悠翠徒然

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『真田丸』

2016-09-18 07:33:40 | Weblog
なんだかんだで観てます。

草刈正雄演ずる、主人公真田幸村の父真田昌幸がいい味出してます。

戦国武将の野望と失望、絶頂感と喪失感が、『その時代に翻弄されながらも一生懸命に生きる事』を教えてくれます。

私は今現在『この時代』を一生懸命に生きているのかな?

一生懸命と、ねぇ〜

生きているのか、生かされているのか、、

一生懸命に生きる事は、執着が強い事なのか?

だとすると、私の目指すところとはちと違うようだし、、

一生懸命やりきらないと、執着心を捨てる気持ちにもならないだろうし、、、、

でももう随分とやりたい事はやってきたし、、、

そこで思い出すのが『論語』であります。

子曰、吾十有五而志乎(干)学、
三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。

子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。


私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持って、
四十になってあれこれ迷わず、
五十になって天命をわきまえ、
六十になって人のことばが素直に聞かれ、
七十になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになった。

学問は一生ものではありますが、十五歳ぐらいで自分が何に向いているかを知り、その学問を自発的に志しなさい。
そして三十まではその学問を一生懸命やりなさい。
そうしないと三十になって独立独歩の姿勢はできませんよ。
そしてその姿勢で三十代を生きなければ、四十になっても迷ってばかりいる事になりますよ。
迷わず選んだ道を突き進めば、五十になる頃には、自分が持って生まれた天命を知る事ができるでしょう。
己が天命を知って五十代を生きれば六十になる頃には、他人の苦言を聞き入れ、流言飛語に惑わされず、玉石混合の中にある大切な物を見つける事ができますよ。
そして七十を過ぎた頃からは、思うがままに言動しても、人の道を外す事にならない、先達として皆の道標になる事ができるでしょう。

と言う事でしょうか。

思い込みなのか、それとも『天命』なのかは疑問が残りますが(笑)、そこそこ明確に自覚はできているはずの年齢になってしまいました、、。

人の意見にあれこれ反論せず、聞く事が出来るようになったのかな?

まだまだ言いたい事があるうちは、青い、、、。

言っている人に興味があるので、まだまだ意見をぶつけあいたいのです。

確実に10年は遅れています(苦笑)

でも、長寿社会ですからね〜

孔子の70が現代の90と考えれば、まだまだ余裕〜

『だからダメなんだ!お前は!』

天から孔子や私を育ててくださった多くの先生方に叱りとばされそうです。

反省、、、、

あと一年間の間に修行を積んで、多くの色んな意見や話をしてもらいやすい佇まいを作るようにしないといけませんね。

イメージ、仙人、ですかね〜

むずい、、、、、、

髭伸びないしなぁ〜

『そこじゃない!形から入ろうとするな!』

また、叱られちゃいました〜

反省!

本日、日曜日13〜19時の和翠塾お稽古担当は私です。

そろそろ競書漢字課題を仕上げちゃいましょう!

http://www.wasuijuku.com/















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