私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

横倉山 よこくらやま 282.7m

2009-03-28 19:23:34 | 山歩き
 3月28日(土)  天気:晴れ・曇り  地図:寺前(南東部)・粟賀町

 きょうは 神崎郡市川町谷の横倉山へ行きました。 先日 新聞の折込版にあった 「ぶらり ひと
ある記」 ”山城のなごりを とどめる 谷しろやまの社” として 整備されているハイキングコースを 歩
きました。
 大歳神社から 谷城跡へ登り 尾根を歩いて 峠から横倉山へ登り 峠に戻り 観音堂に 降りる
コースです。 地図を見ると 東の国道312号線と 播但道の間に挟まれ 216mの山に 城跡の印
があるので ついでに これも 訪れましょう。 飯盛山城跡です。 一応 ウェブで 谷城跡を 検索す
ると ヒットしたのは 橋元先生の 「兵庫の山々 山頂の岩石」 だったか? 城跡から 尾根を 横倉
山まで 歩いておられました。
 朝は やや寒かったのですが 陽射しとともに 気温も上がり 膝の痛みはありましたが いい陽だ
まりハイクが できました。  この前の庄山城跡に続き 今回は 谷城跡、東の飯盛山城跡を 訪れ
ましたが 私は 決して お城マニアではなく ただ 低山の歩きやすい 山を 選んだだけです。

 8:07 出発。 近くのコンビニで お弁当を買い 姫路バイパスから 播但道に廻り 8:50 市川
南ランプで 降ります。 ここまで 42.5km。 500円払いましたが 帰りは 350円でした。
降りるとき 9時前だと 150円高い! 国道312号線に出て 右折して 北へ向かい 町役場前で
左折して 県道404号線に 曲がり 小谷を過ぎると 左前方に 古城山・谷城跡が見えてきます。

 適当に 左折すると 前方の踏切が鳴り始め 播但線のエンジの電車が 通り過ぎていきました。
山裾へ向かうと 大歳神社の前に出ます。 9:07 大歳神社の燈篭の横に 車を停めました。 神
社の境内にあるムクの大木の幹に 野生のフウランが 群生しているそうで 天然記念物とか・・。
階段を上がり 神社に お参りして 絵馬を見て 9:19 神社の左奥の遊歩道から 山に入ります。

 コンクリートの道を 少し上がると 上にも お堂があります。 お堂の左に 道標があり 谷城跡290m
とあります。 遊歩道とはいえ  ここから 本格的な?山道で 九十九折れに 登ります。 雑木越しに
後方の市川の街並を見ながら 登り 「谷城跡30m→」 の道標で 右に上がると 広い平坦地で こ
こが 谷城跡(永良城)です。 9:35 標高206mの谷城跡に登頂。 神社から 15分ほど。

 谷城跡は 古城山の山頂にあり 東西20m・南北40mの本郭跡と その北側に 一段低く16m
×18mの平坦地があります。 城は 室町時代 赤松則村(円心)の孫 永良則納が 明徳年間
(1390~94年)に 永良庄を 支配して 居城としたのが 最初で その後 赤松氏の北に対する
守りの要地として 「残要の城」 とも呼ばれたが 永禄の頃 戦火により 焼失 廃城となった・・・。
 登山道の脇にあった歌碑には 次の歌がありました。
 ・・・・・ 赤松の 支城なりとや 古城山 永良の郎等 揺籃の跡 ・・・・・
   注) 郎等:ろうどう 武家の家来、家臣  揺籃:ようらん ゆりかご

 城跡(主郭)の南と北に 平坦地(二郭、三郭)があり 南の展望があり 市川の街が見渡せま
す。 この辺りに 石積や 堀切跡があったようですが 全然 気が付きませんでした。 北の平坦地
に降り 左の遊歩道に降ります。 橋元先生は 尾根を歩かれたようですが 歩きやすい遊歩道が
あるので・・。
 当時は 東の平野から 兵の動きが 見えないように 小道が 尾根筋より 少し西側に下がった位
置に付いているのも 山城のなごりです・・・。 お陰で 東の見晴らしはないが 西には 木々の間
から尖った山が見え隠れします。 後で分かったのですが 七種槍だった?
道は ほぼ等高線に沿って 付けられているので アップダウンは ほどんどなく どんどん歩けます。
少し先に 井戸へ降りる分岐が ありましたが 通過・・・。

