私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

西脇市の黒田庄町の荘厳寺

2013-02-25 16:20:33 | 歴史探索

 2月25日(月)  天気:曇り or 晴れ  室温:14.5℃

 きょうは 西脇市の黒田庄町まで ドライブし 法道仙人が 開いたといわれる荘厳寺を訪れました。
あすも あさっても 予報が良くないので きょう 行ったのですが・・。
 ただ お寺を訪問するためでは ありません。 23日(土) 大津茂公民館で行われた「黒田官兵衛
物語」 で 官兵衛が 黒田庄の生まれで 赤松家の末裔であることが 分かったので 荘厳寺にある
「黒田家の系図」 を見る ことはできなくても 匂いだけでも嗅ぎたいと思ったのです。 紅葉の名所
らしいので 秋の方が いいのですが・・・。 ある意味 前ページの続きです。 元気なら 黒田城跡
に登りたのですが 稲荷神社まで登るのが 精一杯・・・。
 帰りに 日本へそ公園に寄ったのですが 思った通り 岡之山美術館は 休館で ウエダキヨアキ展を
見ることはできませんでした。  きょうは 往復 150kmほどのドライブでした。

 10:08 出発。 姫路バイパスから 10:34 花田ICを通過。 播但道へ。 10:46
福崎ICから 中国道に入り 10:54 加西ICを降ります。 播但道 13.2km、400円。
 中国道 10.8km、300円。 県道24号線を 北へ向かい 明楽寺の信号で 右折して 県道
34号線で 東へ走ります。 市街に入り 野村西の信号で左折して 北へ向かい 冨吉南で右折。
 狭い畑瀬大橋を渡り 黒田庄駅前を通り さらに北へ。 本黒田駅の東で 右折して 東へ登ると
老人ホームの裏側が 荘厳寺です。 11:42 到着。 加西ICから 26.1km 家から 73
kmでした。 

 ここには もったいないくらい広い駐車場があります。 塔頭・法音院の前に 黒田官兵衛と 荘厳寺
の説明書があります。 それによると 左手に見える山を 天狗山と言い その山稜のあちこちに 曲輪
があります。 この山城が 播磨黒田氏の居城・黒田城です。 播磨黒田氏は 赤松円光 (赤松円心
則村の弟) を 元祖とする赤松庶流の一族です。
 観応二年(1351) 円光の子・七郎重光が この黒田城に移り 播磨黒田氏の始祖、初代となりまし
た。 以来 その子孫は 九代、二百数十年にわたり 黒田城主として存在しました。
 八代・黒田城主・黒田下野守重隆に 男子二人あり 兄が 治隆(はるたか)、弟が 孝隆(よしたか)で
治隆は 父・重隆の家督を継いで 九代城主となりましたが 元亀の頃(1570年代初め) 合戦に敗
れて 戦死し 播磨黒田氏は 滅亡しました。
 それより前 弟の孝隆は 姫路城主・小寺美濃守職隆の猶子(養子) となっており 小寺官兵衛
を名のって 播磨国・御着城主・小寺氏の家老となっていました。
 この小寺官兵衛が 豊臣秀吉の参謀役として 有名な黒田官兵衛です。 当地 黒田は 官兵衛の
先祖 赤松庶流・黒田氏の根本地であり しかも 黒田官兵衛自身の出生地です。 近年 はじめて
判明した事実です。
 ここに ”黒田の里 案内マップ” もあり 稲荷神社から北西に延びる尾根が 城跡のようです。
地理院の地図 「谷川」 では 484.5mの山頂が 四等三角点:天狗山 のようです。 

 荘林山・荘厳寺の由緒によると 当山は 白雉年間(650~) に 天竺の僧・法道仙人の開基と
伝えられている観音霊場である。
 慶長年間(1596~) に 徳禅上人が 当山に入り 堂宇を修復し 再興され 爾来 真言宗高野
山派の末寺として 法幢を輝かした。 盛時には 本堂への参道沿いに 十ヵ寺程の塔頭を構えて
いたようで 現在 その建物跡地から 往時のことが偲ばれる。
 宝暦年間(1751~) には 社町の朝光寺と 鴨川の西光寺(廃寺) を行場とする権現信仰の
修験場の寺として 交流していたことが 伺われる。

 駐車場の上の塔頭・法音院は カーテンが閉められ 誰もいないようです。 素人にも 黒田
家の家系図を 見せていただけるか 聞くだけでも・・・。 ダメなら 諦めも付くし・・。
 法音院の右の緩い石段の参道を登り 本堂に向かいます。 うっそうとした杉林を 200m
ほど登ると 左に 鐘楼があります。 手水舎かと思いましたが 屋根や木組みは 立派です。 

