ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

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「747・ジャンボをつくった男」

2009-08-27 06:37:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「747・ジャンボをつくった男」という本を読んだ。
この日(8月25日)は通院のため上京する日であったので、その行き帰りの時間内に一気に読み終えた。
基本的にこのジャンボ機の設計担当者のジョー・サッターという人の自叙伝的な内容であったが、一つのことを成し遂げるということは、結果的にその人物の生涯を通じた大仕事なわけで、それを記述するとなると、どうしても自叙伝風な物語になってしまうということであろう。
仕事の内容に物語のウエイトを置けば、ある種の開発神話になってしまうが、人にウェィトを置けば、それはそれで一つのサクセス・ストーリーになってしまう。
この本のヒーロー、ジョー・サッターという人は、アメリカのビズネス界では極めて珍しく、一度入社した会社で定年まで勤め上げた人で、こういう例は極めて珍しいのではないかと思う。
彼をそうあらしめたのは、747の開発という仕事が彼について回った結果として、会社側も本人もその呪縛から逃げられなかったからではなかろうか。
この本の中にも描かれているが、ボーイング社の中の彼の周りでも、来る人もおれば去る人もいるわけで、ボーイング社の中での747の開発という仕事も、紆余曲折があるのは当然で、それに付随して人の出入りもあったに違いない。
我々旧世代の日本人として、アメリカのビジネス界は能力主義で日本のように終身雇用ではないので、人は安易に転職をするということがまことしやかに言われていたが、実情はそんなに安易なものではないと思う。
私自身アメリカの内情に詳しいわけではないが、テレビとか映画から想像するアメリカ社会というのは、意図も安易に馘首するように描かれているが、ああいう光景は視覚に訴える媒体として最大限に誇張した有様だと考える。
確かに社会構造の変化で人の流れが変わるということはありうるであろう。
合理化が進んで旧来のやり方が通用しなくなって、その波に取り残される人も大勢いるに違いない。
しかし、人が人を管理、雇用する場において、真面目で、忠実に働く人間をいくら悪辣な上司といえどもそう安易に突き放すことはなく、そういう人間を手元に置いておきたいと思うのが人情というもので、その点においては、日本もアメリカも変わらないと思う。
自分の仕事に情熱を持たず、言われたことだけを、賃金の分だけしか働かない人間は、如何なる経営者でも使い捨てにしたいと思うのは洋の東西を問わず何ら変わるものではない筈だ。
経営者というのは、街の小売店からボーイングやIBMのようなビッグビジネスに至るまで、コストとしての人件費を如何に圧縮するかが大課題なわけで、経営目的に合わせて人を雇ったり馘首することは往々にしてあると思う。
そういう動きの中でも、経営者が真から欲しいと願う人間は、立派にヘッドハンテイングされるわけで、そういう意味でアメリカの企業社会は、資本主義の利点と欠点をモロにさらけ出しているということである。
我々日本民族の終身雇用制度とアメリカの能力主義を比べて、我々は何となく能力主義の方が合理的であるかのように錯覚しているが、これは日本の経済学者の対米コンプレックスに他ならない。
それは同時に、我々の側が潜在的に持っている一つのパイを如何に多くの人に平等に分け合うか、という思考と、如何に効率よく利潤を追い求めるかという発想の相違でもあったわけで、発想の相違とシステムの相違をごっちゃにした日本のバカな学者の浅知恵でしかない。
こういうバカは学者の浅知恵を真に受ける企業経営者もいるわけで、日本経済界というのは総体としてタコが自分の足を食って生きているようなものである。
アメリカの経営者というものをよく見てみると、彼等は小さい時から自分の力で銭を稼ぐ訓練が行き届いている。
日本では、貧乏人が背に腹は変えられなくなって、子供までを働かせるというイメージで見られ、子供が働くことは貧困の極地のような言い方がなされているが、アメリカでは金持ちの子供だからこそ、自分の知恵と才覚で金を得ることを身をもって学ぶという意味で、子供が仕事に就いている。
経営ということを考える前に、子育ての段階から既にこのように発想の原点から大きな相違があるわけで、この思考の格差こそ我々は考えるべきことではなかろうか。
