![]() | マネーボール(ブラッド・ピット主演) [DVD] |
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『マネーボール』 2011年(米)監督:ベネット・ミラー
●本作の主な魅力に野球はない
「野球界におけるGMの苦労を描いた作品」「GMには多大な苦労があるものだな」「野球界は深い」「野球界の現状を知らないと理解できない」と位置付けるのも勝手だし、それはそれで野球好きには野球好きなりの本作の楽しみ方があるのかもしれない。しかし本作自身が「野球」をブラット・ピット演じるビリー・ビーンの苦闘の舞台として添えていることに間違いはない。でなければ多くの観客を魅了することはできないし、GMの苦労話や裏話で本作が消化されるのであれば、伝記本で充分である。もしも伝記本の代用メディアとして映画があるならば、ブラット・ピットは観客に映画という本を買わせるための輝かしい表紙になりさがってしまうだろう。しかし本作に魅了された者であれば、本作の役者や演出が決して、存在しているだけで魅力を発揮するマネキンや包装紙のような興行物でないことは容易に理解できるのではあるまいか。
●ブラット・ピットのパフォーマンス性
ブラット・ピットやフィリップ・シーモア・ホフマン、補佐役のジョナ・ヒルに至るまで「照明(ライティング)」や「ショットとショットの間」「演技」によって構築された感覚的で想像的なドラマ性を持っていたように思える。とりわけブラット・ピットは本作を「ブラット・ピットのパフォーマンス映画」と位置付けさせるほど強烈なキャラクター性と細かな細部演出によって彼独自の魅力を最大限に発揮していた。
例えばGMによる議論会議のシーン。抜けた三人の選手の穴埋めをするために補聴器を付けた老人たちが「あいつは足が速い。顔もいい」と騒ぎ、「Yeah!」と納得する。ブラット・ピットは手で口を防ぐような仕草をして大胆な態度で老人たちに質問をしていく「何が問題なんだ?」と。その間(ま)と台詞サウンド、仕草が彼の想いを感じさせてくれた。彼の後ろ姿を捉えたお茶目な仕草やガッツポーズ、指をさして合図をするアメリカ人的振る舞い、会議室で新人の補佐に向けて指を鳴らしながら「どうぞ!」と言わんばかりに合図をするなど、彼の演技は躍動性とユーモアに溢れ、彼の言葉や行動に惹きこまれていく。
そうしたブラット・ピットのパフォーマンス性が「経済学で弱小低予算チームをメジャー優勝させようとする反骨精神を貫いぬいたGMの物語」という一言で語れる単純な話を魅了させる大きな要因となっていたように思える。俳優のパフォーマンス性は映画を語る上で決して排除してはならぬものだ。カメラワークや映画的たるものはほとんど介在しないが、そうしたパフォーマンス性がいくつもの名作を創り出した。『男はつらいよ』の渥美清。『燃えよドラゴン』のブルース・リー。『モダンタイムス』のチャップリン。ジャッキー・チェンやジェット・リーなど、パフォーマンス性は観客をスクリーンに引き込み、刺激性を体感させる重要な表現である。もちろんこのパフォーマンス性を演出するのは監督の役目だ。俳優のアイディアも入っているだろうが、細かいタイミングや台詞まわし、台詞の0.5秒単位の細かなスピードなど多種多様な注文をつける情熱と監督のイメージがなければパフォーマンス性は生まれないだろう。本作はシドニー・ルメットや山田洋次、内田けんじ、石井裕也などと同様にパフォーマンス演出に定評があるベネット・ミラー監督の演出とブラット・ピットのユーモア性が織り交ざった素晴らしきパフォーマンス性を輝かせていたように思える。
●リズム芸術
映画にはリズムがあり、ショットとショットをどのようなタイミングで張り合わせ、音楽やサウンド、台詞をどのタイミングで挿入するかでリズムは決まってくる。映像と音響の戯れがリズムを生みだし、観客を刺激する。観客はその幻想的な感覚に身を委ねるが思考はリズム的感覚とセリフなどから理論的読解を試みて、その答えが「アスレチックスは経済学の理論を取り入れたが惨敗している」という物語性を無意識に創り出す。それが物語とリズムの関係であり、体系である。
本作はまさしくパフォーマンスとリズムの映画であった。ベンチに座りながら広大な闇の球場を見つめながら「結果が怖い」と怯える思春期の少年のように、ラジオをつけたり消したりする時間的な沈黙。また映画館でしか表現できない漆黒の闇と光を彼の瞳に輝かせ、クロース・アップした瞳の表現が彼の曖昧な心理を感覚的に感じさせてくれた。またフィリップ・シーモア・ホフマン演じる監督が呆れて去っていく姿をカット割りせずに永遠と映していく長い間(ま)など、無意識に構成されていく沈黙の時間。ドキュメンタリータッチの映像(極端なクロース・アップが多いので明らかに演出が介入している)といくつものナレーションを組み合わせ、徐々にテンポをあげていき、最後に極論的なナレーションでまとめあげる演出は、明らかに事実的な情報を提示するニュース性を帯びておらず、むしろ観客にダイナミックな興奮と感情を刺激的に魅せるリズム芸術と成していたように思える。そうしたリズムで観客を引っ張って行く先にブラット・ピットのパフォーマンス性があり、それらが衝突した時に、我々は感動した、などと感情化するのだ。それが結果的に本作の面白さに繋がり、本作の一つの映画的な魅力ではないだろうか。
●Just enjoy the show!
ラストで娘の歌う「The Show」の「パパは大馬鹿…パパは大馬鹿……ただ単に野球を楽しんで」という替え歌で締めくくる(彼は、本当は野球が好きだが、チームのために「野球」という「愉しみ」を捨てていた。そんなGMという「大人の仕事」に対して贈る娘から父への愛情たっぷりの批判。そして野球愛に溢れた彼の微笑みを生みだして彼はGMの仕事を続けていく)本作は、ドキュメンタリータッチの映像とナレーションの劇的な台詞、背後が漆黒の闇で演出されている投手のピッチングシーンをスローモーションで彩る幻想美など様々なリズムで構成し、リズム芸術とパフォーマンス性、そしてそこから体感させられるドラマ性を生みだしていた。これらが調和した演出は、本作をヒューマン・ドラマの秀作と位置付け、野球を知らない数々の人間を魅了したに違いない。
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