先日、長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行って来ました。
天皇皇后両陛下が私的な訪問として来られたことで、初めてその存在を知りました。
中央道飯田山本インターを出て5分くらいのところにあります。
戦前に13年間だけ存在した満州国。ここに日本から27万人の方が海を渡ったそうです。
しかし、終戦となり多くの方が命を落とし、残留孤児や残留婦人を生みました。
引き上げの方が苦労されて着の身着のままで帰国されたことは、先日亡くなった藤原ていさんの「流れる星は生きている」などを読んで、少しは知ってはいましたが、長野県からの移民が一番多かったこと。阿智村の住職だった山本慈昭という方が、ご自身もシベリア抑留を経験され、戦後残留孤児の肉親探しに奔走したことなどは全く知りませんでした。
館内ではボランティアの方が、とても丁寧に当時の暮らしや歴史について説明して下さりました。
阿智郷開拓団は、終戦間際の20年5月に満州の最も北東に移り住んだそうです。190人の団員のうち帰国出来たのはわずか47人。
希望を抱いて全てを売り払って、家族で満州に渡った方々の末路を知るとなんとも言えない、悲しいむなしい気持ちになりました。二度とこのような悲劇を起こしていけません。
2013年に出来たばかりでまだまだ知名度の低い記念館ですが、今回の両陛下のご訪問で、多くの方が満蒙開拓の歴史を知ることになるでしょう。奉天で生まれたという70代の男性も訪れていました。
記念館のメッセージ「前事を忘れず、後事の教訓とする」という言葉が強く心に残りました。
天皇皇后両陛下が私的な訪問として来られたことで、初めてその存在を知りました。
中央道飯田山本インターを出て5分くらいのところにあります。
戦前に13年間だけ存在した満州国。ここに日本から27万人の方が海を渡ったそうです。
しかし、終戦となり多くの方が命を落とし、残留孤児や残留婦人を生みました。
引き上げの方が苦労されて着の身着のままで帰国されたことは、先日亡くなった藤原ていさんの「流れる星は生きている」などを読んで、少しは知ってはいましたが、長野県からの移民が一番多かったこと。阿智村の住職だった山本慈昭という方が、ご自身もシベリア抑留を経験され、戦後残留孤児の肉親探しに奔走したことなどは全く知りませんでした。
館内ではボランティアの方が、とても丁寧に当時の暮らしや歴史について説明して下さりました。
阿智郷開拓団は、終戦間際の20年5月に満州の最も北東に移り住んだそうです。190人の団員のうち帰国出来たのはわずか47人。
希望を抱いて全てを売り払って、家族で満州に渡った方々の末路を知るとなんとも言えない、悲しいむなしい気持ちになりました。二度とこのような悲劇を起こしていけません。
2013年に出来たばかりでまだまだ知名度の低い記念館ですが、今回の両陛下のご訪問で、多くの方が満蒙開拓の歴史を知ることになるでしょう。奉天で生まれたという70代の男性も訪れていました。
記念館のメッセージ「前事を忘れず、後事の教訓とする」という言葉が強く心に残りました。
戦争を忘れてはならない、という
メッセージを伝えたかったのでしょうか。
冬の日や満蒙開拓記念館 遅足