戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

誹謗中傷記事ならぬ称賛の記事での夜があければ

2017-04-21 14:00:57 | 日記
「遺書」の大きな新聞広告を見る。書いた方は発行の意義を信じてのこと、元総理大臣だった森喜朗氏だ。自分と意見が合わないからと言って個人を対象にした誹謗なら何の意味もない。意見の合った人は、禦し易いだけの話。意見が合わないと言って、恨み節を並べるこれ私怨にしか過ぎない。情報がすべて公開された環境ならお互い齟齬を来たした全貌を解明せずに、当時知事だった石原、猪瀬及び、現小池知事の人格を誹謗すべきではない。人の価値は死後暫くたってから初めて評価されるもの、責任をもって業務をこなすのに100%の賛同はありえない。出来るだけ多くの賛同を得る努力の結果、自らの責任で決断するので、決断できない人物ならいざ知らず、日々決断して業務を進めている人の向かい、決断できるのか、いつ出来るのかと角を立てる必要が何処にある。誠心誠意の意見であれば、意見交換すればよい。先方から頭を下げてくれるのが当たり前と自分からを上に立とうとする気持ちが強く意見を申し出る気持ちがないと来れば、静かに見守ってやればよい。自分だけ良い子ぶってもしょうがない。そんな人は偉い人だとは誰も思はない。ここまで遣ってきた事に対して良い点は称賛し激励すればよい。あいつはこんな悪であるとか、誰かに牛耳られている。之では死んでも死にきれないと言うが、森さんだって「失言」は多かったが、悪いことをしようとしたわけでもない。それなりに評価されている。死後は分かないがもっと、先輩として、泰然自若とした大者の風格を現わしてほしいと思う。すでに出版された内容は今更変えられないが、一つや二つは褒め言葉を遺してやるのが先輩の務めと思う。
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