映画少年

映画と音楽を愛し 教育の未来を想う 少年のつぶやき

「人生の岐路」その2

2017-05-14 09:38:42 | 日記
苦手な数学と英語の攻略が鍵だったが、何とか一定の水準まで持込み、得意の国語と社会と理科で不足分をカバーするという目論見だったのだが、国語と理科が思ったようにならず、満点が期待される社会だけが頼みの綱となった。
発表当日、自転車でB高校に向かっていると、すでに発表を確認して帰宅中だと思われるK君の自転車とすれ違った。
普段ならこんな時、互いに声を掛け合う仲なのだが、この時のK君は、少年の顔が目に入らなかったのかまっすぐ前を見ながら自転車をこぎ走り去ってしまったのである。
しかし少年は、K君の表情を見逃さなかった。
泣いていたのである。つまり、・・である。少年より成績がよくB高校合格は確実と思われていた彼が。次の瞬間、少年の胸に暗雲が広がってきた。

3週間後、新しい制服を身に付けた少年は、高校の正門の門柱を見つめていた。そこには、K県立B高校と記されていた。 

入学後、少年が迷わずあの部活を選んだのは言うまでもない。
校地の東端にある古い校舎の2教室分がS部の部室だった。と言っても一部屋は、発掘品の展示室であり、大小の土器や黒光りする黒曜石の石器などが所狭しと並べられ、博物館の様相を呈していた。

(イメージ)

部活は、先輩による「講義」から始まった。1万年ほど前の旧石器時代から、縄文時代、そして弥生、飛鳥、中世と、数日にわたり歴史講座が催された。
また、小さな土器や石器から大きな古墳、それらを図面化する際の計測や測量の仕方、さらに、割れてばらばらになった土器を接着剤でつなぎ合わせたり、欠損部分を石膏で復元したりする作業など、考古学の基礎をたたき込まれる日々が続いた。

これらに加えて、土曜日の午後や日曜日には、自転車で行ける範囲にある遺跡の保全状況を確認する「遺跡パトロール」と称する活動も行われるなど、博物館の学芸員や市役所の文化財係の職員がするようなことが課せられたのである。後に分かることなのだが、B高校S部の部員は、実際の発掘現場で行政職員を補佐するスタッフとして頼りにされる存在であった。

B高校でのはじめの1年間は、本務である高校生としての授業より、部活に明け暮れた1年間であった。
従って、成績は極めて厳しく、進学コースを決める一年生三学期の三者面談で、「私学文系コースが妥当、しかし地元の私学も難しいかもしれない」と言われる始末だった。

しかーし、部活を通して芽生えたある目標が、少年の学習意欲に火を付けることとなった。
それは、「社会科教員への道」

目標が定まると俄然、力を発揮するのが少年のよいところ。
二年生の後半から、徐々に成績が上昇し、三年になり社会科で日本史の授業が始まると、水を得た魚のごとく学習に打ち込み、日本史に限っては学年一位の座を射止めるに至ったのである。
そして、第一志望校を大好きなミュージシャンの出身校でもあるF市のS大学に定め、部活引退後から6か月間の受験勉強がスタートした。

(当時抱いていた大学のイメージ)

本来受験勉強はつらいものであるが、少年は後に次のように述懐している。「実に楽しく、充実した青春時代の一コマだった」

3月1日の卒業式の朝、何気なく新聞をめくった少年の目がある紙面に釘付けになった。
「あっ!これは・・・」

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