言っても仕方ないけど暑いね~
外に出たくない病が益々
今朝の新聞の家庭欄 こだまに 「ほぼろを売って」 の投稿があった
その中で【ほぼろ】とは竹で編んだ籠と説明されていた
う~ん 違うぞ ばあちゃんが言っていたほぼろとは藁で編んだ大きな籠だった
竹で編んだものは【めご】って言ってた様な気がする
その方は庄原(広島県) 所によっては色々と違うのだろう
今 ほぼろもめごも遠い記憶の中 写真でもあればいいのにな~
【ほぼろを売る】とは嫁が実家に逃げ帰る と言う意味
今のように核家族では無い お嫁さんにとっては辛い生活もあったのでしょう
「ほぼろ」は野菜などを入れる籠の事で家事に必要なもの
これを売ると言う事は、家事を放棄するという事
ほぼろを売って逃げ帰っても 「ほぼろを売った娘を家には入れられん」
決心して嫁に行ったのに 下らんことで帰って来るな と言われていたらしい
女三界に家なし ってこの頃の言葉でしょうか
今では 「何かあったら帰っておいで」 と送りだすとか?
結婚生活で我慢 辛抱は死語になったのでしょうね
笑い話です
先日先輩が来宅した時の話
ご主人が酔っぱらって 出て行け~ って言われたとか
それで どうしたん? 興味津々 いいえ 80歳過ぎた老夫婦の喧嘩
犬も食わんけど 私も食いたく無い
3日間もの言わずだったとの事
「馬鹿じゃね~ そうですか では出て行かせて貰います」って出ればよかったのに
「しもうたね そうすりゃぁえかった 困るのはジイだったのに
次にはそうしよう」 って言います
次があっては困るけど 程々になさいませね (先輩には了解済みです)
=スベリヒユ
暑さをものともせず繁殖するスベリヒユ 元気ね~
外に出たくない病が益々
今朝の新聞の家庭欄 こだまに 「ほぼろを売って」 の投稿があった
その中で【ほぼろ】とは竹で編んだ籠と説明されていた
う~ん 違うぞ ばあちゃんが言っていたほぼろとは藁で編んだ大きな籠だった
竹で編んだものは【めご】って言ってた様な気がする
その方は庄原(広島県) 所によっては色々と違うのだろう
今 ほぼろもめごも遠い記憶の中 写真でもあればいいのにな~
【ほぼろを売る】とは嫁が実家に逃げ帰る と言う意味
今のように核家族では無い お嫁さんにとっては辛い生活もあったのでしょう
「ほぼろ」は野菜などを入れる籠の事で家事に必要なもの
これを売ると言う事は、家事を放棄するという事
ほぼろを売って逃げ帰っても 「ほぼろを売った娘を家には入れられん」
決心して嫁に行ったのに 下らんことで帰って来るな と言われていたらしい
女三界に家なし ってこの頃の言葉でしょうか
今では 「何かあったら帰っておいで」 と送りだすとか?
