山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

初めての台湾、故宮博物院はさすが

2017年08月11日 21時47分17秒 | Weblog
 初めて4日間の台湾旅行をした。阪急トラピックスのツアーだ。以前から台北の故宮博物院に行きたかったので、新聞で5万円というのをみて即刻決めた。もちろん旅行保険、空港利用料、燃料サーチャージなども加わって、63000円弱となる。関空午後出発で台北まで2時間半だ。時差は1時間。
 台湾の人口は2380万人、台北は300万人。面積は九州と同じ。人々の多くは鉄筋コンクリートの中層・高層のマンションに住む。戸建て住宅を求める風潮はないという。ガイドさんに聞くと台風が多くて、しっかりした構造の建物でないとだめだという。
 1台湾ドルが4円。ドルというが実際は紙幣に元と書いてある。干し梅干を買ったが250元だから日本円で1000円という具合だ。
 高速道路は片側4車線。車は日本車が多い、次がドイツ車、アメ車、韓国車だ。一般道も3、4車線が多い。通勤にはもっぱらスクーター型のバイクが使われている。これが道にあふれている。2人乗り、3人乗りも可だ。自転車はほとんど見かけない。日本で駅やスーパーには自転車があふれているのと対照的だ。バイクは機車といい、自動車は汽車だ。
 気候は亜熱帯で温帯の日本よりも少し暑い。でも日本の暑さも相当なもので、いい勝負をしている。街路樹は、クスノキ、ガジュマルが多い。クスノキはおなじみだが、ガジュマルは沖縄でしか見られない。枝から根が無数の根が垂れ下がり、そのうちの何本かは太くなって幹と一体になって大きい木になる。周りに広い木陰ができ、憩いの場となる。古い公園だとこのガジュマルがどんと構えることになる。沖縄の名護のガジュマルを思い出した。20mから40メートルにも達する大王ヤシがあちこちに林立する風景は南国気分全開だった。街路樹で見事だったのが花槐だ。オレンジより赤に近い花が夏から秋にかけて咲くエンジュで、道路が華やかになる。
 市内のビル、マンションは、数十年の経年変化で壁面は劣化、黒ずみが目立った。日本ではやる塗装などの壁面修理をしていないのだろう。一方で真新しいより高層のマンションもある。日本以上に多かったのが看板だ。見方によれば活気があるということだが、ガチャガチャした感じは否めない。
 台湾で一番高い山は新高山だ。真珠湾攻撃命令の「ニイタカヤマノボレ」のあの新高山だ。新高山は実は旧称で、今は玉山といい、標高3952mと富士山より高い。
 台湾で一番びっくりしたのが、ギャンブルが一切ないということだ。いま日本では、安倍内閣と日本維新の会の合作で、カジノを造ろうという陰謀がすすんでいる。不幸な人を造ることで経済発展を狙う(経済発展といっていいかどうか)。ガイドさんによれば、競馬競輪パチンコ何もないという。
 
 観光で一番感動したのは故宮博物院だ。以前から見学したいと思っていた。北京・紫禁城の故宮博物院の収蔵品もすごいが、いいものは台北に運ばれていると聞いていたので実際に確かめたかった。蒋介石・国民党政府は、北京の故宮博物院の収蔵品を日本の中国侵略の被害から守るために、重要文物を1万箱以上につめて、上海、南京へと疎開させた。日本軍の首都南京への侵攻で山奥の四川省へと非難させた。荷車や馬の背に載せての大移動だった。人類の遺産保護の大事業だ。戦後、国共内戦で蒋介石軍が不利になる状況下、疎開文物のなかでも第1級品を選んで、台湾へ運んだ。台北故宮博物院はそれを収蔵している。実際見学してみると、その質の高さには腰を抜かした。紫禁城の故宮博物院も中国の歴史上一級の文物が収蔵されているが、台北はよりえりすぐられ、洗練された品々が展示されていた。紫禁城には清の時代にヨーロッパから手に入れた大型の時計がたくさん収蔵されているが、台北にはそれらはない。あまりに大きく運ぶのに手間がかかる。それよりも小さくて価値の高い玉や陶磁器、金属器などに集中した結果だろう。
 ガイドさんは有名な品をめざして、つぎつぎと移動する。でないと90分の時間におさまらない。一番有名なのが、白と緑のヒスイで作った「翠玉白菜」だ。大きさは19センチで思ったより小さい。白菜の緑の葉っぱにバッタとキリギリスが食いついている。人だかりが山のようになって、なかなか接近できない。スマホで写真を撮る人が多くすぐには移動しない。
 70分であと自由となったのでもう少し回ろうとしたが収拾がつかない。そこで書籍の販売店に入った。が中国語ばかりだ。びっくりしたのは図録の種類の多さだ。つまり収蔵品の部門が多くそれぞれが圧倒的な量を誇るから分厚い。手が出なかった。実際展示されているのは収蔵品のごく一部だ。
 観光は、あと寺院や湖などを訪れた。よかったのは古都・台南の孔子廟とオランダ東インド会社の支配の拠点跡などだ。
 
 もっと観光の時間を取ってほしかった。だがショッピングの店に初日と最終日は各1回、2、3日目は各2回連れていかれた。すべて40分ずつ。阪急トラピックスは安いが、買い物ツアーだと聞かされていたが、まさにその通りだった。普通の土産物だけでなく、ラテックスの枕とベッドの店、ラジウム石の腕輪、ネックレスの店は買い物ツアーの極みだった。ラジウムのために台南を通り過ぎて最南端の高雄までいって宿泊し、最終日朝、バスでラジウム石のビデオを見、ガイドの推奨を受け、店に入ったらさらに店長の講義を受けた。日本人の博士の功績で今これがある、いかに健康にいいか万病に効くかを叩き込まれる。そして広い店のガラスケースに広がっている腕輪・ネックレスをのぞき込むと、店員がぴったりと寄り添ってみごとな日本語ですすめる。40数人20組の客に20人余の店員という体制で売り込む。たちまち喧噪状態になった。一種の催眠商法だ。たくさんの品を前に選ぶというのではない。ひとつの種類の商品を前に売り込みをかける。ガイガーカウンターのようなもので低線量の放射線が出ていることも示し、これが体を活性化させるという。ぐいぐいと迫る商法にはへきえきした。でも5万円余の腕輪を少し値引きしてもらって買う人が続出。15万円がどうのという声も聞こえる。元ではなく1万円札をあちこちで数えている。あっという間に莫大な売り上げだ。素晴らしい買い物をされましたねえと褒められて上機嫌の客たち。客も興奮状態だった。買い物ツアーには不満はあるが、これが格安の値段の元にもなっているのでしょうがないか。。
 高雄まで南下せずに、台南で泊まって古都を満喫したかった。そうすれば移動時間も含め節約できた。台南空港は軍事基地でもあった。現地時間15時35分発の予定が30分ほど遅れて出発。時差の1時間を入れたら4時間かかって関空着だった。
 ガイドさんの話の中で、心に残っているのが、日本の植民地だった台湾が、戦時中、軍事基地とされていた高雄・台南が戦争末期に日本本土と同じように米軍の空襲を受けて大きな被害を受け犠牲者が続出したそうだ。戦争被害については日本人のという観点しかなかったが、台湾の空襲についても研究がなされなければならない。朝鮮・台湾に対する日本の植民地支配責任はずっと追及されてきたが、大日本帝国の軍事基地があるが故の犠牲について、あらためて追究しなければならない。
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