![]() | Final Destination 5 |
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| Varese Sarabande |
『ファイナル・デッドブリッジ』 2011年(米)監督:スティーヴン・クエイル
●一級のアンチ・サスペンス映画
オープニング・クレジットが凄まじく躍動的であった。死神が用いる殺人拷問道具の数々が観客の前に広がるガラスを破壊し、飛び出してくる。これは3D効果を見世物的に魅せたものだろうが、躍動のサウンドトラックはこれから巻き起こるクールで、残虐で、「ジーザス」と叫び、笑いたくなるようなパレード的アクション・サスペンスを期待させてくれる。
そしてそれぞれの個性溢れるキャラクターをハリウッド文法たっぷりに魅せると不穏なサウンドでブリッジを不安げに魅せていく。案の定、夢から覚めた時にデジャヴであることを視覚的に理解させるためにも「指を怪我する」「塵の中〜といった印象的なメロディ」など伏線を張っていくさまも視覚的なストーリーテリングとして効果的ではないだろうか。
しかしながら大体5作目ともなると慣例的な出来事(主人公がデジャヴを観てしまう)は、適当になりがちだが、本作は違う。強風により橋が崩落するシーンは、阪神淡路大震災の高速道路の崩壊(バスが半分落ちかけている)を思い起こさせるような危機的環境であり、まるで『宇宙戦争』や『2012』のようなモーション溢れる空間作りに仕上がっている。5作目にしてなお脚本に力を注ぎこむ力量が本作をシリーズの中でも秀作へと導いた一つの要因ではないだろうか。
また数々の拷問的殺戮シーンは、パターン化された「残虐性」よりもむしろ「笑い」へと消化している点にも注目すべきではないだろうか。その最たる例は、常に女ったらしの殺されるべき太っちょの眼鏡野郎だろう。東洋的美女が中国のおばちゃんに変貌し、関節をボキボキと鳴らし、携帯のバイブレーションで炎に囲まれ、彼の言う「ブッタの仏像」に脳天を踏みつけられるといった一連の展開は、不幸に見舞われたコメディ・ナンセンスのようであった。また3Dで飛び出す内臓や熊のぬいぐるみの眼球を引きちぎるブラック・ジョーク。踏みつけられる眼球。どれもブラック・ユーモアが挿入されており、ただのスプラッターではない洗練された映画術がうかがえる。
しかしながら、本作の最も驚喜的で驚嘆すべき点は、そうした「ブラック・ユーモア」と「脚本上の危機的でダイナミックな環境」に不可視的な緊張感が全編に漂っている点ではないだろうか。すなわち、彼らが死に至るまでの「サスペンス」が強烈に巧いということだ。
●スプラッターから本格サスペンスへ
グリフィスからのハリウッド文法に沿った(いわゆる)ヒッチコック式サスペンス映画は、危機的状況に陥った主人公(もしくはヒロイン)が追い詰められながらも最後には救出される(助かる)ことで観客は心的浄化(カタルシス)を体感できるというのが一般的なサスペンスの手法と言われている。しかし『ファイナル・デスティネーション』はヒッチコック式サスペンスとは真逆の形式をとっている。最初から観客は彼らが死ぬことを知っているし、死ぬことを望んでいる。それはスプラッター映画の定石であり、いかに殺すかが重要となっているように思える。すなわち「救出」されるのではなく、「死ぬ」ことで観客はカタルシスを体感するということではないだろうか。スプラッターは一種のアンチ・サスペンスなのである。
だが従来のスプラッターと大きく異なるのは、本シリーズがサスペンス・タッチの傾向が他のスプラッターと比べて大いに魅惑的だったことではないだろうか。目には見えない死神が、ありとあらゆる罠を仕掛け、彼(彼女)が知らぬまま処刑への準備が着々と整っていくといった描写を永遠と映していく視覚的ストーリーテリングは、そこだけを観ればサスペンス映画の描写である。しかしシリーズを重ねていくうちに本シリーズはいかに殺すかという残虐性に力を注ぎ、サスペンスの香りを死臭で抹殺してしまったように思える。
だがシリーズ最終章になる本作は、そうした死臭を意図的にかき消し、むしろサスペンス・タッチで覆い尽くしていた。と言うのも鉄棒や平均台の上で死のダンスを披露する女の子とリンクして、同時進行的に展開するシークエンスが何よりもサスペンスフルだったように感じさせられたからだ。
天井の水のしたたり。平均台の上に転がる釘。落とされたタオル。釘に刺さるか、刺さらないかのサスペンス。感電死するか、しないかのサスペンス。そして不意に訪れる意外な死に様(カタルシス)。死ぬとわかっていても映画的なテクニックの前では、観客は緊張感で硬直させられざるを得ないのではないだろうか。そのため、見る者を惹きこんでいく表現力が本作には潜んでいたように思えるのだ。
しかしながら、その後に展開するグロテスクな内臓描写によって、観客はすっかりサスペンスの緊張感を忘れてしまう傾向にある。だから、サスペンスの巧妙さはほとんど評価されにくいというのが本作の「避けられない運命」なのかもしれない。
●ユーモアと脚本力とサスペンスの果てに
『デッド・コースター』が見せつけたブラック・ジョークだけで染めるのではなく、そこらへんはむしろスパイス程度で。これまでにないモーションに溢れた橋の崩落シーンは、アイディアに富み。そして黒人の青年とタイムカードに「FUCK YOU」と書いた男が言い争いをするシーンを俯瞰で撮影するサスペンスフルな危機的状況。なおかつ終盤の友人同士の殺し合いのシーンにおける会話のやりとりと平均台のシークエンスの映画的手法の巧さ。それら全てが殺戮シーンの中で曖昧に混ざり合っている点が、本作の最大の魅力であり、シリーズの中でも秀作と位置付けるに相応しい評価すべき点ではないだろうか。
さらにラストの怒涛の急展開は、シリーズのファンを喜ばせるには充分なほどマニアックな仕上がりとなっている。いわゆる「ファイナル・デスティネーション・ビギニング」といったところだろうか。ビギニングにして最後。エンド・クレジットで、全シリーズの残虐シーンを3D化したスプラッティング・パレードが、本作を壮大なシリーズの幕引き的作品へと帰結させていて、シリーズ作品としても質の高いエンディングであったように思える。
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ホラーとしてもサスペンスとしても秀逸な作品でしたね。
このシリーズは毎作楽しみにしているのですが、今回も期待通り、色々と楽しませて貰いました。
一番はハラハラとさせられる死ぬまでの経緯でしたけれど、新ルールが放り込まれた事で、友達同士が殺し合いに発展する終盤も見応えあるものになっていたと思います。
そしてやっぱり1作目へと続くラストでしょうね。
正にシリーズとしての集大成とも言うべき作品になっていました。
友達とかで一緒に観ると、また違った盛り上がりがあって面白いかもしれません。
『ゴメンナサイ』鑑賞しましたので、記事UPしました。
個人的には良く出来た和製ホラーだったように思います。
アイドル3人の演技も素晴らしいものを感じました!!
『ゴメンナサイ』は期待してる作品なので鑑賞したらコメントさせてもらいますね!