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第一章について。
「将来の平和のためには、過去を忘れてはならない」という定式は、少なくとも一般論としては、今日広く受けいれられていると言ってよいだろう。本ブログもまたそうした認識に立って、「日中戦争を忘れない」ための一つの努力として運営しているつもりである。
ただ、終わった戦争についてのこのような認識が一般的なものとなったのは比較的最近のことである、という問題提起(フィリップ・トウル)から本書は出発する。第一章は「戦後和解の歴史」が語られる。講和が「神の恩寵」とされた時代には「忘却」こそが来るべき平和のための最善の策と考えられていた。だが「講和=忘却」という構図には18世紀から19世紀にかけて揺らぎをみせるようになる。もともと「講和=忘却」が可能だった一つの背景としては、かつての戦争は国王の間の戦争であり、講和は戦争の災禍を実際に被った人々を無視して結ばれた、ということがある。この時期に進んだ社会の世俗化、啓蒙思想の普及、傭兵から国民軍への変化、これらはいずれも「講和=忘却」を困難にしつつあった。そしてこうした流れの延長線上に、「勝者に裁かれた敗者」の例としてナポレオンが現われることになる(ウィーン会議、1815年)。
また戦争のルールを人道か使用とする努力が徐々に実を結びつつあるときに近代的なジャーナリズムが成立したことも、「戦争体験の拡大」をもたらし、講和に際して世論を無視できない状況を産み出すことになった、という。(以上、26ページまで)
日露戦争の講和が世界史的にどう位置づけられるかについての議論も興味深いが、ここでは省略し、第一次世界大戦の戦後処理についての考察(31ページ以降)を見てみることにしたい。
「戦争の残虐化と一般市民の被害の拡大」が、「講和=忘却」を第一次世界大戦において破綻させた。それを象徴するのがヴェルサイユ講和条約第227~230条の刑罰条項である。ドイツ皇帝はオランダに亡命、実際に行なわれた裁判はわずかに過ぎなかったが、日本は戦勝国としてこの戦後処理に参加していた、という事実は強調しておく価値があるだろう。
アジア・太平洋戦争の講和条約であるサンフランシスコ講和条約に関して、しばしば東京裁判否定派が問題にするのが第11条である。本書の歴史記述が妥当であるなら、東京裁判否定派はすでに前の大戦において破綻していた戦後処理モデルに固執してこれをアジア太平洋戦争にも要求している、ということになろう。
第一章について。
「将来の平和のためには、過去を忘れてはならない」という定式は、少なくとも一般論としては、今日広く受けいれられていると言ってよいだろう。本ブログもまたそうした認識に立って、「日中戦争を忘れない」ための一つの努力として運営しているつもりである。
ただ、終わった戦争についてのこのような認識が一般的なものとなったのは比較的最近のことである、という問題提起(フィリップ・トウル)から本書は出発する。第一章は「戦後和解の歴史」が語られる。講和が「神の恩寵」とされた時代には「忘却」こそが来るべき平和のための最善の策と考えられていた。だが「講和=忘却」という構図には18世紀から19世紀にかけて揺らぎをみせるようになる。もともと「講和=忘却」が可能だった一つの背景としては、かつての戦争は国王の間の戦争であり、講和は戦争の災禍を実際に被った人々を無視して結ばれた、ということがある。この時期に進んだ社会の世俗化、啓蒙思想の普及、傭兵から国民軍への変化、これらはいずれも「講和=忘却」を困難にしつつあった。そしてこうした流れの延長線上に、「勝者に裁かれた敗者」の例としてナポレオンが現われることになる(ウィーン会議、1815年)。
また戦争のルールを人道か使用とする努力が徐々に実を結びつつあるときに近代的なジャーナリズムが成立したことも、「戦争体験の拡大」をもたらし、講和に際して世論を無視できない状況を産み出すことになった、という。(以上、26ページまで)
日露戦争の講和が世界史的にどう位置づけられるかについての議論も興味深いが、ここでは省略し、第一次世界大戦の戦後処理についての考察(31ページ以降)を見てみることにしたい。
「戦争の残虐化と一般市民の被害の拡大」が、「講和=忘却」を第一次世界大戦において破綻させた。それを象徴するのがヴェルサイユ講和条約第227~230条の刑罰条項である。ドイツ皇帝はオランダに亡命、実際に行なわれた裁判はわずかに過ぎなかったが、日本は戦勝国としてこの戦後処理に参加していた、という事実は強調しておく価値があるだろう。
アジア・太平洋戦争の講和条約であるサンフランシスコ講和条約に関して、しばしば東京裁判否定派が問題にするのが第11条である。本書の歴史記述が妥当であるなら、東京裁判否定派はすでに前の大戦において破綻していた戦後処理モデルに固執してこれをアジア太平洋戦争にも要求している、ということになろう。