 遊歩道は 細くなり 本格的な山道になります。 山は よく整備されていて 刈られた枝が あちら
こちらに まとめてあります。 右に 緑のきれいな シダの斜面を見ながら 左に 木の隙間から尖った
山並みを 見ながら歩き 少し下った鞍部のような所に 木製の展望台がありました。
10:06 展望台に 上がります。 やや低い位置にあるので 周りの雑木が 邪魔で 展望は よくな
いのですが 北側だけ開け 但馬街道が 一望できます。 ここから 右奥に 白岩山も 見えたので
しょうか? 左手前に これから登る 横倉山の山頂が 僅かに 覗いています。

 倒木のある観音堂への分岐に出ると すぐ下に 観音堂が見えますが 帰りに寄るとして 直進し
ます。 西に 送電線の鉄塔を見ながら 送電線の下を通りましたが 鉄塔が どこにあるのか分か
りません。 西の鉄塔の奥の山は 七種槍のようです。 少し先が 峠でした。 10:35 峠に出ま
したが ここは 峠らしくありません。 道標があり 右に降りると 北の鶴居へ降りるようです。
 お地蔵さんに 挨拶をして 直進して横倉山へ登ります。 ここまでは 良く踏まれた はっきりとし
た道でしたが ここからは 風化した崩れやすい土の踏跡になります。 頂部を赤く塗られた白い
アングルの杭を目印に 急斜面を登ります。

 横倉山への登りは 疎らな雑木のやや急な斜面ですが ヤブではなく どこでも歩けます。
今年初めてのアセビを見ながら 峠から10分ほどのひと登りで 山頂に出ました。
 10:46 横倉山に 登頂。 雑木に囲まれた 見晴らしのない狭い平坦地です。
四等三角点:横倉観音は 埋もれかけ かろうじて 頭を出しています。 東には 道が 降りて
いるようですが・・。 北へ雑木を掻き分けると 展望があり 直ぐ下に 工場があり 展望台か
ら見たのと 同じ北の但馬街道が 一望できます。

 西には いい道があり ちょっと 歩いてみるつもりが ついつい どんどん歩き 西峰まで
歩いてしまいました。
 10:56 西峰。 西峰は 小高い小ピークで 頂きに テレビアンテナが 立っています。

 木を避けて 2、3歩南へ降りると 見晴らしがいい。 東には 飯盛山 南には 歩いた尾根
の先に 小高い谷城跡 西には 七種槍が望めます。 南180度の大展望で ここまで来て
良かったァ。 11:06 写真を撮って 戻ります。
11:10 山頂に戻り 11:19 峠へ降りました。 往路では ずっと尾根下の遊歩道?を
歩いたので 山歩きをした感じがありません。 そこで 峠から少し 尾根を歩くことにしまし
た。 西峰から見えた鉄塔(鶴居支線28)も 見たいし・・。

 幸い 峠から鶴居へ降りる道の右に テープがあり 尾根への道?は 直ぐ分かりました。
2分ほど 踏み跡を たどると 鉄塔に登りましたが 思ったほどの展望は ありません。 南の
260mピークの方へ進み 後方の写真を 撮りました。 鉄塔の奥に 横倉山と西峰の尾根が
見えます。 そのまま 260m峰へ登り 地図を見て 西下の観音堂の方へ 降りようと思いま
すが 適当な所がありません。
 260m峰の南の地図に 岩の印のある辺りまで 降りましたが それほどの岩ではありませ
んでした。 疎らなシダヤブの急斜面を 適当に西へ降りて 遊歩道に降り立ち そのまま 観
音堂へ滑り降りようかとも 思いましたが・・・。

 遊歩道を北へ歩き 分岐に出て 左へ降りて 11:49 横倉山観音堂へ。 なかなか雰囲気の
ある建物です。 左には 石仏と石塔があります。 観音堂から 88ヶ所霊場石仏を見ながら コン
クリート舗装の破線の林道を 降ります。 ここまで 車で来られます。 この頃には 膝の痛みも出
てきて・・・。
 林道を てくてく歩いていると 軽トラが 3台つづいて 通り過ぎていきました。 池大師堂を見て
地蔵堂(四ツ堂)に降りると 説明板があり 谷城で 討死した侍達の供養塔と思われる宝篋印塔、
五輪塔 並びに 雨降り地蔵尊が 奉られています・・。 この宝篋印塔は 今まで見たものでは 一
番小さいもので 高さ1m位しかありませんでした。

