ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

竹島1日目 ――― 東風泊とオンボ崎まで歩きました

2017年05月19日 | 島旅

た2017/03/22  オンボ崎のキャンプ場にテントを張るという当初の予定がいきなり覆るという、驚きいっぱいの島旅の洗礼を初日に浴びました。これがあるので島旅は楽しいです!
オンボ崎よりもずっと近い体育館のある運動場へ向かって出発!


▲フェリーが港の岸壁を離れていきます。これから回転して、港外に出て次の島、硫黄島へ向かいます。12:47ころ。


▲ここへは集落を抜け、30分ほどで到着しました。凸凹が少なく、草が生えて柔らかく、強い風が遮られそうな場所を探しました。そして、ここへの入り口は写真の右奥なのですが、そちらからは奥まったあまり人目にさらされない場所を選んだのです。14:12ころ。


▲テントの中から見える風景はこんな感じ。とりあえずお湯などを沸かし、コーヒーでも飲みましょうか。14:48ころ。


▲ちょっと休んでから、夕方の散歩に出かけることとしました。体育館の後ろに隠れるようにテントを張っています。15:27ころ。


▲クサイチゴだと思います。でも、花が異常に大きい! 僕の知っている花よりも、ふたまわりほど大きいのです。5~6cmほどありました。15:34ころ。


▲こういう小さな島で大きな問題になるのはゴミ処理でしょう。トカラの島々でもそうでした。おそらく竹島でも同じでしょう。この写真の施設はゴミ焼却設備だと思います。15:41ころ。


▲この設備のすぐ横では穴を掘ってありました。燃やせないゴミはここに埋めるのでしょうか? 15:41ころ。


▲設備と穴のさらに海側斜面にはゴミの混じった土砂が捨ててありました。15:42ころ。


▲キケマンも咲いていました。15:45ころ。


東風泊に来てしまいました。目の前の岬がオンボ崎なんですが、一本道を間違えてここに来てしまったのです。オンボ崎に南側を遮られていますから、南風や東風の強い時にはここへ逃げ込み、風が収まるまで停泊していたのでしょう。すぐ近くに島影が見えていますが、次に訪れる硫黄島です。15:55ころ。


▲小さな船ならここへ入ればとても安全? でも、手前に岩礁があるから入れないかも。15:59ころ。


▲S子はここまで降りるのを怖がって、上で眺めていました。16:00ころ。


▲スミレは難しくて、同定は難しいです。たくさん咲いていました。白い花もありました。16:12ころ。


▲道路脇に咲いていたのですが、誰も通りませんから、寝そべって花をマクロ撮影しました。16:14ころ。


▲白い花がこれ。でも、ここ以外では見ませんでした。16:18ころ。


籠(こもり)港です。しけの時の漁船の避難港として利用されています。
説明板には次のように記されていました。
「古くから港として使われ、白雉四年(六五三年)には遣唐使大山下高田首根麻呂らの船が難破、百二十人のうち五人を残して全員が溺死している。応永三四年(一四二七年)には博多の船が悪鬼納(沖縄)からの帰途、暴風雨にあい籠港に入ろうとしたが沈没、全員助からなかった。戦国時代、永禄九年(一五六六年)には大隅の弥寝重長が竹島に兵を渡し、籠港から屋久島の一湊や口永良部島を攻めている。この港は、前にある平瀬から陸にかけて、竹とカヤの大網で作った「つり橋」をかけて行き来していた。この橋がモッコの形をしていたので、籠の「モッコ橋」と呼ばれていた。この橋は一四~一五メートルの長さでしたが下を見ると目もくらむような高さで、しかも、ゆらゆらゆれる橋であった。島の人々は重い荷物を背負って橋を渡り、竹の根にすがって急な坂路をのぼり下りしていた。昭和三一年七月二六日、四百段の階段が作られ、人々は安心して登り降りできるようになった。なお、現在でも海が荒れると定期船みしまは、この沖にまわりハシケで人や物の積み下ろしをしている。 三島村教育委員会」
今でも利用されているとは思えませんけれどね。16:30ころ。


