575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

杉本美術館で思い出したこと ⑶ 〜岸田劉生の影響〜竹中敬一

2017年11月17日 | Weblog
このところ、杉本美術館に二回、訪れ、展示作品を見ているうちに、過去に展覧会で
見た絵のあったことを思い出し、その時の図録を探していたところ、2冊、ありました。
「杉本健吉素描集」(朝日新聞 昭和56年)、そして「画業70年のあゆみ 杉本健吉展」
(愛知県美術館 1994)です。

素描集には、「私の素描」と題して、杉本の談話が載っています。
「…私は青年時代から劉生が大好きで、大きな影響を受けている。大正末年、
愛知県立工業学校図案科をでた私は、父に連れられて、京都在住の岸田劉生を訪ねた。
自然主義を標榜して草土社を主宰し、雑誌「白樺」に名をつらねる劉生にあこがれていた。
その頃の劉生は宋元画や初期肉筆浮世絵に凝っていた時代で、堂々たる体躯の前に
絣姿の青年だった私は、雷の前に立ったようで身がすくんだ。…」
結局、杉本健吉は劉生の前で「ひと言も話すことができなくて、入門は許されたものの、
その日持参した作品を見てもらうこともなく、名古屋に帰ってきたのだ。」
(「画業70年のあゆみ」より)

杉本は名古屋で広告スタジオに勤めた後、図案家として独立。観光関係のポスターで
知られるようになる一方、京都から鎌倉に移った劉生のもとに通って洋画の指導を
うけています。
岸田劉生と杉本健吉に共通するのは、生来、絵が好きで好きで素晴らしい絵心を
持っていたこと。
洋画家であると同時に、今でいうイラストレーター、グラフイックデザイナーでも
あったという事です。
杉本健吉は吉川英治の「新・平家物語」の挿絵など、岸田劉生は雑誌「白樺」など
の装丁画でも優れた作品を残しています。

武者小路実篤、志賀直哉らによって明治43年 (1910)に創刊された雑誌「白樺」は
当時の若者に大きな影響を与えました。私の父が持つていた雑誌「白樺」が、一冊
私の手元にあります。大正13年1月号、表紙の装丁は岸田劉生です。
この号は、セザンヌの特集で、巻頭に原色版として人物像の複製が一枚、載っています。
また、静物画や風景画、人物の素描画が白黒で7枚紹介されています。

岸田劉生ら画家を目指す当時の若者が、この雑誌「白樺」で紹介されるセザンヌや
ゴッホらの作品の複製を初めて目にして、如何にシヨックを受けたか・・・
次回紹介したいと思います。

写真は、雑誌「白樺」(大正11年 1月号)。表紙の装丁画は岸田劉生。表紙に大正13年と
書かれていますが、発行年月日には大正11年1月と印刷されています。
「白樺」は大正12年に廃刊になっています。

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