美由治久ハバネロブログ

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「情」と「理」 筆者の男女論 年を取るとその差がはっきりしてきます 男の論理・女の論理

2017-04-18 05:12:57 | 男の論理 女の論理

    一般的に言われることで「右脳型人間」「左脳型人間」とか「情と理」など言われます。どうやら男性と女性では脳の構造に差があるようです。「情」というのは情緒のことで「理」というのは理論のことであります。今日の記事は 男性と女性が行動の起点とするものは何に因るのか?という極めてつまらない話題であります。興味のない読者はスルーしてください。何故このような話題になったのか?・・・・について書いておきます。先日ある新聞の人生相談の投稿欄に老齢の妻から「夫と度々口論になるモラハラではないか?」と掲載されており回答者・弁護士の「そのとおりである」との趣旨のものがみられ妻と話題になりました。筆者夫婦の結論は「男女の脳構造の相違」との結論に達しました。例外もありますが一般的に言って 男性と女性では会話に相違があり男性の場合には「学校で教えられた通り 主語があって述語があって・・・公用文や法律の文章のような会話の方向性を指し示すことが多い」ようです。これに対して女性の会話は「情緒的で副詞・形容詞・形容動詞など修飾語が多く学校で教えられた文章校正とは異なるものになる場合が多い傾向」になる場合が多くみられるようです。どちらが正しいという意味ではなく日常生活をするうえでどりらの方を選択する傾向にあるかという意味であります。専門的に言うと文法的破格というのだそうでありますが 一例を挙げますと井上陽水さんの詩には文法的破格が多いと言われております。「誰も知らない夜明けが明けたとき 部屋のドアは金属のメタルで・・・」など理屈でほじくり返すと矛盾に満ちた詩になってしまうわけです。しかしながら井上陽水さんの詩には たぶん言葉の響き・リズムとの整合性・・・などの理由で敢えて文法的破格が採用されていると考えられます。要するに情緒が優先されているのであります。若いうちの男女のこれらの相違に関しては神様が人間に与えられた種の存続という意味から男女は この差も寛容に理解していたものが年を取るにしたがって種の存続からも遠ざかり より屁理屈により感情的に言葉を駆使するようになり おじいさんとおばあさんの会話は「お前の言葉遣いは何だ もう一回小学校からやり直せ」「それがどうしたの 味もそっけもない言葉をやり取りしてどこが楽しいのボケたんじゃない?」なる口論に発展「モラハラだ」トラブルに至ったという話よくあることです。特に天然ボケバージョンのご夫人・・・・男性側から見ていて 言葉遣いが笑いを誘うことは確かでありますがキャラとして否定されているわけではありません。愛すべきご夫人でよいのではないでしょうか?また起承転結が明確ではない文章を愛するおじいさんも現役時代の名残を固執して生きている愛するべき人格ということがいあえるのでは?と筆者は考えています。よく高齢者男女が口論となり不幸な結果となった事例が報じらることがあります。たぶんこのような「男の論理 女の論理」がベースになっている場合が多いと考えるのであります。おじいさんの側から見て 女はおしゃべりが好きで意味のない会話を延々と続けるもの・・・おばあさんの側から見て 男は屁理屈ばっかりで色気も素っ気もありゃしない・・・となるのであろうと考えますが・・・ここは何十年も連れ添った仲「気まぐれな神様のいたずら」と決めつけて寛容の精神を取り戻しハグして仲直りということで如何でありましょうか?お粗末の一席でした。

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