今朝でこの連載は最終を迎えた。企画を支えた毎日の編集者、取材を通した伊藤記者に敬意を表したい。
昨日の「誉れ人形」とは違い特攻兵の母でないが、沖縄戦で亡くなった息子の母が<嫁を迎えさせてやりたかった、の一念を込め寄贈した花嫁衣裳>が靖国の遊就館に飾られている、という話題である。
<戦後37年間、息子を思い切れずに生きた母が、自分の晩年に靖国を通じて挙行した、現世での未練を断ち切る儀式だったのか。靖国への花嫁奉納は、これが第1号だった。国のため覚悟の戦死をしたはずの英霊は護国の神であり、私人ではない。戦時中、遺族は泣くことを禁じられ、戦後も神社で思わず故人の名を呼んで宮司に叱られた人たちがいる>。
<雄々しい公の権威にこだわる靖国の論理と、婚姻による慰霊(供養)という家庭的で情緒的な願望はなじみにくかったのだろうか>。
<戦後も戦時中の英霊像に固執した靖国が一時、母親たちの夢想に押し切られたとは暗示的だ。戦死者の追悼、戦争のとらえ方は、歳月と共に変わる。戦死者遺影室に、あらん限りの花嫁を並べたらどうだろう。あふれかえる人形は、靖国に新風を呼び込むかもしれない>。
伊藤記者が先に提案した「戦争記憶遺産」の発想の延長線上に「誉れ人形」「花嫁人形」を置くとしたら、宮司あるいは国家英霊に拘る人達は今でも反対し続けるのだろうか?
戦争が/戦死者が、国民一人ひとりのものにならず、今の靖国神社での祭り方でしか続けられないのなら、そんな追悼や英霊護持で「国を愛するこころ」は決して育ちはしない。 ナショナリズムの押し付けがどれほど危険か、自国の過去の教訓ばかりか、近隣諸国に悪い手本があるというのに、未だ気付かないのかっ! 《 お わ り 》
昨日の「誉れ人形」とは違い特攻兵の母でないが、沖縄戦で亡くなった息子の母が<嫁を迎えさせてやりたかった、の一念を込め寄贈した花嫁衣裳>が靖国の遊就館に飾られている、という話題である。
<戦後37年間、息子を思い切れずに生きた母が、自分の晩年に靖国を通じて挙行した、現世での未練を断ち切る儀式だったのか。靖国への花嫁奉納は、これが第1号だった。国のため覚悟の戦死をしたはずの英霊は護国の神であり、私人ではない。戦時中、遺族は泣くことを禁じられ、戦後も神社で思わず故人の名を呼んで宮司に叱られた人たちがいる>。
<雄々しい公の権威にこだわる靖国の論理と、婚姻による慰霊(供養)という家庭的で情緒的な願望はなじみにくかったのだろうか>。
<戦後も戦時中の英霊像に固執した靖国が一時、母親たちの夢想に押し切られたとは暗示的だ。戦死者の追悼、戦争のとらえ方は、歳月と共に変わる。戦死者遺影室に、あらん限りの花嫁を並べたらどうだろう。あふれかえる人形は、靖国に新風を呼び込むかもしれない>。
伊藤記者が先に提案した「戦争記憶遺産」の発想の延長線上に「誉れ人形」「花嫁人形」を置くとしたら、宮司あるいは国家英霊に拘る人達は今でも反対し続けるのだろうか?
戦争が/戦死者が、国民一人ひとりのものにならず、今の靖国神社での祭り方でしか続けられないのなら、そんな追悼や英霊護持で「国を愛するこころ」は決して育ちはしない。 ナショナリズムの押し付けがどれほど危険か、自国の過去の教訓ばかりか、近隣諸国に悪い手本があるというのに、未だ気付かないのかっ! 《 お わ り 》