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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デイビット・カン説教・17 顔おおいを取りのけよ第9回 

2017年03月21日 | 日記

心に書かれた律法

 

ローマ人への手紙1章1節~4節。

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」。

 

律法の終わりとは何でしょうか?律法の目標達成、律法の完結ということです。律法に従えばその究極にイエス様が見えることです。イエス様が律法を完全に守られたから、イエス様を信じればそれでいいのではなく、律法に従えば、その終わりのところでイエス様が見えるということです。なぜでしょうか?イエス様の力によらないで、私たちの力では絶対に戒めを守ることができないからです。

ですから、私たちの心が変わらなければなりません。私たちの思いが主のみ前に屈服しなければなりません。聖霊のみ恵みによって、私たちの一つひとつの思いまで主のみ心、み言葉に服従しなければなりません。聖霊によって律法を守る経験をするべきなのです。そのためには、「神様!私には出来ません。でも、私が出来るように約束してくださったことを信じます」と祈る必要があります。私たちが心から信じて服従すれば、その服従を完全として受け入れて下さるのです。

 

へブル人への手紙10章15節から19節。

聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、『わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう』と言い、 さらに、『もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、・・・』 」。

 

聖霊が「律法を・・・心に与え、・・・思いのうちに書きつけ」てくださいます。これは石の板に記録されたのと同じ戒めですが、聖霊が私たちの心の板に書きしるしてくださったものです。つまり、心が変わったということです。生まれ変わったことです。聖霊の望みが私たちの望みになったことです。イエス様の心が私たちの心になったことです。

私たちの心の中にある偏見や、誤った考えをすべて捨てなければなりません。私たちの心の中にある、生まれ変わってないものを全て捨てて、主のみ前に進みましょう。そして、 「主よ、私に戒めと同じ心、精神をお与えください。私は毎日生まれ変わる必要があります。神様の戒めの奥深さを見ることが出来るようにしてください」と祈りましょう。

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