▲竹島は本当に「竹ばかり、竹しかない」島です。集落などを除くと、ほとんどこんな感じの道路が延々と続きます。16:36ころ。


▲ところどころ広い範囲で竹が枯れています。寿命なのでしょうか? 潮風などの理由でしょうか? 16:45ころ。


▲元キャンプ場でしょうか? 17:03ころ。

目の前の建物に「キャンプ場の利用方法」が書かれていました。その説明板にはオンボ崎のことを「雲母崎」と書かれています。「雲母」を「オンボ」と読むのですね。


▲炊事棟ですね。薪などを燃やせるようになっていました。右側には水道の蛇口が3つ並んでいますが、ひねっても水は出て来ませんでした。17:05ころ。


▲板敷きのテント台が幾つか設置されています。中央は炊事棟。その向こう側には薄っすらと隣りの島、硫黄島が見えています。17:06ころ。


▲すぐ近くの丘のてっぺんに向かって踏み跡が付いていました。それを辿ってみます。17:11ころ。


▲途中、ふたつほどアスレチックのような器具がありました。これもそのひとつ。下から登ってこれるようになっています。17:12ころ。


▲ここは島の西の端です。このてっぺんから東側を眺めました。島中が竹で覆われていますね。写真の左奥の岬あたりに先ほどの東風泊があります。17:15ころ。


▲てっぺんには半分以上壊れている展望台がありました。遠くには硫黄島、眼下にはオンボ崎の元キャンプ場が見えます。17:17ころ。


▲キャンプ場に戻って来ました。これは元トイレ。17:27ころ。


▲今日は船の中でコンビニで購入した朝食を食べただけ。さすがに空腹が募って来ました。行動食のお菓子を食べます。キャンプ場にはこんなテーブルもありました。使えなくなってしまったのは残念ですね。17:32ころ。


▲元キャンプ場の脇から舗装された遊歩道のような道が海岸へ降りて行っています。硫黄島がすぐ目の前ですね。17:43ころ。


▲その岸壁で男性二人が釣竿を垂れていました。17:43ころ。


▲オンボ崎からテントに戻って来ました。約3時間の散歩。18:23ころ。


▲帰り道の途中でツワブキを採って来ました。18:27ころ。


▲ツワブキはアクが強いので、まずは煮ます。
でも、どういう理由かは分かりませんが、同じ時間煮ても硬いままのツワブキがありました。硬いのは捨て、軟らかいのだけを使いました。19:01ころ。

トカラ列島を旅した時にも、ツワブキはよく食べました。トカラのツワブキの方が茎も異常に太く、軟らかく、味もよかったように思います。とは言え、竹島のツワブキも関東で見かけるツワブキに比べるとかなり太いですね。


Roi Thai のイエロウカレースープが今晩のメインディッシュです。冷蔵保存が必要な食糧は持って来れませんから、肉の代用品として魚肉ソーセージを持って来ました。魚肉ソーセージも何年ぶりでしょう。普段はあまり食べませんが、なかなかいけますね。19:24ころ。

今回、3つの島で必要な食糧は熊本で購入し持って来ています。ただ、乾燥食品やインスタント麺などがメインになりますから、野菜や魚や肉は島で現地調達できるかどうか、それが島での食生活が豊かなものになるか否かの境目になるのです。


▲イエロウカレースープが出来ました。ソーセージの他にクルミも入っていますね。ツワブキも少しだけですが入っています。19:44ころ。


▲今回の目玉となる持ち物がこのLEDランタン。何日間もテント暮らしが続きますから、どれくらい使い続けられるでしょうか? テントの中ではこれだけで十分に明るいです。20:00ころ。


▲続いて、麻婆春雨を作りました。20:42ころ。


▲酒のつまみはこの3種類。干しぶどう、煮干し、クルミです。クルミはカレーに、煮干しはラーメンに入れたりもしました。20:47ころ。


▲島旅最初の晩をまったりと過ごすS子。今日は朝早く起きましたし、馴れない船旅、島に到着してからも忙しく歩き回っていました。けっこう疲れたことと思います。20:55ころ。

僕とS子の島旅はテントに泊まって、後は島中を歩くだけです。トカラでの島旅ではそれにプラスして島の人々との触れ合いが物凄く濃密なものでした。さて、この竹島ではどうなのでしょう?

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