575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中皆二の短歌から 〜冬瓜(とうがん)〜竹中敬一

2017年08月18日 | Weblog
父の書斎には梅原龍三郎や岸田劉生の画集があり、子供の頃よく眺めていて、
馴染みがありました。書斎にあった「劉生畫集及芸術観」(聚英閣・大正9年) 、
「初期肉筆浮世繪」(岩波書店・大正15年) は今でも持っています。
(因みに、私の早大の卒論はこれらの資料をもとにた岸田劉生論です。)
岸田劉生は西洋の模倣から脱して、西洋と東洋の融合という難しい課題を
模索しながら39歳で夭折した洋画家で、「麗子像」などで今も人気があります。

父は「内なる美」、「写実の欠如」、「在るということの不思議さ」といった
劉生の画論にしきりに感心していたのを覚えています。
書斎には劉生の油絵「冬瓜図」の複製(カラー) が飾られていました。

 若き日に見し劉生の冬瓜図 忘れかねつ冬瓜みれば

 空間を確かに占めて 皿の上に大き冬瓜しずまりかえる

私は高校卒業以後、郷里を離れていて、父の日常をよく知りませんが、冬瓜が
食べ頃になると、歌友を招いて、母のつくる冬瓜鍋をかこんで歌会を開いていたようです。
歌友の話によりますと、冬瓜が白い粉をふいて限界まで熟した 時が一番美味しいと
いうのが父の持論。冬瓜を小口に切って、骨つきのかしわと一緒に昆布の出し汁で
コトコトと煮たのを食べながら、父の放談を聞くのが楽しみだったそうです。

父は昭和7年(1932)に斎藤泰全(母の兄)らと短歌誌「風」を創刊。歌友によって
今も年一回、発行。父を偲んで冬瓜忌も毎年、続けられています。

 秋風の吹きそめしころ 冬瓜は熟して白き粉ふきにけり

 床の間の白瓷(じ)の皿の上にして 年を超えつつ大き冬瓜

 現世とは何のかかはりなき如し 皿の上なる大き冬瓜

 ゆく夏の暑き室内卓上に 冬瓜一つ豊かけるもあるか

 長崎の泉州の型枕にて 丸く平たきは越の冬瓜

 越後より去年とり寄せ煮て食うべ その種がこの大き冬瓜

父は母の故郷、新潟から冬瓜の種子を取り寄せて栽培し、実が熟するのを、
毎年、楽しみにしていました。
私も時々、名古屋から帰省すると、床の間に陶芸家の弟がつくった白磁の大皿に
白く粉をふいた冬瓜が置かれているのを見たことがあります。
これと思った対象を飽きることなく観察して、何首もつくる。それが父の歌には
多く見られます。

  写真は、父が自作の歌を揮毫して、障害のある私の息子に贈った歌集

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