私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
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歴史教室4月 歴史とロマンのまち・室津

2017-04-04 16:03:45 | 歴史探索
 4月 4日(火)   天気:晴れて 暖かい   室温;22.5℃

 きょうは 旭陽公民館の平成29年度4月の歴史教室に出席しました。
今月は 元城郭研究室長の中川秀昭さんの 「歴史とロマンのまち・室津」 です。
室津の歴史、室山城、海駅室津、朝鮮通信使などについて 詳しく説明していただきま
した。 5月は 実際に 室津を訪れ 今日の講義を現地で 確認・探訪する予定です。
きょう 頂いた講座資料は 10ページの膨大なものなので ここでは 一部割愛しました。
 私が 2011.10.4 ”歴史とロマンの街・室津” を訪れたときの ページは こちら


  。。。。。。。。。 歴史とロマンのまち・室津 。。。。。。。。。。。。

1.室津は 古代より 天然の良港
 ・播磨国風土記:「コノ泊、風ヲ防グコト 室ノゴトシ 故ニ因リテ 名ヲナス」
 ・奈良時代:僧行基が 建置したという摂播五泊(せっぱんごはく)に定められた
       河尻泊(尼崎市)、大輪田泊(神戸市)、魚住伯(明石市)、韓泊
       (福泊・姫路市)、室生泊(たつの市)
 ・万葉歌人・山部赤人
   玉藻かる 辛荷の島に 島廻(み)する 鵜(う)にしもあれや 家思はざらむ



2.平安・鎌倉・南北朝・室町時代の室津
 ・室御厨(みくりや):上賀茂(賀茂別雷社)の社領(荘園)
 ・賀茂神社
   室が 上賀茂神社の御厨になったときに 勧請され 治承4年(1180) 高倉上皇に
   従って 厳島神社に参拝する 平清盛が 寄港。 賀茂神社に海路の無地を祈る。
 ・室津は 遊女発祥の地と言われる。
  室津の遊じゃは 古くから知られ 遊女発祥の地だともいわれる。
  遊女 「室君」 の伝説
   昔 花漆という絶世の美女がいて 室の長から 室君と呼ばれた。 ・・・・・

 ・法然上人と室津
  ・浄土宗の開祖・法然は 2度 寄港。 建永2年(1207) 旧仏教徒の妬みを受け
   罪に陥れられ 讃岐の国に流されるとき そして 建暦元年(1211) 許されて 都へ
   帰るとき。
  ・法然上人貝堀の井戸(伝承)
  ・浄運寺(法然上人25霊場の第3番 札所)
  ・遊女友君と法然
    法然と出会った遊女・友君(木曽義仲から 寵愛を受けた山吹御前)。 流浪の果てに
    罪深き身に 救いを求めた。 法然は 念仏の功徳を説き 友君は 出家。


 ・足利尊氏と室津
   建武3年(1336)2月 足利尊氏 入州下向の途中 室津に立ち寄り 見性寺で
   赤松円心と 軍議を開く。 また 同年5月 都へ攻め上がる途中にも 軍略会議を開く。
 ・室山城~風待ちの良港を見下ろす城
  ・室津港を見下ろす室山(標高51m)に 築かれた山城(標高100m以下なので 丘城)
  ・遺構山上部分に 曲輪、堀跡などを一部残す。
  ・発掘調査:平成9年度~平成13年度 二の丸の発掘調査
 ・室山城略年表
   寿永2年(1183):源平合戦で 室山に平家方(平教盛・重衝)が陣を置き 源行家を破る。
   鎌倉時代:源頼朝の命を受け 室四郎が 砦を築い田と伝わる。(伝承)
   建武3年(1336):赤松円心 新田義貞群を迎え撃つため 長男・範資を室山城に配置。
   嘉吉元年(1441):嘉吉の乱で 赤松氏没落。 山名政豊が 室山城に入る。

 ・八朔の雛祭り:西播磨では 通例 雛祭りは 旧暦3月3日に ひな人形を飾る。 室津では
   この日にしないで 「八朔の雛祭り」 といい 旧暦8月1日にしていた。 これは 室山城で
   非業の死を遂げた花嫁の鎮魂のため 8月1日に 延期したという。


3.海駅室津ー室津千軒のにぎわい・・江戸時代になると 播磨は小さくなるが 室津は 姫路藩の所領
   室津は とりわけ 江戸時代 宿場町(海駅)として栄え 参勤交代で 諸大名が宿泊する本陣が
   最大時6軒、脇本陣を兼ねた豪商の邸、宿屋、揚屋、置屋などが 軒を連ね 「室津千軒」の
   賑わいを見せた。
 (1)参勤交代
   ・三代将軍・徳川家光が 制度化 (武家諸法度 寛永12年(1635))

  ①海の参勤交代
   西国大名を中心に 陸路ではなく 海上を利用した参勤交代も行われていた。
   ・17世紀は 海路を大坂まで行くことが多かった。
   ・17世紀後半には 室津・坂越に上陸して そこから陸路を大坂まで行くのが多くなる。
   ・全行程を 陸行するケースも増えるが 九州の豊前中津藩、豊後諸藩、四国の諸大名は
    ほとんど 室津・坂越で 上陸・乗船。
  ②室津の本陣と下宿
   ・西国大名の参勤・帰城に 室津が 重要な位置を占めた。
   ・室津の本陣は 18世紀前期以降 6軒を数えた。
     北から順に 紀伊国屋、豊後屋、筑前屋、薩摩屋、一津屋、肥前屋
   ・本陣の建物は すべて取り壊され 今は 本陣跡に建てられた石碑に 当時の面影が偲ばれる。
   ※室津本陣の規模は 6軒と 一般的な宿駅と比較すると多いが 敷地面積は小さい。
   ※本陣は 大名、公家、宮家、幕府役人など 身分の高い旅行者のため 諸街道の宿場に
    設置された宿泊施設。