日本のバカな経済学者が「アメリカは能率主義で、終身雇用ではないので発展したのだ」と説くと、あまり利口でない日本の経済界は、バカな学者の言うことを真に受けて、システムまでそういう方向に変えてしまったので、日本経済は斜陽化してしまったのである。
世の中のことは、すべてが失敗から教訓を学んで前進しているわけで、失敗の原因を深く掘り下げて、それを取り除くことで前に進んできたものと私は推測する。
それに比べると、我々の発想は、成功事例からそれを真似ることで、柳の下の2匹目のドジョウを追うような形である。
日本のバカな経済学者が「アメリカは能率主義だから日本もそうすべきだ」と言うことは、歴然とした成功事例の真似ごとを吹聴している姿ではないか。
我々の仲間のうちでも、物作りの現場の人は、こういう思考をしないわけで、目の前にあるものよりももっといいものを作りるにはどうしたらいいかという発想をするが、それを管理する側の発想は、成功事例を踏襲すれば同じ結果が得られると思い込んでいるわけで、それぞれの置かれた立場で発想の思考が全く異なっている。
日本でも若くて優れた経営者は掃いて捨てるほどいる。
それぞれにスキャンダルにまみれてはいるが、堀江貴文、孫正義、村上世彰というような若い経営者は、基本的に国に殉ずるという発想が根本的に存在していない。
これは彼等経営者のみならず日本の全ての若い世代に言えることであるが、「国のために何かをする」という意識は全く無い。
アメリカ人で功なり名を成した人は、全て自分の祖国に何らの形で奉仕、あるいは尽くし、貢献した経歴を持っている。
そういう体験をした後で、生き馬の目を抜く修羅場のビジネス界に身を投じるわけで、彼らの成長の過程では、祖国に対する熱い情熱が火山のマグマのようにふつふつと沸きだっているように思える。
アメリカ以外にも成功した経営者はいくらでもいるが、アメリカ以外の人達は、自分の祖国の課す兵役から如何に逃れるか、如何にその苦業から免れるかに知恵を絞るわけで、こういう人は祖国に対する愛というものははなから存在していない。
後進国の富裕な若者は、如何に自分の祖国の兵役から逃れるかに知恵を絞って、その為には手段を選ばないという傾向があるが、アメリカの若者は祖国の危機に敢然と立ち向かう意欲と誇りを失わず、祖国もそれに十分応える準備がある。
アメリカ社会では、金持ちは金持らしく国家に奉仕し、貧乏人は貧乏人らしく国に尽くし、その見返りもアメリカらしく大いに享受するシステムが構築されている。
社会全体として考えた場合、経営者としてはより多く金を稼いだ人が勝者には違いないが、社会に貢献する度合いによっては、守銭奴という評価もありうるわけで、社会の評価というのは自分ではコントロール不可能であって、他者がそれを選択するものである以上、金の量だけでは測れないものである。
日本の戦後の世代の若い経営者についても、国のためにという意識は頭の隅にも存在していないわけで、それが言葉の端はしに出ている。
で、この本の主人公は、ボーイング社に勤めて、747のプロジェクトを任されたわけであるが、その間にボーイング社そのものが数多くのプロジェクトを抱え込んで、その何れのプロジェクトも先行きが不透明であったが、この747の成功で会社の窮地が救われたという話である。
私もこの747を始めて見た時は驚いたものだ。
最近の海外旅行では747や777というような大型機で外国まで飛ぶわけだが、そもそもこのような大きな機体が空に浮かぶこと自体が不思議というか納得しきれない気分である。
座席に身を委ねて、何となく緊張した気分でいると、ほんの1分か2分の滑走で車輪が地を離れる感触があったかと思うと、上向きにひっくり返るのではないかという角度で空に上がっていくということが何とも不可解な気持ちになる。
B747は確かに大きな飛行機で、これを作り上げたということは大した事業だと思う。
しかし、これと同じことは64年前、戦争に負けるまでの日本はアメリカと同等にやっていたわけで、アメリカと同じことを我々がやっていたということは実に大いしたことだと思う。
確かに、我々とアメリカ人は、発想の段階から異なっているが、それは良いとか悪いという価値観では測れないわけで、我々の側で自分の祖国を愛する気持ちが無いという現実にはいささか心が曇る。
あの日米戦争の最中、日本でも学生が学業を放棄して戦場にはせ参じた例があるが、あれと同じ状況はアメリカ側にもあったわけで、勤労奉仕や学徒動員に近い状況があった。
この場合も、制度はよく似ているが、その運用が大きく違っているわけで、この運用の妙を我々は研究しなければならない。
ここで「研究」と言うとすぐに日本のバカな学者がシャシャリ出てくるが、研究する段階から、誰にその研究をさせるかから深く掘り下げて考えなければならない。
バカな学者が研究して、軽薄な経営者がそれを真に受けて、無責任な官僚が進取の芽を摘む、というのが我々の社会ではなかろうか。
