私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 司馬遼太郎 「街道をゆく」

2017-03-07 16:56:16 | 歴史探索
 3月 7日(火)   天気:晴れ+風   室温:16.2℃

 きょうは 旭陽公民館の3月の歴史教室に 出席しました。 今月は 姫路文学館 学芸課 課長
玉田克宏さんの ”司馬遼太郎の 「街道をゆく」” です。
 司馬遼太郎(本名:福田定一)は 中国の歴史家・司馬遷から 名をとり 司馬遷には はるかに
(遙かに)及ばない 日本の者 という意味で 遼太郎と名付けました。 祖父は 英賀城の家臣だっ
たと思いますが 本の中に 以下のことは 書くに値しないことだが 私の家の家系伝説では この
宇野氏(長水城城主)より出た となっている・・・と書かれています。
 「播磨灘物語」 を書き あちこち歩けたが 山崎に行っていない・・。 「街道をゆく」 は 昭和46
年から 週刊朝日に 連載されたもので 昭和51年3月22、23日に 取材旅行され 「街道をゆく
9」 播州揖保川・室津みちで 5月14日号~7月9日号に 連載された物語です。 当時は ロッキ
ード事件の真っ最中で 日本は 荒れていました。

1.ライフワークとしての 「街道をゆく」
  司馬遼太郎は 「土」 を くに(国) と ふりがなを 付けるほど 国、土地に根差した想いが強かった。
2.取材旅行のこと
  同行者:安田章生夫妻(友人)、須田剋太(挿絵作家)、橋本申一(週刊朝日記者)、福田みどり
  (遼太郎夫人)  当日 大阪から タクシーで 中国道を山崎まで来て 北の伊和神社へ行き
  南へ下り 室津へ行き 木村屋へ宿泊。 2日目は 室津を歩いた。 (地図参照)
3.旅のきっかけ
  山崎は 笹(篠)ノ丸城と それに連携して それより奥に長水山城とがあり あわせて 中世では
  山崎城と 通称されていた。 室町期は 赤松氏の一族の宇野氏の居城だったようで・・・「鶏籠山」
4.「伊和(いわ) と 「磐(いは)」
  イ:伊和神社  ロ:石見瓦  ハ:石見港  ニ:石海(せっかい) ホ:石海(いはみ)の里
  ヘ:伊和里   ト:「鶴石」 という磐(いは)  チ:「底つ磐根」
  大和の葛城山の麓の母親の実家にいたとき 母方の祖母が 「地面の上に露出している磐は
  あれは 地中でたえず 成長しているのだ」 という意味のことを たえず教えて 私の最初の科学
  知識?を 形成してしまった。 底つ磐根が 地中成長する・・・・       「底つ磐根」
 
5.残したい景色
  因幡街道は 南流する揖保川に沿って 北上している。 揖保川は この上流までくると 浅瀬が多く
  陽が 水底の白い小石にまで よく透っており 鮎が多く棲むというだけに まことに透明度が高い。
  対岸は 晩春の若葉で装われた雑木林だけに 流れにも 山にも 風が光をさざなみ立たせているよ
  うで じつにあかるい。                    「底つ磐根」

  このあたりは 姫路市の西郊になる。 姫路市というのは 私の手もとの昭和初年の資料では 人口は
  六万であった。 また 戦争で 市街のほとんどが焼けてしまったし 敗戦の直後は 師団などが 無くなっ
  たせいもあって 人口も 五万ほどにまで落ちた。・・・・・      「七曲」

6.国土の荒廃
  私を絶望的にさせたのは 国民総不動産屋の時代のの代表のような人物が 首相になり 列島
  改造案という、山林地主と 土地投機業者だけを よろこばせるような政策ともいえない政策を掲げ
  右の傾向を 極度に 過熱化したことである。         「あとがき」 『土地と日本人』

  『播磨国風土記』 を読んでいると 石海(石見いわみ) の人夫をよんできて このあたりを
  開墾させた、とあるが その事実そのものの有無は ともかく 律令国家の形成期のころの日本国
  というのは 国土開発会社のようなものであった。 ・・・・・・・    「七曲」
7.龍野の静けさ
  幼稚園のとき 真夏の昼ごろに お寺のあるせまい道をひとりあるいていて・・・・「樽と琴の音」
8.赤とんぼ
  露風は 一環して 象徴詩の立場を持し 反自然主義や、北海道の修道院の講師に・・・・「七曲」
9.室津のさびれ
  室津のさびれは 急変することがない。 淀みの水が わずかに動く程度のゆるやか・・・・「岬の古社」
10.室津の華やぎ
  室町期には 商権の確保のために 堺・博多その他で 一種の自由都市が発達したが・・・・「岬の古社」
11・様々なトピックス
  遣唐使船というのは ほぼ百済技術による大船だったわけで 百済式船舶といっていい・・・「一文不知」

12.文章論 「歎異抄」 と 「五輪之書」
  私は 江戸初期までの文章で 和文でもって 思想を伝えたものとしては 『歎異抄』 が 最もよく、
  技術という表現しがたいものを うまく表現したものとしては 宮本武蔵の 『五輪之書』が いい、
  というと 安田氏も ほぼ同感してくれて しかしながら 日本語は 文章語とし・・・・『花のことども』
13.宗論
  宗峰妙超(大燈国師)-宝林寺  盤珪禅師ー龍門寺
  禅というのは 天才の道で 常人にとって毒物かもしれないということを 私は かねて感じていた。
  専門に 僧侶として 衣食するようになれば いよいよ禅から遠くなり そのくせ 禅という・・・「花のことども」
14.「播州揖保川・室津みち」 の後
  11月から 「胡蝶の夢」、 翌年1月から 「項羽と劉邦」、 昭和50年代後半 「菜の花の沖」、
  「箱根の坂」、 「韃靼疾風録」
15.「高倉院厳島御幸記」 のこと

16.「街道をゆく」 の魅力
  距離のとりかたが面白い、土地勘がある、日本に対する「土(国)」の問題意識が流れている。
  時代背景に 昭和45年11月 年下の三島由紀夫が 自決し 日本に対する熱い想いが 強い。
  その想いが 「街道をゆく」 に流れをひく。  列島改造により 古いものが失われていく・・。

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