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那須湯本を巡りました5

2017年03月23日 | 山荘生活
鹿の湯
那須温泉元湯・鹿の湯は、7世紀前半、約1300年前の舒明(じょめい)天皇の御世に開湯されたといわれます。狩野三郎行広という者が山狩の際に、射損じて逃げる鹿を追って山奥に入ると、鹿は傷ついた体を温泉で癒していました。そこで鹿によって発見された「鹿の湯」と名づけたと伝えられています。
公式には、聖武天皇の御世である天平十年(七三八年)の正倉院文書のなかに那須温泉の記録が残されています。



鹿の湯の源泉
鹿の湯の源泉は湯川を挟んで左に「行人の湯」右に「鹿の湯」の二つの源泉の混合。


聖徳太子像
大正の初め湯本の有志が、神社に「石の神馬」を奉納した。その時大使像も同じ石で作られ、湯本の繁栄と湯治客の安全を願って作られた。


でき穴「仙人窟」
那須湯本の湯川沿いに「でき穴」があり、二つの穴は一つが殺生石まで続き、ひとつは湯本の街はずれまで続いていた。
その昔、狩りをしていた須藤権守貞信(藤原資家・那須氏の祖、父は藤原道家、母は源頼信の娘である。藤原道長の曾孫で祖父は歌人の藤原長家になる。)が蜘蛛の糸にかかり苦しんでいる蝶を助けた。
そこへ蝶の精の美女が現れ貞信を洞窟内に案内し助けたお礼に人の翁が現れ一生に一度の大事な時に使うよう2本の矢を渡された。
1本は貞信が九尾の狐の退治に使ったとされる。そしてもう一本は源義経に従軍し、元暦2年(1185年)の屋島の戦いで平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした那須与一(貞信から7代目)が使ったとされている。





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