我々は世界でもまれな物作りにひいでた民族である。
だから、「これこれを作れ」と言われたときは、極めて忠実に言われた通りものを作り得るが、いざ作り上げたものを運用する段になると、途端に馬脚が露呈して、折角作り上げたものの価値を失ってしまう。
この本にも書かれているが、ボーイング社は日本の三菱重工に機体の一部を作らせているが、その評価は極めて好評なわけで、ボーイング社の要求に十分に応えるだけの技術を我々の側は持っている。
ならば新規の新しい機体の開発が出来るかというとこれが出来ない。
飛行機の製造というのは、その全てがアッセンブリ組み立てなわけで、飛行機全体の部品が全て均一の基準内に収まっていないことには成り立たないわけで、それを完璧にこなすことは、非常に難しい仕事である。
それぞれの部品メーカーに、統一基準にあった製品を作らせて、それをアッセンブリ―組立てするということは、もう既に政治の世界に極めて近いということになり、こうなると我々の民族は12歳の子供の発想から抜け出せないことになる。
すべての部品が全て均一の基準内に納めるということは技術の問題を超越して、政治としての説得力の問題に化しているように思える。
我々の場合、ことほど左様に、今までにない何物かを作るという場合、作る目標が確実にイメージとして出来上がっておらず、次から次へと追加要求が出てきて、最初のコンセプトと異なってしまうようでは、プロジェクトを完全に遂行したとはならない筈である。
ゼロ戦の開発でも、軍の要求が極めて過酷なものであったにもかかわらず、設計担当者がその条件を飲むと腹を決めた時点で、コンセプトは確定したものと考える。
後は、その要求に合うように実験を重ね、実験からデータを導き出し、それから図面に起こして、比類まれな成果を出したわけであるが、航空機の開発というのは同じような軌跡を歩むものだと思う。
戦後の日本で、アメリカの航空機メーカーと互角に争える企業がないというのは、戦後に航空機業界が封印されたこともあるが、それよりも経済効果をもたらさない、金を浪費するだけの実験や、その検証を行うゆとりが無かったということだと思う。
要するに、日本の企業経営者の中には、それだけの無駄使いを受け入れる度量が無かったということで、日本の会社の底の浅さが、こういう開発に乗り出せなかったおおきな理由ではなかろうか。
アメリカでも、ビッグ・プロジェクトには国家が支援するケースも往々にしてあるわけで、日本でも次世代航空機の開発というようなビング・プロジェクトには、国家の財政的支援があってもよさそうに思うが、こうなるとそれこそ12歳の子供の政治感覚で、綺麗事や子供じみた理想論を振りかざして、投資をやめさせる方向にエネルギーが向いてしまう。
プロジェクトのビジョンが確立し、実験を沢山こなして、検証を重ね、そのデータに基づいた図面を起こせば、後は出来上がったも同然で、そこに我々の物作りの真価が発揮されるに違いない。
ロケットの分野でも、航空機の分野でも、日本とアメリカでは発想の原点から、その規模の大きさに格段の差があって、この乖離は埋めようがないように思われる。
アメリカ人は、何でも世界一のものを狙うわけで、アメリカにはそれをするだけの原資があるから一目置かざるを得ない。
それに引き替え、ロシアや中国は、アメリカと同じ原資を持ちながら、アメリカと肩を並べることが出来ないというのは、どこに問題があるのであろう。
ロシアに関して言えば、冷戦中、軍事力の面でアメリカを凌駕していたにもかかわらず、民生品では全く足元にも及ばないというのは一体どういうことなのであろう。
アメリカよりもはやく人工衛星を打ち上げた実績を持ってすれば、B747を凌ぐ飛行機ぐらい容易に出来そうなのにそうならないのは一体どういうことなのであろう。
軍用機にはアメリカと比べて遜色ないものがあるにはある。
しかし、それを民生品にするということになると、手も足も出ないわけで、これは一体どういうことなのであろう。
中国は中国で、今あるものをコピーすることはできても、オリジナルを作るということに関しては、からっきしだめなわけで、これは一体どういうことなのであろう。
それはたぶん、金につながらない投資を心底嫌っているからだと思う。
新しいものを生み出すには、そのコンセプトの実現に向かって実験を繰り返し、その実験の効果を図面にフィードバックし、それを何度も繰り返して最初の目標に絞り込んでいくわけで、その間は全く金を産むという場面はないわけで、金を浪費する一方なので、中国人にとってはそれが出来ないのではないかと勝手に想像している。
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