 集落の近くまで降りると 扉があり 軽トラの人が 扉を開けていました。 尋ねると 鉄砲
を持って 鹿の駆除に行くそうで 荷台には 犬が 繋がれていました。 さっきの3台も仲間
らしい。 山で 遭わなくて良かった。 谷集落から 振り返ると 尾根の中腹に 観音堂の屋
根が見え その奥が 横倉山のようですが・・・。 振古川沿いに 集落を歩き 12:34 車
に戻ってきました。 車で 昼食にしました。

 大歳神社の東ヘ廻ると 畑越しに 北東に飯盛山(尾形城跡)が望めます。 12:55 車を
出します。 飯盛山は 見えていますが 道が分かりません。 とりあえず 広い道に出て 北
へ向かい 1.5km先の突き当りを 右折して 市川を渡り 国道312号線を南へ。
 飯盛山の南裾に 実線の道があるので これを 上ろうと 思ったのですが 通り過ぎ 浅野
から引き返えし 山裾の道路に入り 東ヘ進んでいると グッドタイミング。 山から杖を 持っ
た 男の人が 降りてきました。 道を尋ねると 実線の道はなく 山の北に 最近 整備された
いい道があるとのこと。


 山の東を 北へ周り 小型のパワーショベルで 工事中の先の広い道路脇に 車を停め
登山口を探します。 大歳神社から 6.4km。 木に赤ペンキの印はありましたが・・・。
 西の国道の方へ降りると 赤い大きな鳥居があり 飯盛山登山口の表示もあります。
下に 国道を走る車も見えているので 国道から 100mほど上(東)です。 13:20
鳥居のある登山口から 山へ入ります。 最近 整備されただけあって 広い道は 新しい
感じです。 植林?の中の薄暗い道を 大きく右に左に 曲がりながら登ると 10分足らず
で お稲荷さんに 出ます。 ここに 小さな祠があり 三つある赤い鳥居の一つは 倒れか
けています。

 整備されたいい道も ここまで? ここからは 丸太の階段。 これも 最近 整備されたよう
です。 残った丸太が 傍に放置されています。 丸太階段が 延々と 続きますが 不思議と
膝に 違和感はなく・・・。 地図にある水道施設のような建物のある鞍部にでて さらに 右
に 階段を登ります。 日ノ原山のような 段差はないので 楽に上がれますが ここも 1200
段くらいあった? 急な登りになり 大岩の間を抜けると山頂です。 13:30 飯盛山に登頂。
15分ほどで 登ったでしょうか? ここは 南から北にかけて 180度の大展望です。

 東方向は 5mほどの大岩があり 木が茂り 展望がありませんが 西は 邪魔なものがなく
素晴らしい展望です。 南には 市川が流れ 市川の街並が 見渡せ 西には さっき歩いてきた
谷城跡から 横倉山の尾根が 一望でき その奥には 形のいい七種三山が見えます。
 そうです ここは 七種連峰の絶好の展望地です。 北方向は 国道312号線が延びる丹波
街道が 一望でき 昔は 北からの守りに 最適な見張り台です。 えっ 左奥の山は 大嶽山
(柏尾城跡)だった?
 この飯盛山城(尾形城)は 赤松晴政が 居城したが 大永年間 置塩城に移った。 置塩城
に移った後も 丹波 山名氏や 山陰の尼子氏に対する備えになったとか・・・。 天正6年 高橋
備後守政親が 守将として 拠っていたとき 落城・・・。 大岩は 山頂の陰陽石として 祀られる?

 一人で 景色を楽しみ 13:35 降ります。 下山は 10分ほどで 降りました。
13:47 車を出し 真直ぐ 西へ進み 県道404号線に戻り 南へ走り 13:58 市川南
ランプから 播但道へ。 ここまで5.4km。 播但道出口で 350円払いましたが 播但道
も 早く ETCが 使えるようにして欲しい。 姫路バイパスを走り 14:35 家に戻りました。
本日の走行距離は 往路 46.7km 飯盛山まで 6.4km 復路 46.7kmで 計99.8
kmでした。
きょうも 歴史の一端に触れながら いい山歩きができました。
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