 鐘楼の梵鐘は 姫路城主・本多政勝氏から慶長年間に寄進されたもの。 山の中で 誰にも
迷惑は かからないでしょう。 一発 鳴らしてみました。 いい音で 余韻が 長く尾を引きます。
 石段の上が 本堂です。  本堂は 本尊 十一面観世音菩薩、脇侍像仙人の立像、台座に
慶長16年の墨書きあり。 立派な建造物で 屋根は 桧皮葺でしょうか 見事な傾斜です。
残念ながら 軒が崩れそうで 裏は立ち入り禁止になっています。


 本堂の右が 多宝塔(二重塔)。 本尊は 釈迦如来。 佐々木四郎高綱氏により 建久年間
(1190~) に造立。 焼失後 正徳元年(1711) 再建。 屋根は二層とも 桧皮葺として 県下
唯一。 平成十二年 県の重要文化財に指定される。 立派な建造物ですが 木材が腐りかけ
ています。 屋根には 雪が残っています。


 石段の下が 三社八幡宮。 覆い堂に覆われています。 三社とは 熊野三社権現、八幡大
武神、高野・弥生両大明神。 宝永五年(1798) 建立(再建)。 鐘楼の脇には 末社・稲荷大
明神の社もあります。

 ひと廻りして 12:27 車に戻り 引きあげます。 老人ホームの前で 下から青い小型車が
上がってきました。 あれが 住職さんだったのでは・・・。 こんな所へは よほどのもの好きで
ないと来ないでしょう。 下の集落で 聞くと 住職さんが さっき 郵便局にいたと・・・。

 空き地に車を置き 稲荷神社へ行きます。 赤い橋を渡り 赤い鳥居を潜りながら 長い階段
を上がります。 地図で見ると 稲荷神社は 標高130mの高台にあるようです。 この稲荷神
社も 黒田城の一部と言っても おかしくはない? 城跡を示すものは 何もありませんが 東は
白山などの高い山に囲まれ 西は 加古川の流れが一望できる 絶好の展望地です。 ここに
見張り小屋のようなものが あったとしても おかしくない・・・。

 地図を見ると 稲荷神社から 天狗山の山頂に向かって 尾根に平坦なところが 何ヵ所かあり
ます。 これが 曲輪跡でしょう。 神社から 山頂へは 一旦 東の道路を 降りるのでしょうか?
 家に帰り 地図を見ると 北西に見える山並は イタリ山から石金山への稜線のようで 最奥の
山が 石金山でしょう。

 車に戻り 帰路につきます。 南へ下ると 日本へそ公園があるので 寄ってみましょう。
県道294号線を下ると へそ公園。 荘厳寺から 8.7km。 13:13 到着。
駐車場に車は 何台も停まっていますが 人はいません。 レストランもお休み。

 隣の岡之山美術館へ。 来る前 案内状を見て 美術館が休みだったので 明日にしようかと
思ったのですが 明日の予報は 雲行きが怪しい・・・。 ウエダキヨアキ展は あまり見たい展示
でもないので・・。 ここまで来て 荘厳寺だけ見て帰るのも もったいないし・・・。

 帰路につきます。 国道175号線に出て 南へ。 上戸田南の信号で 右折して 市街を通り
西へ突き当り 左折して 野村西へ。 県道34号線を戻り 14:05 加西ICから 中国道へ入り
ます。 加西SAに寄って ラーメンを食べて 14:35 福崎ICで 播但道に回り 14:41 花田
ICを通過。 姫路バイパスを走って 15:37 帰着。

 本日の走行距離は 往路:73.0km へそ公園まで 8.7km 復路:66.8kmで 計:148.5
kmでした。 播但道 花田~福崎間は 400円、中国道 福崎~加西間は 300円。
 。。。。。。  。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。。  。。。。。。


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2 コメント

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こ、狛犬ならぬ… (編M子)
2013-03-01 00:27:57
こんばんはー。
狛犬ならぬ狛狐の画像に思わず※を
送らせていただきました(((^^;)

珍しい狛犬発見されましたら
アップしてくださいね!
楽しみにしてます☆
コマった犬 (YS11)
2013-03-01 09:03:30
こんにちは。
最近 神社へ行かないので・・。
狛犬にも お逢いできなない・・。
この辺りの 神社へは だいたい 行ったし・・。
ところで
編M子って まりちゃん?
もし まりちゃんなら もう少し分かりやすい名前にして。
さらに もう少し 早く 寝なさい!

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