青木奈緒著「幸田家のきもの」を読んでみた。
著者の曽祖父は幸田露伴、祖母は幸田文、母は青木玉、といずれも文筆の血を引いている。
祖母・幸田文は着物をこよなく愛し、着こなして、色柄に大層こだわりを持っていた人のようだ。
この本を読むと、女性の着物っていいな〜、と漠然とした憧れが心を弾ませる。
我が家には、ささやかながら(と言ってもよく知らないが)妻が嫁入り時に持ってきた着物がある。
持って来たには来たが、結局のところ袖を通したのを見たのはほんの数えるほどしか記憶にない。
義母は長年お華やお茶をしていたので着物を着る機会も多かったし、着物に関心があったのか、
娘の嫁入り道具の1つとして着物を用意したようだが、その気持ちはほとんど無駄に終わったようだ。
その義母もこれまで沢山の着物を作っていても、お華やお茶を止めた今は全く着る機会もなくなった。
妻には「全てあげるから」と言われたらしいが、全く着物を着るつもりがないのだから引取る気はない。
私の母も昔謡をやっていたので何枚か着物があるらしいが、同様に誰も進んで引取ろうとはしない。
「もったいない」から捨てる訳にもいかず、さりとて売れば馬鹿にしたような二束三文の値段を言う。
私自身も昔母親から大島を買ってもらって持ってはいるが、片手ぐらいしか着ていないと思う。
母親に「その当時は高かったんだよ」と言われても、着ない者にはどれほどの価値もない。
義母にしても、私の母にしても、それなりのお金をかけて買っていたものだろうが、
今となればどれほどの価値も見出せないで、逆に、その始末に困るくらいのことだ。
時代が変わり、生活スタイルが変わると、着物は非日常的なものとしか考えられなくなった。
平日の日中に着物姿を見れば、何事か、と白い目で見られなくもない。
ひと昔前までは、葬式に女性は着物をよく着たものだが、最近は喪服で済ませることが多くなった。
現在でも女性が着物を着る場と言えば、成人式と結婚式の時ぐらいではなかろうか。
そんな状況下、どこの古い家庭も着物の処分に困っているのではないかと思った次第。
著者の曽祖父は幸田露伴、祖母は幸田文、母は青木玉、といずれも文筆の血を引いている。
祖母・幸田文は着物をこよなく愛し、着こなして、色柄に大層こだわりを持っていた人のようだ。
この本を読むと、女性の着物っていいな〜、と漠然とした憧れが心を弾ませる。
我が家には、ささやかながら(と言ってもよく知らないが)妻が嫁入り時に持ってきた着物がある。
持って来たには来たが、結局のところ袖を通したのを見たのはほんの数えるほどしか記憶にない。
義母は長年お華やお茶をしていたので着物を着る機会も多かったし、着物に関心があったのか、
娘の嫁入り道具の1つとして着物を用意したようだが、その気持ちはほとんど無駄に終わったようだ。
その義母もこれまで沢山の着物を作っていても、お華やお茶を止めた今は全く着る機会もなくなった。
妻には「全てあげるから」と言われたらしいが、全く着物を着るつもりがないのだから引取る気はない。
私の母も昔謡をやっていたので何枚か着物があるらしいが、同様に誰も進んで引取ろうとはしない。
「もったいない」から捨てる訳にもいかず、さりとて売れば馬鹿にしたような二束三文の値段を言う。
私自身も昔母親から大島を買ってもらって持ってはいるが、片手ぐらいしか着ていないと思う。
母親に「その当時は高かったんだよ」と言われても、着ない者にはどれほどの価値もない。
義母にしても、私の母にしても、それなりのお金をかけて買っていたものだろうが、
今となればどれほどの価値も見出せないで、逆に、その始末に困るくらいのことだ。
時代が変わり、生活スタイルが変わると、着物は非日常的なものとしか考えられなくなった。
平日の日中に着物姿を見れば、何事か、と白い目で見られなくもない。
ひと昔前までは、葬式に女性は着物をよく着たものだが、最近は喪服で済ませることが多くなった。
現在でも女性が着物を着る場と言えば、成人式と結婚式の時ぐらいではなかろうか。
そんな状況下、どこの古い家庭も着物の処分に困っているのではないかと思った次第。











年令問わず すっとしていて素敵よね。
着慣れているし
日々の心がけが窺えて。
ぼこさんの気に入るような着物があればいいけど、
年齢的にちょっと地味なものしかないかも知れない。
でも、七五三でちょっと着物に挑戦してみるのもいいのでは。
着物を着れば男も女もしとやかにならざるを得ませんね。
良妻賢母の奥様にもう一度着てもらえば、新婚当時を思い出していいんじゃないですか(笑)