静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 原発支持者が市長に選ばれる政治土壌: アメと鞭 ≫      ≪ 経営計画説明でも ”だんまり”貫くNHK ≫  公共性の判断は NHKがするのではない!

2018-01-22 09:30:29 | 時評
☆彡 【南相馬市長選挙】門馬和夫氏が初当選 「脱原発」桜井氏破る https://mainichi.jp/senkyo/articles/20180122/k00/00m/010/038000c?fm=mnm
・ <門馬氏は、現市政を「復興のスピードが遅すぎる」と批判。政府・与党との協調に消極的な桜井氏の政治姿勢が原因の一つにあるとして、「対話」による政策の推進を訴えた。>
 ⇒ ここだ、核心は。 「復興のスピード」という際の”復興”の中身は何だ? インフラ/住居等の建設であろう。それには小さな地方自治体の税収では追いつかないから、国庫予算の
  支援が要る。そこで、中央政府/政権与党が推進したい原発「復興」に賛成しない人物が市長である自治体に復興支援遺産の配分は遅らされる、こういう構図であろう。
  だから、門馬氏が当選できる仕組みになるのだ。『原子力ムラ』と呼ばれる政官財一帯の利権構造と代議士講演会の結びつきが、此の仕組みを裏打ちしている。 
   他の原発立地自治体でも似たような図柄があることは読者も語存知だろうし、其の最たる事例が沖縄を巡る<アメと鞭>の歴史である。

 何故、危ない原発を減らして再生エネルギー利用の方向を政府は進めないのか、其の本意を明らかにしようとせぬまま之までも、今後も黙々と原発技術の温存と輸出を続ける
 政権の意図は変わらない。   でも、原発死守は いったい誰の為に行っているのだ?? ”コスパが良い”という神話はとっくに崩壊しているのに。。。。

★  朝日(社説)NHK 公共性の議論をもっと https://www.asahi.com/articles/DA3S13324276.html?ref=nmail_20180122mo
1) <NHKが18年度から3カ年の経営計画を発表した。放送に加え、ネット配信も活用した「公共メディアへの進化」を重点方針の第一にかかげる。だが、華々しいアピールの陰で、
  視聴者が置き去りにされた感は否めない。>  ← ”置き去りにされた感”とは抽象的/感傷的に過ぎるが、まあ、具体的かつ真摯な議論が避けられてきた、それを「置き去り」という
  なら理解はできる。
2) < 視聴者の視線は厳しさを増している。事実をゆがめた番組づくり、取材費の流用、受信料の着服など不祥事が相次ぐ。報道姿勢をめぐっても、政権との距離感を欠くとして
  公正さを疑う声は絶えない。いずれもNHKの存立にかかわる問題だ。>
3) <意欲的で優れた番組がある一方で、いい意味でのNHKらしさが薄れてきているのを危ぶむ声は少なくない。表向きは否定するが、現場からは「視聴率主義が強まっている」との
  嘆きがしきりに聞かれる。民放の二番煎じのような安易な演出や、近年目に余る番組宣伝の多さは、NHKに対する信頼を深いところで傷つける。視聴率に結びつかなくても、
  多様な価値観をすくい上げ、人々のニーズにきめ細かく対応した放送がなされなければ、市民が受信料で支える意義はない。>

※ 1)2)3)と括ったそれぞれ、尤もな論旨だが、私がいつも不思議に思うのは、どうして政権に居ない野党各党は国会の場で,『放送における公共性の定義、意味合い』を真正面から討論しない/できないのか? NHK会長個人の政治姿勢や言動を責めるよりも、此の本質論に予算委員会での時間を使ってもらいたい。さもなければ、政府は痛くもかゆくもないのだ。
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