静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 膨張の歴史:明治帝国の日本 ≫   国内植民地『琉球 ⇒ 沖縄』 それでも明治150年! と維新の片面だけを賛美するのか?

2018-01-30 08:59:28 | 時評
★ ≪明示150年≫ 改めて歴史振り返る意義とは https://mainichi.jp/articles/20180130/k00/00m/040/013000c?fm=mnm
☆ 敬意を払ってこそ=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20180130/ddm/003/070/043000c?fm=mnm
・ <明治150年を巡っては各都道府県で関連行事が開かれるが、本土とは違う歴史を持つのが沖縄県だ。68年当時は沖縄返還(72年)前。米軍基地からのベトナム空爆が続くなか、
  4月には戦後最大の20万人が参加して「祖国復帰要求県民総決起大会」を実施。沖縄は米軍にとってベトナム戦争の出撃基地となっており、式典直後の11月にはB52戦略爆撃機が
  嘉手納基地で墜落事故を起こしている。>
・ <維新の経過も本土とは異なっている。明治政府は改元3年後の1871年の廃藩置県に合わせ、琉球王国を鹿児島県の管轄下に編入。72年に「琉球藩」を設置して国王を「藩王」
  とし、管轄を中央政府の外務省に移した。国を二分して戦った西南戦争後の79年には沖縄県を新たに設置。首里城を明け渡した琉球王国は崩壊した。>

 ⇒ 高校の歴史の時間で、果たしてこのように素直な表現で「琉球王国の征服」を教諭が説明したか? 今もしているか? 恐らく、大多数の教育現場ではおこなわれていないだろう。
   これが自国の歴史に無知な国民を生み続ける理由だ。江戸・徳川幕府時代から既に<二重朝貢>を強制、薩摩藩士を送り込み実質的に薩摩藩の属領と扱われた琉球王国。
   首里からは参勤交代に似た将軍交代奉賀の使いも出させていた。アイヌ人を駆逐・支配した蝦夷地に入植、北海道とした北方の歴史は独立国家の征服ではなく、非国家であった未開地
   の併合だ。いわば、ヨーロッパ人が北アメリカ大陸に入り、原住民から土地を奪ったのと全く同じ歴史が北海道の歴史であり、琉球王国の征服とは歴史的な重みが異なる。

◇◆ 「沖縄県」にとり明治日本の歴史は被征服で始まった。1945年の敗戦後は米国の支配地になり、1973年の日本国復帰時まで、日本本土の歴史とは全く違う28年の歩みを
  強いられた。ここに住む人々にとり、明治維新は輝かしい栄光の歴史でも何でもない。それどころか、幕末から本土復帰後まで切れ目なく続く150年は”屈辱の記憶”でしかない。

 玉木氏が亡くなった野中氏の逸話を紹介しながら説く「沖縄への敬意」は、上に述べた≪負の歴史≫≪明治維新が導いた帝国主義膨張の実相≫から目をそらさず、植民地化を防いだ美談だけを言うな、という簡単なことだ。 
 日本が他のアジア諸国と違い欧米の植民地化を免れたのは、自力の功績だけではない。幸運(=兵站面で日本は東の果て過ぎ、遠かった/欧米が内政で紛糾し日本の植民地化に時間が割けなかった)も大いに手伝ったことを忘れてはいけない。 そこを無視する驕りが傲慢さを生み、此の傲慢さは戦後も今に至るまで少しも治っていない。他国はそれを知っている。

 欧米諸国も含め、東アジア諸国が”日本の誤った歴史認識/歴史修正主義”と攻撃を止めない理由、それは此の傲慢さを見抜かれているからに他ならない。敗戦後しばらくは見られた膨張主義への反省は高度成長につれ消滅した。バブル以後は自信喪失の反動から「自信回復を!」「失われた日本を取り戻そう!」「クールジャパン」といった愛国スローガンが跋扈し始めた。

東京オリンピック招致、大阪万博招致運動、これらの狙いは単に景気浮揚だけではない。トランプほど露骨ではないが≪輝かしい偉大な日本よ もう一度!≫への回帰願望であり、そこに『明治150年祝賀』が位置付けられている。 この危ない意図を本土の老若男女は、どこまでわかっているだろう?   それでいいじゃない?  と言うのか??? 貴方は?
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ≪ 批判し告発する人を 自虐... | トップ | ≪ 今朝の つっこみ ≫  ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時評」カテゴリの最新記事