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社会性やメッセージ解読、その先へ①

2010年01月07日 12時02分25秒 | ☆凸凹シネマ分析の巻☆

 とある友人が、
「映画の社会性を把握して、メッセージを読み込むことが映画の魅力だ」
と述べていた(・Д・)ハァ?
 しかし私はどうにも納得がいかないのだ

 
なぜならその人の考えは「映画はただ観ていて面白いだけじゃなくて、社会性を理解して、メッセージを解読することが映画のもう一つの楽しみなんだ」と映画があたかもメッセージ解読のゲームであるかのように論じていたからだ
たしかに映画のメッセージや社会性を読みとり、様々な手法で解読していくのは映画の一つの楽しみであるかもしれない

 
しかしそれこそが映画作品の面白さを知り尽くしたことになりうるというのは大きな誤解であるように思えるし、それらはほとんどこじつけのような安易な作品理解であり、映画作品の面白さやつまらなさを自ら分析したことにはならないのではないだろうか。
さらに彼は何かの本に影響を受けたのか知らないが、「映画のメッセージとかを間違って解読してしまうと映画の正しい解読にはならない。映画批評家は観客を正しい答えとナビゲートしていくべきだ」と批評家を映画作品のメッセージを正しい方向へと導くナビゲーターとしている。

 
しかし映画作品のメッセージなどをナビゲートすることなどできるのだろうか。そもそも映画作品には必ずたどり着くべき〝目的地〟があるようには思えない。
 
なぜなら映画には〝誤解する権利〟があるからだ

 
彼はとある戦争映画をとりあげ「あれは帝国主義への批判を込めた作品じゃなくて、人間の葛藤と苦悩をテーマにした映画だ」と〝間違った答え〟〝正しい答え〟を位置付けており、映画の作り手のメッセージ(正しい答え)を解読することに全力を注いでいる

 
しかしながら本当に、映画の作り手が発したメッセージが全て答えなのであろうか。

 
また監督が作品についてテーマや暗喩の意味を説けば、それこそが全てなのだろうか。

 
それでその作品の価値はなくなり、解き終わった新聞のクロスワードのようにゴミ箱へと捨てられてしまうのだろうか
 
いいや、決してそうではないはずだ

 
映画作品に絶対的に導くべき答えなどない。メッセージ解読に全力を注ぐ人々がいるが、彼らがナビゲートしようとしている〝目的地〟は、彼らが勝手に生みだし、勝手に納得し、勝手に作品の魅力だと思い込んでいる幻想のオアシスにすぎない。

 
映画はもっと感覚的で幻想的で不確定的なものだ

 
私は映画作品のメッセージや社会性を読みとったところで映画作品そのものへの理解を終了させてしまい、または映画監督に対しての評価を終了させてしまうのは、映画作品や映画監督、映画そのものに対する価値を曇らせてしまうように思えてならない

 
なぜなら映画作品の社会性の解読やメッセージの解読は、映画があまりに不確定的なものであり、その面白さがどこから来るのかわからないものだから、批評家や観客が勝手にメッセージを読みとり、それこそが作品の魅力であり、作品を知り尽くしたかのようにして納得してしまう安易な納得術になってしまっているからだ。

 社会性やメッセージ解読、その先へ②へ続く・・・

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