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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか?第2回

2017年07月15日 | 日記

3、服従の道はたやすく、罪人の道は困難

    

イエス様はご自分に従う道はやさしいと言われました。イエス様はクリスチャン生活に伴う数々の制約がもたらす重荷によって、クリスチャンたちはいつも不幸であるという印象を全く与えられませんでした。むしろ、その荷は軽く負いやすいと約束されました(マタイ11:30)。イエス様は、ダマスコに行く途中で、ご自分を迫害するサウロに対して「とげのあるむちをければ、傷を負うだけである」(使徒26:14)と言われました。この言葉の意味は明白です。真理に逆らえば苦しみを受けると言われたのです。真理に従う人は、心に平和と平安がありますが、聖霊に逆らう者の道は険しく困難なのです。

 

私たちは、人間は弱いものだからサタンの力には勝てない、罪の誘惑には負けてしまうというような、偽りの考えに洗脳されないようにしなければなりません。もちろん、人が罪の支配下にいる時には、正しいことをするより誤ったことのほうが行いやすくなります。しかしそのような時、私たちは神様の子として、私たちに与えられた特権、イエス様が罪に勝利された力を主張しましょう。聖書の記者たちは、どんなサタンの誘惑にもおどしにも屈しないで、神様に従うことを選び続けました。私たちもそうあるべきです。パウロはこう書きました。「律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである」(ローマ5:20、21)。

 

「罪が・・・支配するに至ったように」という表現を注意してみてください。罪は人の心を支配する権勢があるということです。どのように罪が支配するに至りますか?罪を犯し続ける生活は良心を麻痺させ、人を否応なく滅亡の死に引きずっていくのです。しかし、恵みが罪以上に「ますます満ちあふれた」ことと「罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配」している事実に目を向けて下さい。神様の恵みには、罪のあらゆる力を超える圧倒的な力があるというのです。これは実に驚くべき保証ではありませんか?悪魔の力は、キリストに服従する人に働く、福音の爆発的な力に比べると、余りにもちっぽけなものに過ぎません。

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