悠翠徒然

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2017-06-14 07:30:02 | Weblog
それぞれの人にはそれぞれの持って生まれた理由、役割というものがあると思います。

それに気づくのが早い人がいれば、時間がかかってしまう人もいる。

中には、とうとう最後までわからないままに終わってしまう人もいる。

それはとても不幸なことです。

人間が他の動物と違うところは、その一点だけだと言ってもよいのに、そこを認識しないまま人生を終えてしまうとしたら、それは誠に不幸なことだと思います。

天才は人口の1%もいないとは思いますが、彼らは遠回りすることなく気づいているでしょうね。

なぜなら、興味のある事しかできないからです。

その興味のある事を極める事が、天才が生まれて来た理由。

その成果を元に、後に続く者達はさらにその分野を極めていくことでしょうから、天才は長い年月の連鎖を担う役目を背負っているわけです。

いつの日か、その分野の真理に到達することができるでしょう。

ところが凡人はそうはいかない(笑)

色々と好奇心を刺激される誘惑の多い人生の中で、常に迷って生きています。

凡人にも才能があるのに、誘惑に負けてそれに気づくのがとても遅くなってしまう。

私もそのうちの一人です(笑)

興味のある事が多すぎて、遠回りしっぱなし!

遠回りする事が生まれて来た役割だと思ってしまうぐらいです(泣)

凡人の中でも、早い人は二十歳を過ぎるとわかるようですが、普通は三十歳を越えるとわかるようです。

私のように五十歳を過ぎた頃、なんとなくわかって来たような気がする、というのはボンクラすぎますよね(笑)


論語では孔子が、晩年にこう振り返って言ったそうです。

子曰く、
吾十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

私は十五才で学問を志し
三十才で学問の基礎ができて自立することができ
四十才になり迷うことがなくなった
※一説では四十までの成功体験に留まらず、さらにチャレンジせよ、との解釈もあり。
五十才で天から与えられた使命を知り
六十才で人の言葉に耳を傾けることができるようになり
七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった

とあるわけですから、五十歳を過ぎた頃、ぼんやりとその使命に気づいたかもしれないなぁ〜という状態は、まぁまぁじゃないでしょうか(笑)

八十、九十、百歳の時の心境を語っていないのは、孔子は74歳で没したからです。

もう思うがままに生きても道を外れることはないのだから、そこから先はそれぞれが楽しみながら生きなさい、ということでしょうか。

どんなじい様になれるのか、楽しみですねぇ〜

ということは、これからの十年間は人の言葉に耳を傾けることができるような生き方をせよ、という事なのかな?

それは、自己主張をしないということではなく、異なる意見や存在を尊重した上で、良きところはとりいれなさいということなのでしょうか。

さらにチャレンジ!

ま、軽めのチャレンジ(笑)

ワクワクしてきますなぁ〜


















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