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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第5回

2017年08月10日 | 日記

皆さんはどのグループに属しますか?「ああ、私は戒め守る必要がないと言っているのではありません」。そうかもしれません。戒めを守る必要がないとは言えないでしょう。しかし、戒めを守れないと思っていませんか。それでは結論的に同じことです。次の②番と③番は、表現としては両者とも戒めを守れると言います。しかし問題は、誰が救われるために戒めを守る人なのか、誰が律法主義で、誰が信仰による義人なのかということです。どちらも神様の戒めを守っている人です。 外見は同じです。 それなら誰が律法主義者で、誰が信仰による義人でしょうか? 「救われるため神様の戒めを守る人」なのか、それとも「救いを感謝して神様の戒めを守る人」でしょうか?

律法主義者なのか、そうではないのかというのは、その人の行動によって判断できるものではなく、心の動機を見なければいけません。皆さんは他人の動機を正確に見ることができる力を持っていますね!? それであの人は律法主義、この人は信仰による義だと評価していませんか? 皆さん、人の心、人の動機は神様だけが正確に見ることができます。そのため人間はむやみに自分の基準、物差しで人を判断してはいけないのです。 安息日を守る人たちを律法主義者と非難していませんか? それは神様の席に座って審判する行為です。

戒めを守って義人になろうとする努力を、違う表現で言うと、私たちが「創造」されたために神様を「礼拝」するのではなく、神様を「礼拝」して「創造」されようとするのと同じです。理解できますか? 戒めを守って義を得ようとするのも同じことです。 安息日であれ、何でも、敬虔な行いや戒めに従うことで救いを得ることはできません。

□しかし、カール・バルト(ドイツの神学者)はこう言いました。

“本当にやめるべきなのは、行為自体ではなく、その行為を信頼することだ”

(Karl Barth)

 

どういう意味か分かられると思います。結婚した夫婦は夫と妻の本分を尽くさなければなりません。 その関係に適した態度を見せなければなりません。 多くの人が十戒を読んで心に負担ともどかしさを感じます。「私のほかに他の神を拝んではならない」。皆さんこれは過度な要求ですか? 結婚した夫婦が"私以外の他の男や女と親密になってはいけない"と要求することはやり過ぎでしょうか? 十戒はまさにこのことです。

「偶像を礼拝するな」と言われました。これが過度な要求ですか? 「私があなたと結婚したのはあなたのことを愛しているからだと思いますか?あなたの財産が目的です」。これが偶像崇拝です。「私が神様を信じるのは、恵まれて天国に行きたいからで、神様を愛しているからではありません」。これとどこが違いますか! これらすべてが偶像崇拝なのです。

 

ヨハネの第一の手紙2:4と5:2です。何と言われていますか。

「『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない」と言っています。

そして「神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである」(同5:2)とあります。

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