結婚生活で我慢 辛抱は死語になったのでしょうね
笑い話です
先日先輩が来宅した時の話
ご主人が酔っぱらって 出て行け~ って言われたとか
それで どうしたん? 興味津々 いいえ 80歳過ぎた老夫婦の喧嘩
犬も食わんけど 私も食いたく無い
3日間もの言わずだったとの事
「馬鹿じゃね~ そうですか では出て行かせて貰います」って出ればよかったのに
「しもうたね そうすりゃぁえかった 困るのはジイだったのに
次にはそうしよう」 って言います
次があっては困るけど 程々になさいませね (先輩には了解済みです)
=スベリヒユ
暑さをものともせず繁殖するスベリヒユ 元気ね~
今のお嫁さん 姑さんに負けてはいませんから大丈夫でしょ(笑)
昔のお嫁さんは大変だったと言う事ですね
祖母が良く言っていますたよ
先輩のように本気で腹を立てる なんて無くなりました
バカらしくて そんなエネルギーを使いたく無い
と言う事は諦めでしょうかね
ほぼろを売る・・・
私が(姑)きついから嫁に売られたら困ります。
ほんの半世紀前にも通用する言葉でしょうね。
でも半世紀以上も一緒にいると
時には「ほぼを売りたい時もあるよ~」って
誰かさんがいうておりました。
同じく私は居座ります
出て行って貰うのはそちらさんって返しますね
今は喧嘩をするエネルギーも無い さっさと逃げてしらんぷりしています
めごが竹製 記憶に間違いが無かった
田植えの時 苗を入れて天秤棒で担いでいましたね
この天秤棒だけは担げませんでした
材料は色々でも 使う用途は似てますね
そよかぜさんが御存じとは ちょっと嬉しいな~
分からないでしょうね
今度民俗資料館ね行って あったら写真を撮って来ようと思っています
そうね~ 女房が強くなりました
私もね
初めて聞く言葉です。
犬も食わぬ夫婦喧嘩
最近はうちの嫁は女を捨てた・・・?
と相棒に愛想つかされています(笑い)
出て行けと言われるものなら、
どうぞお先にと丁重にお言葉をお返しいたしておりまする。(汗💦)
テレビの中では大騒動で見たくもなく馬鹿馬鹿しい
昔し 蓆を編む時片側の耳を閉じずそれを
桶状に縄で縫い合わせ 籾度を入れて(米が毀れない)
天秤棒で担いでいました
目籠は竹製で 玉葱の収穫などで(葉の付いた玉葱は毀れない)
天秤棒で担いでいました
私の郷里も竹で編んだ籠をほぼろと言っていました
所によって違いますね
長姉がよく言っていました「ほぼろを売って帰るって^^」
姑がきつかったのでしょうね~
ほぼろがわかりません
昔のお嫁さんは、大家族の中で朝は一番に起き、夜は一番最後、終い風呂で
大変だった事でしょう
そんな時代の事なんでしょうね
今は、逆、女房殿が実権握って居る・・・
色々調べてみました
ほぼろを売る は広島地方で使われていた物の様です
祖母が使っていました
岩国も近いから言っていたのでしょうね
ただ ほぼろ はチョット違いましたけどね
お母様と話すが弾む事でしょうね
すまそだちさんは必要とされて 忙しいでしょうがお幸せですね
どうでも良い人になったらお仕舞です
方言も色々 時代と共に使われなくなり 今の若い人には通じなくなりました
まがる=邪魔になる 面白いですね
それは冗談で言っておられたのでしょう
実家は両親が居なくなれば足が向きませんね
縁遠くなりますよね
憶えています
冬の間 ムシロや縄を編んでいましたね
ムシロを作るのが面白く 手伝った記憶があります
先輩のご主人は今でも竹かごを作られます
丈夫ですよ
母から聞いた事がありますが、
私は若いから(?)使った事がありません。
でも明日母の所に行って「ほぼろを売る」の言葉を
覚えているか聞いてみますね。
考えてみたけれど
「女三界に家なし」もうそんなことありませんね
”あっちもこっちも 私が 居なくちゃ”です
でも そういえば 高校時代の友人
弟さんの代になって 新築した家に 自分の部屋が 無い
弟さんにお嫁さんが来てから 実家に泊まれない って
まぁご両親も 亡くなられたから・・・
先日 島のケーブルTVを 見ておりました
「邪魔になる」を「まがる」って言うのは 方言だと
生まれて初めて 凡そ70年で 知りました
って言われました
兄も両親もいない実家へどうやって帰れるの
悔しい思いをしました
今は言いませんけどね
竹かごは 用途に応じていろいろなサイズや形がありますが
冬の間 縄やむしろ作りと並んで 男の手仕事でしたね。
ほぼろを売る・・・昔のお嫁さんの苦労は いまの時代の人にはできないですね。