 (2)朝鮮通信使
   ・李氏朝鮮国王の親書を 日本の将軍に持参した使節団のこと
   ・江戸時代 慶長12年(1607)から 文化8年(1811)まで 12回。 最後は 対馬まで。
   ・通信使の一行は 正使、副使、従事官以下300人から 500人で 編成。
    6艘の船団で 海路 大坂へ行き そこから 陸路 江戸へ向かった。
   ・我が国の寄港地は 厳原(対馬)→勝本(壱岐)→藍島(筑前)→赤間関(長門)→上関(周防)
     →鎌苅(安芸)→鞆(備後)→牛窓(備前)→室津(播磨)→兵庫(摂津)→大坂(摂津)
   ・各寄港地での通信使に対する応接、御馳走役は その地の領主の担当

   ・朝鮮通信使の室津での宿泊
    ・明暦元年(1655) 以降は 三使(正使、副使、従事官)の宿泊は 姫路藩お茶屋。
     ※お茶屋とは 領主が 領内を巡視する際の 休息や宿泊をするための施設。
       室津のお茶屋は 池田輝政の時代に設けられ 朝鮮通信使の宿舎や外国の賓客接待にも利用。
    ・室津への朝鮮通信使の来聘・・・慶長12年から 宝暦14ねんまで 11回(詳細は省略)
      現在室津には 姫路藩 御茶屋跡と 朝鮮通信使宿舎あとの石碑がある。
        御茶屋跡には たつの市室津出張が建っている。
    ・兵庫県立歴史博物館には 朝鮮通信使 室津御湊御船備図屏風がある。
     ・通信使は 6艘の船団。 お茶屋の前に 停泊する3艘船、後ろに ト船(三使の荷物を運ぶ船)
     ・周囲は 通信使のために 姫路藩が動員した船及び対馬藩の船などが 牛窓からの案内、
      室津での警護・連絡、食糧の支給、水・薪の供給などを行う。
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 (3)江戸参府
   ・寛永13年(1636) 長崎・出島完成、ポルトガル人の強制移住。 
     寛永16年 ポルトガル船の来航禁止。 寛永18年 オランダ商館を長崎・出島に移す。
   ・鎖国政策の中 貿易上の特権を認められた恩恵に対する儀礼として オランダ東インド会社・
     オランダ商館長(カピタン) が 貿易上の特権を認められた御礼として 将軍に謁見・拝礼し
     土産物を献上すること。・・・・以下 省略
    ※参府に随行したオランダ商館・館員の参府日誌などに 室津を記す。
      室津港の眺望(ケンペル)、室明神の社(賀茂神社)(シーボルト 『日本』)


 (4)廻船
   ・「北前船」:本州の日本海沿岸を経由して 大坂と北海道を結ぶ航路(西回り)で 西の物資を
    北に、北の産物を西に と運んで 縦横無尽に活躍した和船。
   ・室津にも 廻船問屋・嶋屋(現・室津海駅館)や 名字帯刀を許され 姫路藩の御用立をつとめた
    海産物問屋の豪商・屋号「魚屋」があった。 なお 魚屋は 脇本陣もつとめた。
4.幕末の室津
   ・室津台場の築造
   ・姫路藩大船賢造:室津池之浜で 姫路藩・西洋帆船の建造(速鳥丸・神護丸)
   ・薩摩藩 島津久光の室津上陸(文久2年(1862))
     薩摩藩の兵約千人を率いて 上洛の途中 室津に上陸。 本陣薩摩屋及び 数十軒の下宿に宿泊
   ・西洋型帆船速鳥丸の建造に携わった秋元安民など 姫路藩尊攘派志士たちをはじめ 諸藩尊攘派
    も 室津に集結、室津会合を経て 尊攘派の機運が盛り上がる。


5.文人・文豪と室津
  ・井原西鶴、竹久夢二、谷崎潤一郎(『残菊物語』)、司馬遼太郎、平岩弓枝など。
  ・「お夏清十郎物語」
   ・伝説のみなもと(実話)
     17世紀半ば 姫路本町札の辻角より 2軒目 但馬屋で 室津生まれの手代清十郎が 但馬屋
     主人・久左衛門に 凶行(切付)に及び 清十郎は 船場川下流の一枚橋東の河原で 打首。
   ・井原西鶴:浮世草子 『好色五人女』 の 「姿姫路清十郎物語」
    ・播州室津、裕福な造り酒屋の息子清十郎は 遊郭に通いふけり 父親から勘当
    ・姫路の但馬屋久右衛門の手代に。 娘のお夏と清十郎恋仲に ・・・・
   ・近松門左衛門:人形浄瑠璃 『おなつ清十郎五十年忌歌念仏』
   ・室津のお夏伝説
    「清十郎を探して 室津まで来たお夏、清十郎の死を知らされ 海に身を投げたと伝わる」


  参考文献は 省略します。
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