い出だ。
中でも、この銚子行きの銚子電鉄は思いで深い。
小さなマッチ箱のような列車の四角い窓が、発車するたびにひし形にゆがむ様と、車内広告がカレンダーの裏にポスターカラーで手書きしてある光景は今でも深い印象に残っている。
今となっては、そのときの父の心は分からない。何を思って、何を見せに私を連れて行ったのだろう?
この年齢になった私には幸いにも二人の息子がおり、体にも特に問題があるところはない。
夏には子どもたちと海にも行った。ちょっとした山にも登った。休みの日にはキャッチボールもする。
当時の父にできなかったことをいま、私は当たり前のように子どもとできるのだ。
あの頃、それが当たり前だと思っていたのは私のほうで、父には父の負い目があったのかもしれない。
銚子電鉄の経営危機のニュースを知ったのはこの11月のこと。一生懸命走っていたあの「ひし形の電車」が借金で苦しんでいる。
あの日の大切な思い出が壊れてしまいそうで、どうにも心配だ。
がんばって欲しいと、心から思う。
いつか、子どもたちをつれていく、その日まで。










