吉敷川だより

山口盆地を小さく貫く吉敷川、そのほとりに住まい、キノコや花を求め、山野を彷徨っています。移ろいゆく自然に心を重ねながら。

ナルちゃんの成長と読書のことなど

2017-04-05 | Weblog
 明日から3日ほど雨が続くらしい。低い気温が続き、出遅れているきのこには、これからの暖かい雨は福音である。
 しかし、ナルちゃんは我が家に閉じ込められることになる。

 今日は薄曇りだが、とにかくナルちゃんと外に出ることにする。昨夜のうちに築いた隠れ家を、そのままにし、まず、庭に咲く花の名前を教える。
 チューリップ、イチゴ、スイセン、ベニバナミツマタ、シュンラン、キンセンカ、ビオラ、ネモフィラ、アネモネ、ラナンキュラス、スノーポール、ムスカリ、バルボコジューム、小さな声で反復するのを、改めて大きな声で反復させる。
 覚えたというので、ビオラを指さし尋ねたが、分からず、次のキンセンカを指させば明確にキンセンカと答え、わたしを喜ばせる。

 約束の公園へ二人して出かける。スーパーの前にある小さな公園で遊んだが、遊具が少ないと、ものの20分ほどで不平が出る。

 仕方なく、電話で娘に連絡し、維新公園まで足を伸ばす。

 高所恐怖症で、恐がり屋だが、あれほど怖がっていた揺れる大アーチのゴム製の陸橋を、手すりを持たずに一人ですたすたと歩いてわたしを驚かせる。

 そのほか、苦手の網目のロープの上を歩くことなどにも挑戦していて、時間はかかるが、徐々に克服していき、成長の過程も見られて、うれしい。

 わたしたちは足腰の鍛錬のため、取っ手がついたトランポリンを居間に置いていて、テレビを見ながら、体を動かしている。

 ナルちゃんも喜んで取っ手を持って、飛び跳ねていて、少しは運動神経が発達するのでは、と期待している。

 さて、遊び疲れて、昼前には家に帰る。
 わたしは再び出かけ、図書館へ向かう。『悪霊』の第二巻を読了して、いよいよ最終巻の第3巻を借りて帰る。
 ドストエフスキーのこの作品に込める意図は、わたしにはわずかに感じられるだけで、翻訳者の概説を読みながら、そうかと頷くことが多い。

 ドストエフスキー独特のもって回ったような言い回しや、誰が発言したか分からないような会話とか、古典や、同時代の作家、あるいは聖書から引用した文言など、自分の乏しき教養の埒外にあって、ため息をつきながらも、人間の持つ両面性、いや多面性を目の当たりにし、わたしの魂は踊るように、この小説を愉しみ、ドストエフスキーを肯定している自分を発見する。

 光文社の「光文社古典新訳文庫」では1ページに15行で文字も大きくとても読みやすい。
 ちなみに古い文庫本をあれこれ見ると、概ね16行~18行で、最高は19行であった。
 最近のものは14行のものもあり、畢竟、活字も大きくて読みやすい。だがその分ページ数は多くなるけれど・・・。

 最近若い人が、「なぜ本を読まなければいけないのか?」などと投書欄でいう。
 わたしは「その問いを人に問わないで」と言いたい。
 自分で考えて、よい方を選べばそれでいいのである。なぜ、自分の人生観をそのような態度で人に問う?と言いたい。

 ただ、お節介を承知で言えば、本は若いときこそ読むべきと思う。自分の経験していない様々な他人の経験をなぞったり、あるいは、自分の考えを述べるさいにも、読書で得た知識は有効になる。
 それも、安価でどこででも読め、しかも短期間のうちに読み終えることができる、読書こそ、経験の少ない若い人に、と思う所以である。

 老い先短いわたしではあるが、今、改めて、あの豊穣な本を読む愉しさを満喫している。
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